第54話 過去の面影
日が明けて朝の八時、同じ部屋の連中と塊を成して、大食堂へと向かう。
眠い。
昨夜は就寝時間を過ぎてからも誰も布団に入る気配がなく、暗い部屋の中で壮大な密談が展開された。
高校に転入して間もない俺はほとんど話について行けなかったけれど、これが高校生なのだと、興味津々で聞き入った。
話の内容は、趣味や好きなタレント、先生の悪口、部活の愚痴、そして学校にいる女子のこと等々……
「誰がいいと思う?」
そんな話題で小一時間は盛り上がって、気づけば丑三つ時を軽く過ぎ。
「藤堂は、やっぱり鬼龍院さんか?」
「いや……俺は別に、誰が一番いいとかはないぞ」
「お前、篠崎さんとも仲いいもんなあ」
「そういや篠崎さんって、霧島希美に似てるよな?」
「おお、それな。霧島希美が制服着て眼鏡かけたら、あんな萌えになるのかなあ……」
「……」
その話題には入り込まずに、眠たいふりをしたのだった。
大食堂のテーブルの上には、鮭や玉子焼き、味付け海苔や味噌汁等が乗ったトレイが置かれていて、各人思い思いの場所で食事をとる。
「食った奴は、トレイをカウンターへ持っていくんだぞお!!」
男性教師のよく通る声が、会場のざわつきを突き破って鳴り響く。
朝食を終えると、荷物を纏めて部屋の掃除、片づけを行って、屋外の建物の前に集合。
そこから昼過ぎまで、班ごとの自由時間となる。
周囲には自然豊かな山の木々や、白い河原の真ん中を流れる清流があり、少し山を下った先には温泉街もあって、遊興施設やお土産どころが立ち並ぶ。
どこへ行くのかは、班のメンバーで話し合って決めるのだ。
「僕は、郷土歴史館がいいなあ。戦国時代の資料とかもあるみたいだし」
「私は甘い物が食べたい! 濃厚ソフトクリームがあるみたいで、美味しそうじゃない?」
「とすると、街の方だな。俺的には、のんびりと河原で釣りってのも捨てがたかったんだけどな。未来は?」
「私は、みんなが行きたいとこでいいよ、うん。あ、でも、お土産は見たいかな」
ひとまず街の方へ向かうことにして、他の生徒達とも一緒に、緩やかに下る車道の脇を一列で進む。
ガードレールの先は切り立った崖になっていて、眼の下で白い河川敷が遠くまで伸びている。
「ねえ、夢佳?」
一番先頭を行く未来が、夢佳の方に首を向けて、訪ねた。
「なに?」
「何か、いいことでもあったの?」
「え……何で?」
「だってさっきからずっと、顔が緩んでるよ」
「そ……そうかな? べ、別に、何でも……」
くぐもった口調で曖昧な返事をする夢佳は、ちらりと俺の方を振り返って、口の端を上にゆっくりと上げた。
…… 昨夜のことがあったからなのだろうな。
「……」
未来がじっとりとした視線で二人を眺め回してから、何事もなかったかのように、すっと前に向き直った。
程なくして道路の片側に、いくつもの建物が現れた。
古くて歴史を感じさせるもの、新しくて若者受けしそうなもの、大きいものや小さいものがあって、観光客がちらちらと行き来している。
世間一般では平日なので、比較的空いているようだ。
それから、それぞれの希望に沿って、目的の場所を回っていく。
「うわあ、菊十文字兼定だあ! 国宝の刀だよ!」
「東雲、お前って歴史好きだったのか?」
「刀剣は大好きだよ。ゲームのキャラに装備させる時って、わくわくするんだ」
目をきらきらと輝かせる東雲の横で、
―― 切れ味は良さげだけれど、抜き身が長いから近接戦闘には向かないな。刃こぼれもしそうだから、もっと刀身が分厚いやつの方が、使いやすいかもな……
などと、全く歴史情緒の無いようなことを頭に浮かべながら、郷土歴史館の館内を回る。
一通り見終わったところで、夢佳と東雲がお手洗いに行きたいとのことで、未来と二人で表で待っていることに。
「ねえ、珠李?」
遠くに連なる山々の峰を目に映していると、未来が近寄って来て、
「一緒に、写真撮らない?」
「ああ、いいけど。二人だけでいいのか?」
「うん」
彼方に横たわる深緑の稜線を背にして二人で並ぶと、未来が自撮りのスマホを構えた。
「珠李、もっとくっつかないと、入らないよ」
「えっと……こうか?」
彼女の背丈に合わせて腰をかがめ、肩をぴったりとくっつけて、ぎこちなく笑う。
「珠李、顔が固い!」
「そ、そうか……じゃあさ未来、お願いがあるんだけど」
「なに?」
「どうせだから、眼鏡取ってみないか?」
そんな言葉を投げかけると、彼女は少しの間押し黙ってから、自分の右手を眼鏡に当てて、それを顔から引き抜いた。
「はい。これでいい?」
深く吸い込まれそうな瑠璃色の大きな瞳に、軽く曲がった長い睫毛。
それが今直接、目の前にある。
「……ああ、それで……」
満面の輝きを湛えた彼女に対して、やっぱりぎこちなく何とか口の端を上げる俺。
晴天の空と深緑を背にして、『カシャリ』と胸をすく音がした。
「写真送るね」
そのすぐ後に未来から送られてきた写真に中で、どこか懐かしい瞳を湛えた未来が、木工細工のように強張った顔の俺の横で笑っている。
「なあ、未来?」
「なに?」
「俺達、昔遭ったこととか、ないよな?」
「……ないと思うけど、多分」
丸くて大きな、宝石のような瑠璃色の瞳。
それに加えて、脳裏を行き過ぎるのは、
しなやかに風に靡く、きめ細やかな黄金の髪。
真っ白く透き通った柔肌と、その温もり。
もやのようにばらばらに霞んでいたものが記憶の中で渦を巻いて、その真ん中で一つの像を形作っていく。
懐かしくて現れては消えていた断片が一つになって、やがて一人の少女のイメージが、頭の中に現れた。
―― 君は……?
何故だろうか。
自然と、両の目から頬を伝う感触が。
それは光る雫となって、俺の衣服の上にポタポタと落ちては消えていく。
誰なのかはまだ分からない。
けれど、溢れくる涙が止まらない。
「……珠李……?」
不安げな目を向ける未来をよそに、絶えられずにその場に片膝をつくと、心の深淵から嗚咽が沸き上がってくる。
頭の中がくらくらとして、自分が自分を許せないような強烈な衝動が、胸の中を突き上がる。
「ぐ……… 俺は……… 罪人だ………」
「珠李!!??」
突然のことに狼狽えながらも、
未来が俺の上から覆いかぶさるようにして、両腕と胸の中で、しっかりと包んでくれた。
「珠李……もしかして、何か思い出したの……?」
「うわああああああああ~~~~!!!」
「大丈夫よ、珠李! 私が付いてるから……」
静かに語り掛けてくれる未来に力いっぱいしがみついて、あらん限りの声を青空に解き放った。
郷土歴史館のガラスの自動ドアの前で、力なく立ち尽くす夢佳の姿に、気付くこともなく。
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