第52話 肝試しの幽霊

 お腹も一杯になって宵闇が訪れたころ、毎年恒例の肝試しの時間になった。


 懐中電灯を片手に山道を登った先にお堂があって、そこにいる先生から、到達の証をもらって帰ってくるのだ。

 途中の路の要所には先生方が配置されていて、たまに脅かしてくることもあるそうだ。


 2分間隔くらいで班ごとに進むのだけれど、行く先は真っ暗で何も見えない。

 ただ、明るい三日月と、都会では見られない星々とが、空からエールを送っている。


 自分たちの番になって、小さな明かりを頼りに、真っ暗な小道を進んでいく。

 夜風が耳もとで囁き、草木が揺れてこすれ合う音が染み渡る。


「わっ!」


「きゃあ、びっくりしたあ!」


 路の脇から不意に大声を浴びせられて、夢佳が叫び返す。


「はは、いい驚きっぷりだなあ!」


 暗がりの中でご満悦気味な笑い声を振りまく男性教師。


 片道15分ほどの距離を進むと、ぼんやりとした灯りの中に、小さな小屋程の古いお堂が浮かんできた。

 そこにいる先生から到達の証をもらい、来た路をまた引き返す。


「肝試しというよりも、夜間ウォークだね」


 東雲がそう言うように、確かに、前後から話し声が聞こえるし、行き帰りの生徒がすれ違うので、ほとんど怖さは感じない。

 空を見上げると満天の星空が光を落としてきて、目を楽しませてくれる。


 自分達の番を終えて、キャンプファイアーの脇で談笑しながら時間を過ごす。

 全員が終ってからクラスごとに点呼をとると、


「あれ? 二人いないわね」


 神代先生が、不安げな声を覗かせた。


「そう言えば、帰り道の途中から姿が見えなくなって。二人でどっかでいちゃついているのだろうと思って、放っておきましたけど」


 同じ班の面子が、ぶっきらぼうにそう口にする。


 宿の方に電話を入れてみても、先に帰った形跡もない。


 他のクラスがぞろぞろと引き上げてく中、


「私は二人を探してくるから、みんなは先に宿に帰っていて」


 そう告げて彼女は、山の中の小道の方に向き直った。


「先生、俺も行きますよ。こう見えて耳は良い方なんで、役に立つかもしれません」


 そんな申し出をすると、先生はこくんと頷いた。


「ありがとう。先生一人よりも、心強いわ」


 念のため他の先生にも声を掛けてから、暗い小道をもう一度進む。


「緒方く~ん! 園山さ~ん!」


 呼び掛けにも返事はない。

 耳を凝らしても、人の話し声や呼び声は聞こえない。


「どうしたのかしら、本当に……」


 神代先生が深刻気に声を落とす。


 本当になあ、遭難でもしてなかったらいいけどな。


 ふと前に目を向けると、青色の淡い光が目に映った。

 その真ん中に、若い女の人が立っている。

 青色の長いスカートが、微かに風に揺れている。


 不思議だ、両手には何も持っていないし、何も背負ったりしていない。

 なのにほの明るく、暗闇の中に姿を浮かべている。

 こんな夜にこんな所で一人、一体何を?


「あの、すみません。このあたりで、男の子と女の子を、見掛けませんでしたか?」


 神代先生の問い掛けに、女の人は氷のようにくすみのない頬を緩めた。


「そこのお堂の陰で、寝ていますよ」


 静かで優しい声、まるで母親が、眠そうな眼をしている赤ん坊に語り掛けるように。


「あ、ありがとうございます!」


 お礼のお辞儀をしてから、件のお堂の方へ向かおうとすると、


「お二人、幸せそうでいいですね……」


 微かに、そんな声が耳に届いた気がした。


 お堂に着くとその正面に、男女2人が寄りそって、目を閉じて横たわっていた。


「緒方君! 園山さん!」


 先生が駆け寄って肩を揺らすと、二人とも半分目を開けて、辺りを見回した。


「良かったわ。一体何をしてたのよ!」


 二人を心配しての叱責が、暗闇の中に飛ぶ。


「あの、先生……」


「なに?」


「女の人を見ませんでしたか? 白いシャツで青いスカートの」


 その特徴は、つい先ほど挨拶を交わした女の人と一致する。


「ええ、そこで会ったけど」


「……その人、幽霊かもしれません」


「……え?」


 神代先生は顔を強張らせて、首を横に振った。


「何を言うのよ、いきなり」


「ここって、恋人達を幸せにしてくれる幽霊が出るって噂があるんですよ。それで二人で陰に隠れて、幽霊のお姉さん出て来て下さいって祈ってたんです。そしたら目の前にその女の人が現れて、気が遠くなって……」


「……そんな……」


 俄かには信じがたい言葉に、先生が言葉を詰まらせる。


「とにかく、帰りましょう。立てる?」


 よろよろと立ち上がった二人を連れて、元来た小路を引き返す。

 大きく開けて、キャンプ場の灯りが煌々と照る広場に着くと、心配して待ってくれていた男性教師や、同じ班の夢佳達がいた。


「神代先生、大丈夫でしたか!?」


「ありがとう、三上先生。二人は連れて帰りました」


「それは…… 良かったです」


 その場で待ってくれていた全員が安堵の表情を浮かべ、和やかな空気に包まれた。


「あの、三上先生?」


「なんだ?」


「白いシャツと青いスカートの女の人、ここに来ませんでしたか?」


 俺の質問に、三上先生は微笑を浮かべながら、首を横に振った。


「いやあ、見なかったな。こんな時間にこんな山の中、そんな人がいる訳がないだろう?」


 客観的に考えて変だ。

 この場所からお堂までは一本道、帰る途中に、彼女とは会わなかった。

 先に山を下りたのであれば、ここにいる面々の目に留まったはずである。


 途中のどこかで身を隠した?

 だとすると、一体何のために?


「やっぱり、あの女の人……」


 小刻みに震えながら、小声を絞る二人。


「ねえ、本当に見たの、珠李?」


「ああ、本当だとも。ねえ、神代先生」


 俺と神代先生の二人が頷くと、夢佳が複雑そうな面持ちで見つめ返してきた。


 考えても良く分からない。

 何か事情があったのか、それとも、本当に幽霊だったのか。


 ただ、悪い人には見えなかった。

 もし幽霊なのだとしたら、探していると言われている彼に、無事に出会えるといいなと思う。


 宿へ帰る途上、頑張った神代先生に、俺は藤堂君ポイントを20点プレゼントした。




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