第47話 夜の会話

 夢佳達と喋っていたので、結局帰宅はいつもと変わらない時間になり、太陽は西に傾いていた。


 晩飯用にコンビニで買った、弁当と発泡酒数本が入ったビニール袋を床に置き、ベッドに飛び込む。

 

 やっと試験も終わった。

 怠惰に更ける快感に身を任せながら、そのまま意識が彼方へと遠ざかっていく。


 それからどのくらい時間がたったのだろうか。

 薄目を開けると部屋は暗く、月の薄明りだけが照らされていた。

 星の光は、残念ながら都会の空からはほとんど降ってこない。


 起き上がってスマホを手に取ると、メッセージの着信有の表示が。


 ―― 神代先生からだな。

 少し胸を躍らせながら、スクリーンに指を落とす。


『試験お疲れ様』


 着信時間は9時前、つい先ほど届いたばかりだ。


『お疲れ様でした。美玲さんはもう家ですか?』


『ええ。さっき帰ったばかり。学校でずっと採点しててね』


 そうか、先生達はまだ採点とかがあって、試験は終わっていないんだ。


『遅くまで大変ですね』


『これも仕事だからね。ところで、ご飯いつ行こうか?』


 お、これは、先生からのお誘いだな。

 試験が終わったら、もろもろのお礼にどこか行こうって話していたっけな。


 そんなに気を使ってもらわなくてもいいのだけれど、お断りの理由はあるはずもなく。


『美玲さんの方が忙しいと思うから、そっちに合わせますよ?』


 そう送ると、ややあってから言葉が返って来る。


『明後日の土曜日の夜とかどう?』


『大丈夫です』


『ありがとう。楽しみにしているわね』


『俺もです。あまり無理しないで下さいね、美玲さん』


『ありがとう。珠李君もゆっくり休んでね』


 本当は電話でもして話がしたいけれど、きっと先生も疲れていることだろう。


『はい。美玲さんのことを考えると寝られないかもですけど、がんばります』


 ……あれ?

 こんな言葉、どっから出て来たんだろう?

 最近また、誰にも習った記憶にない言葉が頭に浮かんで、口をつくようになった気がする。

 

 これって相手を褒めるとかよりも、自分の気持ちを伝えているだけだよな。

 

 けどそれも、相手を不快にさせなければ、ありなのか?

 

 だとしたらそれだけ、俺も応用が利いてきたのだなと納得したいけど……


 戸惑いを感じながら思惑に耽っていると、


 ぴろん。


 着信だ。

 神代先生……


『良かったら、寝る前にお話でもする? お酒でも飲みながら』


 うわあああ、願ってもないことだけど。


『先生が、生徒にお酒薦めていいですか?』


『良くはないけど、珠李君とはこの前も一緒に飲んじゃったしね。でも嫌なら無理にとはいわないわ』


 全然嫌じゃないし、もしかして先生の方も、何か話がしたいのかな。


『全然嫌じゃないです。大歓迎です』


『じゃあお風呂入ってから、またかけていい?』


『はい!!!』


 ベットに突っ伏して寝入って終わるだけのはずだった今日が、急に何か特別なものに感じてきた。


 急いでシャワーを浴びて髪を乾かして、寝具用のスウェットに着替える。

 待っている間が暇なので、遠くにさんざめく街の輝きに目をやりながら、缶の発泡酒をちびちびと口に含む。

 

 時計の針が11を超えたあたりで、スマホが短い音を奏でた。


『今から掛けていい?』


『オッケーです』


 画面が電話着信の仕様に切り替わり、ひとつ咳払いをしてから、ビデオ通話応答のボタンを押す。


「こんばんは」


 神代先生の、白い美顔が映し出される。

 お風呂上りなのであろう、頬に少し赤みがさしている。


 いつも学校で見るのとは違うラフな格好、俺と同じような感じだ。


「こんばんは。お風呂上りですか? やっぱり素顔も素敵ですね」


 この前一夜を共にした時にも同じように思ったけれど、あらためて素直に伝えてみる。


「ありがとう。お化粧も何もしてないから、恥ずかしいわ」


「お互い家の中にいるからできるんですよね、こういうの。悪いけど、俺先にやってます」


 半分まで量が減った缶をすっと掲げると、彼女はくすりと笑みを咲かせて、ビール缶にある星印をこちらに見せて寄越した。


「試験が終わってからも、先生は大変ですね。採点とか」


「そうなのよ。でも、これも大事なことだからね。みんな頑張って受けた試験だから、一つ一つ大切に見ないとね」


「それで土曜日は、大丈夫なんですか?」


 忙しいのに無理しているんじゃないかと思って、確認を入れてみた。


「ええ。明日と土曜の午前中で一通り終わるから、その後は大丈夫」


 やはり、学校がない土曜日も仕事なのだなと気の毒に思いながら。

 その後ですぐ俺との時間を作ってくれるあたり、几帳面で真面目だなと思う。


「ちなみに俺の答案、もう採点してもらえましたか?」


「ええ。点数はまだ言えないけど、自信を持っていいと思うわよ」


「ありがとうございます。そんな先生には、藤堂君ポイントを10点あげちゃいます」


 神代先生は一瞬きょとんとしてから、口の端を緩めた。


「ありがとう。でもそれ、本当に役に立つのかしら?」


「ええ。先生にしかないサービスですから。頑張って100点まで溜めて下さい」


「分かったわ、100点溜まったら、なにしてもらおうかな……ずっと、日直をやってもらうとか?」


「……それをお望みならそうしますよ。でも、他の生徒がなんて思いますかね」


「そうね。だったら……」


 首を二、三回、左右に傾けてから、


「やっぱり、すぐには思いつかないわ。でも貯めると、いいことがあるのね?」


「はい、絶対にです。何か一つ、願い事を聞いちゃいます」


 このポイントは、何気なく目を通したラノベの受け売りだ。

 可愛い女の子が喋っていたと思うけど、男の俺でも喜んでもらえただろうか。


「分かったわ。じゃあ頑張ってみるから、珠李君もしっかり判定をよろしくね?」


「りょーかいです。大好きな先生には、甘々で判定させて頂きます」


「……もう、珠李君ったら……」


 先生の顔が赤らんでいるのは、多分お酒のせいだけではないように思う。

 いつもの照れて上目使いの表情が、画面越しに伝わってくる。


 ―― 先生にも、本当の事を伝えておかなきゃな。


 記憶が蘇った時にどこにいたのか。

 

 その時の俺の姿を想像して、先生はどんな反応を見せるのだろうか。


 多分俺はやっぱり、普通の高校生とは違うのだろう。

 あまり人に話すつもりはなかったけれど、これから先生ともっと親しくなっていくためには、避けては通れないように思う。


 夢佳や未来にしてもそうだけれど、転入してこんなにすぐに、色々なことを思うなんて考えていなかった。

 親しい友達ができればその分、ここに来てよかったのかといった想いも、頭をもたげるのだ。


 話をした後でも、今のような笑顔を見せてくれるのだろうか。

 そして、俺と肌を重ねたことを、後悔したりはしないだろうか。


 ―― 怖いな。

 何だろう、この感じ……

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