第41話 姉の憂い

「こんな時間から、すみません」


「いえ、今日もお仕事だったんでしょ? お疲れ様です」


「あ、ありがとうございます。実はちょっと前まで、スタジオで撮影をしてて。時間が押しちゃって」


 そう言いながら、爽やかに頬を緩める霧島さん。

 

 仕事上がりで、急いでここへ来たのだろうか。

 気のせいか、少し息が荒い。


「えっと、どこかに出ましょうか?」


「はい。良かったら、ご飯が食べられるところにしませんか?」


「はい、そうしましょう」


 エレベーターホールで待っている間に、彼女は帽子と眼鏡を、さっと身に着けた。

 一階に降りて吹き抜けのロビーを抜けて、エントランスから外に向かう。


「霧島さん、どこにしましょうか?」


「あの、藤堂さんの好きなものでいいですけど」


「そうですか? なら…… 寿司にしませんか?」


「あ、はい。お寿司大好きです!」


 白色の街燈に照らされた夜道を並んで歩いて約10分、以前ふらりと立ち寄った寿司屋に向かった。


 そこは通りに面したビルの一階にあって、それほど大きな店ではない。

 店の前には、青地に白い字で『すし辰』と染められた暖簾が掲げられている。


「ここでいいですか?」


「はい。こんなとこに、お寿司屋さんあったんですね」


 霧島さんの白い横顔がこくんと揺れたのを確認して、店の引き戸を開けた。


「いらっしゃい!」


「二人ですけど、いけますか?」


「はい。カウンターでも、テーブル席でもどうぞ!」


 白い割烹着の板前さんが、カウンターの向こう側から、揚々としてよく通る声で出迎えてくれた。

 何人かの客はいるけれども、店内は空いていて、落ち着いて話ができそうな雰囲気だ。


「霧島さん、どこの席がいい?」


「そうね……じゃあ、カウンターでいいかな?」


 そう小声で呟いて、カウンターの一番奥まった場所を指差した。


 彼女を奥にして、俺が入り口側に、並んで腰を下ろす。

 多分、周りから一番人目につかない席を選んだのだろう。


「何に致しましょう?」


 板前さんが、熱々のおしぼりを差し出しながら、抑揚のある声で訊いてくる。

 ほぼ初対面で、しかも相手は未成年の霧島さんだ。

 今日は酒は控えておこうか。


「好きなの頼んでよ、霧島さん」


「はい、じゃあ……」


 壁に架かったネタの札やネタケースに目を泳がせて、いくつかのすしネタを注文していく。

 このあたり、慣れているなといった感じだ。

 色んな大人に囲まれて、仕事をしているからだろう。


 俺の方は……


「こはだとイカ、それと、おススメは何かありますか?」


「カンパチにいいのが入ってます。あとはカワハギなんかもおススメですね」


「カワハギの肝ってありますか?」


「はい。ポン酢で仕上げてお出しできますが?」


「じゃあ、カワハギの握りと肝をお願いします」


「はい、喜んで」


 日本酒が欲しくなるようなアテだけれど、今日は我慢だ。


「それで、未来の話しだったですよね?」


 多分一番話したいだろうことを、こちらから持ち出してみる。

 霧島さんが、即座に応じる。


「あ、はい」


「元気にやっていますよ。もうじき期末試験なんですけど、放課後はずっと、彼女と一緒に勉強していましたし」


「期末試験……あっ、すみません、忙しいときに声かけちゃって」


「いえ、今日は昼のうちに、やることはやっちゃいましたから。霧島さんの学校とかでも、同じ感じですか?」


「いえ、うちの学校は、そんなに厳しくないんです。他にも芸能活動している子とかもいて、結構融通が利くっていうか」


 そう、申し訳なさげに言葉を並べながら、帽子と眼鏡を体から外した。

 長い睫毛に大きくて瑠璃色の瞳、やはり未来と同じ眼をしている。


「そうですか。未来は賢いですね、成績優秀者で名前が貼りだされたりもしているし。それに――」


 言いかけて、言葉にしていいのかどうか、躊躇する。


「それに?」


「あの……凄い人気ですよ、男子に。本人は嫌がっているみたいですけど」


「そうですか……それは良かったです、あの……私のこと、何か言っていませんでしたか?」


 どこまで喋っていいものかな。

 多分未来が語ってくれたことは、俺と二人だけの秘密だろう。

 ましてや、色んな想いの源である姉本人に、無断で打ち明けることなど、論外もいいとこだろう。


 とはいえ、霧島さんは真横から、心配げな目線を送ってくる。

 何も話さない訳にもいかないな。


「ごめんなさい、俺から話せることは、そう多くはないんです。けど、昔から、お姉さんのことは気にしていたみたいですね」


「気にしていた、ですか?」


「ええ。色んなことを比較されて、でもお姉さんには何をやっても敵わなかった、とか」


「そう、ですか……」


 一言そう応えて、長い睫毛を伏せて、黙って思惑に耽っている。


「はい、お待ちどう」


 目の前の白木の寿司下駄の上に、赤や銀色の切り身が乗っかった真っ白いシャリが置かれた。

 横に添えられた薄黄色の生姜と一緒に、目を楽しませてくれる。


「食べましょうか」


「はい」


 口の中でほろほろとほどけるシャリと甘い魚の味を堪能していると、霧島さんが小さく口を動かした。


「何となく分かってはいたんです。多分気にしているんだろうなって。けど、助けてあげようとすると、かえって距離が遠くなるような気がして、いつの間にか、あまり話をしなくなったんです」


「そうですか。彼女は彼女なりに頑張っていたみたいですけど、周りの大人が、そういう目では見なかったみたいですね」


「そんなことまで、話していたのですね。それもいつの頃からか気づいて、おかしいなとは思っていたんです。私にだけ言葉がかかったり、持ち物が増えたり。でも私、何にも言えなくて……」


「なるほど。でもそれは、霧島さんの責任ではないんじゃないですか? 小さい子供の頃なら猶更、大人に話すのは難しいでしょうし」


「ありがとうございます。でも、未来にとっては、辛かったのでしょうね」


「そうですね。顔や外見はほとんど同じなのに、どうしてこんなに違うんだろうってね」


 その言葉に、また霧島さんの動きがフリーズした。


「でもそれだって、霧島さんのせいじゃないですよ。生まれた時からそうだったんだから」


「それはそうですが……」


「追加、お願いしましょうか」


 板前さんにお願いして、追加の寿司をいくつか注文を入れる。

 また威勢のいい声が、カウンターから返ってくる。


「あの、藤堂さん」


「はい」


「未来とは、どういうご関係なんですか?」


「は? 普通の友達ですけど?」


「そうですか。色々とお話されているから、もしかしてと思ったんですけど。あ、でも、綺麗な方と、一緒でしたものね?」


 それは無論、神代先生のことを指している。


「あの人とは、別にそういうのでは…… でも、未来や霧島さんだって綺麗ですよ。未来には、その顔大好きだって、言ってやりましたから」


「……そうですか……」


 何気なく発した言葉だったけれど、霧島さんに笑顔が少し戻った。

 妹が褒められて、嬉しかったのかもしれないな。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る