第40話 予期せぬ来訪者

 自分の部屋に戻って、柔らかなソファに腰を沈める。

 室内と中空とを隔てる大窓を通して、眼下で細かく輝く光の海で目を癒す。


 夜景は綺麗なんだよな、ここ。

 自分一人には勿体ないなと、いつも思う。

 

 今日も静かだ。

 一人なのだから当然か。


 そんないつもの静寂を破って、インターホンが鳴る。

 一階のエントランスの外からではない。

 直接、ドアのすぐ外からの音。


 珍しいな、管理人さんからかな?

 部屋の中から画像を確認すると、女の子らしい像が浮かんでいた。


 こんな時間に、誰だ?


「はい、どちら様で?」


「あの……霧島です、さっきエレベーターで一緒だった。ごめんなさい急に」


 未来のお姉さん?

 一体何の用なんだ?


 戸惑いながらドアを開けると、エレベーターで会った時とそっくり同じ格好の、霧島希美がいた。


「こんばんは。遅くにごめんなさい」


「いえ。どうかしましたか?」


「あの……妹のことで、お話を聞きたいなって思って」


「……今……からですか?」


「いえ、どこかでお時間を頂けたらと」


 被っていた帽子を脱ぎ、眼鏡を顔から外す。


 うわあ、未来と全く一緒の顔だ。

 同じ格好をしていると、本当に区別がつかないかもしれない。


「本当に、同じ顔をしているんですね?」


「そう、ですか……? 今でも……」


「え、今でも……?」


「恥ずかしながら、ここ二年ほど、妹には会ってないんです。話もほとんどできていなくて。あの、妹は元気ですか?」


 言いながら、霧島さんは曇った瞳で、口もとだけ笑みを作る。


 なんだか複雑そうだ。

 今でも時間はあるけれど、まさかほぼ初対面で、しかも現役アイドルの子を、二人きりの部屋に入れるわけにもいかず。


「ええ、元気ですよ。最近まで、ちょっと色々とありましたけど」


「そうなんですか?」


「あ、でも、そんな大したことじゃないです」


 クラスで浮いていて、赤石達と色々あったことは解決済なので、そう応えた。

 けれど、未来が語ったもっと深い話は、俺から軽く話せる内容ではないので、一旦この場では封殺した。


「あの、土曜日の遅くなら、スケジュールが空いているんです。良かったらそこで、いかがですか?」


 なんだか切実そうな眼をしている。

 それに、そうでないと、わざわざこんな時間に、この部屋を訪ねたりはしないだろう。

  

 土曜日…… 期末試験の直前だけれど、仕方ないな。

 きっと彼女の方も、超多忙な中でのことだろうし。

 

「はい、分りました。この部屋にいるようにしますから、都合のいい時に、声掛けてもらえますか?」


「分かりました、ありがとうございます!」


 緊張が解れたのか、未来が俺に向けた笑顔とそっくりなそれを返して、ペコリと腰を折った。


「そんなに気を使わないで下さい。多分仕事で疲れているところに、わざわざ来てもらって。あ、念のためですけど、未来は、霧島さんがここに住んでいること、知っているんですか?」


「はい一応は。でも一度も、訪ねて来てもらったことはないんです」


「分かりました。念のため、ここで会ったことは、未来には内緒にしておきますね?」


「はい。それでお願いします」


 礼儀正しく、もう一度腰を曲げる霧島さん。


 一部で噂されるような、芸能人は礼儀知らずだとか生意気だとか、そんなマイナスイメージは微塵もない。

 妹のことを気にする、礼儀正しい普通の女の子に映った。


「霧島さん」


「はい?」

「何だか、外見だけじゃなくて、仕草までそっくりですよ。流石、双子の姉妹ですね」


「あ、ありがとうございます。じゃあ、失礼しますね」


 彼女は三度目のお辞儀をして、エレベーターホールの方へと、背中を向けた。

 爽やかな夜風が通り過ぎていったような、清涼感を残しながら。




◇◇◇


 土曜日は朝から晴天で、蒸し暑さの中で目が覚めた。

 

 期末試験の勉強のため、今日は夜まで予定は入れていない。

 放課後の勉強会のお陰で、幾分かましになってきた気がするので、今日と明日で総仕上げをするのだ。


 勉強も、分ってくると何だか楽しい。

 学生生活のやり直し、これもまたその一つでもあるし。


 なので、日課の運動は、しばらくお休み。

 エアコンをがんがんに利かせて、朝から教科書に向き合う。


 途中で、夢佳から何度か妨害が入る。


『ねえ珠李、英語教えてよ』


 仕方ないなと電話をすると、本当にそれが分からないのかと言いたくなるような、簡単な質問ばかりで。

 2分程のやり取りで終えて、その後30分ほどが雑談タイムになる。


「お前さあ、喋ってる時間あるのか?」


「あ、そうね。それじゃそろそろ。またね!」


 こんなやり取りが、夕方までに幾度か展開された。

 面倒くさくはあるけれど、でも何かしら可愛らしくもあって、無下に断れない。

 クラス最強女子も、二人でいる時は、愛らしい女の子なのだ。

 

 今日の夜は、霧島希美と会う約束がある。

 勉強を一区切りして、彼女が訪ねて来るまで、パソコンのネット検索などをして過ごす。


 ふと思い立って、検索ワードに『ルイジェリア』と入力してみる。


 検索結果に沢山並ぶ見出しの中から、電子新聞の新しい記事を選択した。


 ―― 長年の内戦を乗り終えて始まる、民主化への歩み

 東側諸国が支援する旧政府軍と、西側の後押しを受けた反政府軍により、約10年間続いた泥沼の内戦が、先ごろようやく終結。

 その間の犠牲者は、把握されているだけでも百万人を超えるとされている。

 国連監視機構が非人道地域として警鐘を鳴らすほどの、人権侵害が横行していた国。

 勝利を収めた反政府軍暫定政府が、全国民による総選挙実施し、正式な新政府を樹立する予定。

 国内融和を図り平和国家を樹立するためのはずみとなるか。


 という内容だ。


 ここにいたのか、俺は?

 仮に軍人だったのだとすれば、なぜだろう? 

 どちら側の軍にいたのだろうか?


 知らないといけないのだろう。

 けれど、知った後に何が待っているのか?

 恐くもある。


 向こう側には、俺を知っている人がいるんじゃないかと思う。

 渡航すればどうかとも思うけど、それは、豊芝さんから止められている。


 そうした方がいい理由が、なにかあるのだろうか。


 考えても、何も答えは出ない。


 夜の帳が下り切って、街に光の海が広がったころ、インターホンの音が来客を告げた。


「こんばんは、霧島です」


 さあ、どんな話になるのかな、今夜は。



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