第39話 上階の住人

 それから何日か経った日の放課後の教室。


 帰りの支度を始めた俺の横で、未来が苦笑しながら、椅子に座っている。

 目の前には、別のクラスの男子二人。

 全く顔も名前も知らないけれど、両方ともかなりのイケメンだ。


「ねえ、これから一緒に帰らない?」


「俺達バンドやってて、これからライブハウスに行くんだ。良かったら見に来ない?」


「え、あの……私これから、用事があるから……」


「そんなこと言わずにさあ。楽しいよ?」


 未来がマスクを外して眼鏡を変えてから、こんな場面が増えた。

 今まで閑散としていた彼女の席の周りは、賑やかになりつつある。


「篠崎さんって、綺麗だよね。霧島希美に似てるって言われない?」


「そうそう、俺もそう思ってた」


「あの……」


 軽口を叩いてはしゃぐ男子二人を相手に、未来は言葉に詰まっている。


「未来、準備できたか?」


 わざとらしく大き目の声で、俺は未来に喋り掛けた。


「あ、うん。もうちょっと待って……」


「お~い、夢佳! そろそろ行けるか!?」


 背中越しに様子を伺っていたであろう夢佳にも声を掛けると、「は~い!」と返事が返ってくる。


「じゃあ私、もう行くから。ごめんね!」


 未来が愛想だけの笑顔でそう告げると、男子二人の冷めた目線が俺に向けられるけれど、そんなことは全く気にしない。


 両肩を落とす彼らを置き去りにして、俺と未来、夢佳の三人は教室を後にして、図書室へと向かう。


「ごめんね、珠李」


「いや、気にするな。それだけ未来が人気だってことだ。自信もっていいと思うぞ」


 これまでにも何度か、誰かから未来が取り込まれそうになっているのを、横やりを入れて邪魔したことがある。

 それもあって、恐縮しているのだろう。


「けど、未来が言っていたように、確かに面倒くさいな。まあ来るものは全部、俺が邪魔してやるけどな」


「ありがとう。私のこと、守ってくれるのね?」


「ああ。そんな大したものじゃないけど、大好きな未来のためなら、できる限りのことはするよ」


 そう言うと、未来が恥ずかしそうに、廊下の床に目線を落とす。


「あのさあ、二人とも。私もいるんだけど、忘れてない?」


「お、そうだな夢佳。クラス最強のお前がいると、もっと心強いな」


「は? 何よそれ。誰がそんなこと言ってるのかしら?」


「俺が思っているだけだけど、自覚ないか?」


「な……あるわけないでしょ、そんなの! 何でそうなるのよ!」


 全く身に覚えがないのだと言いたげに、俺の背中越しに食ってかかる。


 そんなやり取りをしながら図書室の扉を開けると、いくつかある閲覧用のテーブルのほとんどが埋まっていた。

 どこも、教科書やノートを広げて、神妙な面持ちで思惑に耽ったり、周りの邪魔にならないように談笑したりしている。


「やっぱり、試験期間だけあって、混んでるね」


 俺達三人は、未来の提案で、ここ何日かの放課後はここにいる。

 期末試験の勉強を、一緒にやろうということだ。


 転入したてで泥縄状態の俺と、元々勉強が得意ではない夢佳は、一にも二にもなく飛びついた。


 空いた場所を確保して、暗くなるまで勉強をして帰る。

 ここ数日の放課後の風景だ。


 そのお陰で、試験範囲の内容については、だんだんと理解が深まりつつある。

 未来の教え方は一つ一つ丁寧で、分かりやすいのだ。


「いくらやっても、全然自信がないなあ」


「夢佳は暗記は何とかなっているから、あとは数学と理科かな。珠李も一緒だね」


「そうだな。何か難しく考えるのが苦手でなあ」


「まず公式を覚えるんだよ。それから練習。それで大体いけるよ」


「よし。じゃあひたすら問題を解けばいいんだな」


 未来のアドバイスに従って、難解な文字や数字の行列に対峙する。


 初夏の遅い夕暮れまで未来先生のご指導を仰いでから、試験期間中ということもあって、どこにも寄らずに駅で解散した。


 とはいえ、家に帰っても何もない。

 適当な定食屋を見つけて腹を満たしてから、少し散歩して家に向かった。


 エントランスを抜けてエレベーターの前で待っていると、一陣の風が頬を撫でたような気がした。


 入口の方に目をやると、そこには小柄な人陰が。


 いつも最上階のボタンを押す、女の人だ。

 最近よく遭うな。


「こんばんは」


 俺のことを覚ているのか、彼女の方から声を掛けてきた。


「どうも、こんばんは。今日は早いんですね」


「え?」


「いえ、前にお会いした時とか、もっと遅い時間でしたから」


「あ、もしかして、彼女さんと一緒にいたときとか?」


「いや、彼女は、そんなのじゃあないですから」


「ふーん……」


 赤い縁の眼鏡をかけて、口元を緩めるその女性は、今日も常人ならざるオーラを放つ綺麗さで……


 ―― あれ?


 ちょっと待て、この顔……


 エレベーターが降りて来て、二人で乗りこむ。


「えっと、最上階で良かったんでしたっけ?」

「あ、はい」


 彼女に確認をしてから、12階と18階のボタンを押す。


「あの……」


「はい?」


「もしかして、霧島希美さんですか?」


 先ほど感じたことを、そのまま口に出した。

 同じだったのだ。

 赤い縁の眼鏡をかけてほほ笑む、篠崎未来の顔と。


「……ばれちゃいました?」


 ぺろっと舌を出して、ばつが悪そうに、眼鏡の脇から上目使いで視線を送ってくる。


「ごめんなさい、もしかしてと思って」


 エレベーターの表示が12階を指して、ドアが開いた。


「あの……」


「はい?」


「篠崎未来さんと、やっぱり似ていますね」


「……!」


 霧島さんの目線が、俺の顔面に固定された。

 何か言いたげに、微かに唇を動かしているけれど。

 

 それだけ伝えて、エレベーターの個室から出ようとすると、


「待って!!」


「はい?」


「妹を、知っているの?」


「高校で同じクラスで、隣の席です。だから霧島さんのことも、気づいちゃって」


「そう……」


 霧島さんは、エレベーターの解放ボタンを押しながら、


「あの、お名前聞いてもいいですか?」


藤堂珠李とうどうしゅり。1209号室です」


 それだけ伝えてから、軽く手を挙げて、廊下の床を踏みしめた。

 そんな俺を、霧島さんは、ただ黙ってじっと見送っていた。



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