第38話 実は……

 放課後の時間、俺の足は職員室の方に向いている。


『篠崎さんの件で、お話聞きたいんだけど?』


 こんなメッセージが、神代先生から入っていたからだ。

 

 今日のHRのために、先生が赤いヒールを鳴らして教室に姿を見せた時、クラス中の視線が篠崎未来に向いていた。

 先生もそれを敏感に感じ取ったらしく、同じ方へ自分の目を向けた。

 

 そして、片手で数えられないほどの秒数の間、その場で固まっていたのだった。


 職員室の扉を開けると、こちらに気づいた神代先生が、白い掌を振ってきた。


 ―― 今日も綺麗だなと思う。

 赤いミニスカートから覗く、きゅっと組まれた白い脚元からの引力に、つい目が引き寄せられる。


 つかつかと歩いて来た先生は、「ちょっと場所を変えましょうか」と耳元で囁いて、扉の外へ。

 その背中にくっついて、俺も廊下へと逆戻りした。


 ―― 他の先生方からしたら、よく呼び出しを受ける、出来の悪い生徒に映っているのかなと、勝手に苦笑する。


「今日も、理科室ですか?」


「そうね。どこでもいいのだけれど、あそこなら静かそうね」


 目的の場所に向かう廊下、特に何かを喋り続けるわけではないけれど、ゆったりと自然な時間が流れる。

 先生の歩みが、いつも見ているよりも、不自然なほどにずっと遅い。


「先生、さようなら!」


「さようなら。気を付けて帰ってね」


 途中で会う生徒達に、分け隔ての無い笑顔で挨拶を送る。


「期末試験の勉強、進んでる?」


「ぼちぼちですね。でも気づくと、先生のこと考えていて、勉強が進みません」


「……と、藤堂君……そういうのは、こういう所では……」


「あ、すいません。そうですよね」


 途端に、廊下に目を落とす神代先生に、笑って謝った。


 ゆっくりと時間をかけてたどり着いた理科室はやはり人影が無く、まだ明るい夏の陽光が差し込んで、窓越しに部屋の中の机やガラス器具を照らしていた。


「あの、篠崎さんのことなんだけど……」


「そうですよね、びっくりですよね」


「何か、知ってる?」


 薄黄色の日差しを横顔に受けながら、先生が申し訳なさそうに問うてくる。


「あれ、俺のせいかもしれません」


「え?」


「この前の土曜日に、彼女と話したんですよ」


「そうなんだ…… 珠李君が誘ったの?」


「いえ。彼女から、話したいことがあるから時間くれって。それで」


 そんな答えを送ると、なぜか先生は、少し表情を緩めた。


「相変わらず優しいのね、珠李君は」


「そうですか? でも、先生ほどではないですよ。生徒みんなに優しくて好かれていて」


「ありがとう。そう言ってもらえると、嬉しいわ」


「……先生は、霧島希美ってアイドルを、知っていますか?」


「霧島……希美……?」


 小顔を傾けて、いささか思い返してから、


「確か、今人気の子よね? テレビとかで、たまに見るわ」


「はい。その子と未来とのことで、何か聞いていませんか?」


「その子と、篠崎未来さん……? いえ、特には」


「そうですか、やっぱりな」


 予想した展開に、腕組みをしてうんうんと頷く。


「何かあるの?」


「これは、内緒にしておいて下さいね」


 多分、先生には、話しても問題はないだろう。

 むしろその方が、未来にとってもいいのではないだるうか?

 そう考えて。


 がらにもなく、真剣な面持ちをかざして、先生に向き直る。

 それを感じとったのか、先生も同じような表情になって、こくんと首を振った。


「彼女達は双子で、未来は、霧島希美の妹です。顔が同じなんですよ」


「…………え?」


 先生は緊張した表情のままで、


「それ、ホント?」


「はい、本当です。そのことで相当苦労していて、だから自分の顔を隠そうとしていたみたいです」


「……そうなの……?」


 ひとまず、それだけを伝えた。

 これ以上深いことは、俺の口からは言えない。


「全然知らなかったわ」


「両親が離婚したみたいで、苗字も違いますからね。普通は分らないですよ」


「そっか…… ありがとう。でも、彼女が顔をみせたってことは、何か理由があるのかしら?」


「えーっと、それはよく分かりません。俺は、そんな綺麗な顔を隠すのもったいないし、大好きだから、もっと自信をもてよって言いましたが」


「……そう。珠李君、あなたやっぱり、女の子を褒めるのが上手なのね……」


 ―― あれ? 神代先生、ちょっと怒ってないか?


 唇を尖らせて、なんだか視線が冷たい。

 何か怒らせるようなこと言っただろうか?


「ま、まあ……でも良かったわ。先生も、彼女のことは心配していたし。でも、そのことは隠したいのね?」


「みたいです。色々と聞かれたりするのが、面倒くさいみたいで」


「そっか……」


「でも顔が本当にそっくりだから、そのうち誰かから突っ込まれるでしょうね。取り合えず、『似ているってよく言われるのよ』で、胡麻化すみたいですけど」


「分かったわ。じゃあ先生も、そのことは知らないことにするわね?」


「はい。あ、他には、夢佳だけは知っていますから」


「鬼龍院さんね。了解」


 一しきり話し終えると、理科室にはまた、静かな空気が訪れる。

 

 神代先生が申し訳なさそうに、沈黙を溶かす。


「ごめんねいつも、珠李君。こういうのって本当は、先生が自分で聞かなきゃいけないんだろうけど」


「いいえ。俺の方が教室にいる時間は長いし、話はしやすいですから。それに、先生に言えないようなことはお伝えしていないので、そこは秘密厳守です」


「ありがとう。そうよね……」


「ところで先生?」


 少しだけ思考の中で、迷いの海の中を泳いでから、口を動かした。


「なに?」


「実は俺も、先生に話せていない、大事なことがあるんです」


 何も知らない彼女は、真っすぐにこちらを見返して、口の端を上げる。


 多分、記憶にあることは、先生には伝えておいた方がいいんだ。


「そっか……先生、なんでも聞くけど?」


「あの……今じゃなくて、試験が終わったら話します」


 でもなぜか、なかなか踏ん切りがつかない。


「分かったわ。それまで待ってる」


「ありがとう、先生。俺やっぱり……」


「ん?」


「あ、いや、何でもないです…… やっぱ先生は素敵です」


 いつも綺麗で、生徒思いで優しくて、真面目で一生懸命。

 誰にでも同じように笑顔を咲かせる。

 たまに、ちょっと頼りなくはあるけれど、そこは人間くさくて、むしろ魅力だと思う。


「あの……珠李君……とっても嬉しいんだけど、ここは学校だし……」


 頬を真っ赤に染めて、目を逸らす神代先生。


 昔の話を伝えた後でも、こんな感じで話せるのかな。

 自分が血塗られた兵士だったかもしれないと、彼女が知った後でも。




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