第37話 女神降臨

「本当に大丈夫? 一人で」


 夜の暗さの中で白い街燈が照らす中、

 水炊き屋を出たすぐ先で、夢佳が静かに問い掛けてきた。


 元々は夢佳にお願いされて、そして彼女のことが少し心配になって、一緒に過ごした。

 けれど今は、立場が逆だった。


 覚えている限り昔のことを思い返して、夢佳に言葉を投げた。

 そんな俺に、彼女は何も言わずに、ずっとすぐ横で寄り添ってくれていた。

 その時の俺がどんな顔をしていたのかは、自分では分からない。

 けれど、彼女は時折、心配そうな目を向けていた、


 そんな夢佳は今、泣く子供を思いやる母親のような目を、俺に向けている。

 心配しながらも優しく見守り、頭を撫でて、落ち着くのを待つような。


 俺は泣いてはいないけれど、彼女は何かを感じているのだろう。

 俺の不安定さ? 不安? 脆さ? 


 それとも、彼女自身の心の不安もあるのか?


 心配しているのは明らかだった。

 二人きりの席で、俺があんなことを言ったから。


「ありがとう。大丈夫だ、ちょっと頭を冷やすよ」


「そう……」


 少し寂し気な顔で俯いてから、夢佳は顎を上げた。


「分かった。じゃあ、また明日ね」


 どうやら、彼女の家の方は落ちついたようで。

 それだけ言葉にしてから、手を振って俺から離れていく。


「お~い、ありがとうな!!」


 そう叫ぶと、彼女は振り向いて、手を振りながら笑顔を返してくれた。


 それから、一人でしばらく夜の街を目的もなく徘徊して、頭の中を冷却してから、自宅へと足を運んだ。




◇◇◇


 月曜日の朝、今日からまた一週間が始まる。

 天の青に目を送りながら歩道を足で踏みしめて、人込みに紛れて、学び舎へと向かう。


 いつもの教室に足を踏み入れてから、すぐに異変に気付いた。


 クラス中の目線が、一点に集中している。

 教室の後ろの、窓際あたり。

 俺の机があるあたりだ。


 何だろうかと勘繰りながら、角にある自分の小机に鞄を置くと、小さく声が聞こえた。


「おはよう、珠李……」


「ああ、おは……よ?」

 

 はあ……?


 すぐ隣の席には、長い黒髪を背中に流して、赤い縁の眼鏡をかけて口角を上げる、可憐な少女がいた。

 分厚い眼鏡とマスクに覆われた顔の女の子は、そこにはいなかった。

 大きな瑠璃色の瞳が、俺が阿呆のように立ち尽くす姿を映していた。


「しの……未来……?」


 それは、篠崎未来。

 休日を一緒に過ごした時の素顔が、そこにあった。


「ん……? そうだよ、他に誰がいるのよ?」


 はにかんだ表情を向ける彼女に、半ば以上見とれながら、何とか言葉を発した。


「やっぱり……その方がいいよ」


「ありがとう」


 彼女の笑顔は柔らかく、その背後で金色の粉雪が舞い上がるような錯覚に襲われた。


 クラスの目は、悉く、ここに集まっていたのだ。


 先週末までは、目立たなくて誰も気に掛けなかった場所に、今は女神のような美少女が現出したのだ。

 何も知らなかった面々の動揺は、半端ではないだろう。


「あれ、篠崎さん……か?」


「うそ……別の子みたい……」


「……あんな、可愛かったのかよ……?」


 教室の至る所から、そんな言葉が流れてくる。 

 その反応は正しいだろう、俺もそうだったんだ。


「なによ珠李? 私、どこか変?」


「いや…… 全然変じゃないぞ。今の未来、凄く良くて、大好きだぞ」


「ふふふ…… ありがとう」


 ぎこちない俺と、くったくのない未来の元へ、夢佳が金色の髪を棚引かせて、颯爽とやってくる。


「おはよう、未来! 珠李!」


「お、おはよう……夢佳……」


 金髪と黒髪の美少女の競演に、クラスの視線はより熱くなっていく。


 少し吹っ切れたのかな、未来。

 俺の方もいろいろ余計なことを言ってしまった気もするけど。

 でも、彼女と話したことは、彼女のためにも良かったとのだと信じたい。


 そう思って、内心一人の世界でほくそ笑んでいると、


「……珠李?」


「あ……はい?」


「どうしたのよ、ぼーっとしちゃって」


「いや、ちょっと空を見てて……」


「空って……床の方向いてたじゃん?」


 相変わらず、夢佳は鋭いな。


「な、なんだよ、一体?」


「だから、テストの勉強大変だねって。聞いてなかったでしょ?」


 俺が一人で呆けている間に、そんな話題になっていたようだ。


「ああ……そうだな、大変だな。俺なんか転入したてて、全然分ってないし」


「よかったら、ノート貸そうか?」


 そう言って未来が、赤い縁の眼鏡の奥から、大きな瞳を向けてくる。


「え、いいのか?」


「うん。例えばこんなやつ」


 未来が差し出したノートには、先生が板書したと思われる内容が、読みやすいように適当な間隔で手書きされて、赤や青で色分けや線引きがされていた。

 あとで見返して分かりやすいように、彼女なりの工夫なのだろう。


「ふうん。流石、成績優秀者のノートだわね」


「え、なんだそれ?」


「定期テストの上位50位までは、掲示板で名前と点数が貼り出されるのよ。確か未来は、名前出ていたよね?」


「あ、中間の時かな。運が良かったんだよね」


 別に何でもないと言いたげに、表情を変えずに笑い返す未来。


 確か未来は、勉強も運動も何をやっても駄目だったって、話していた気がするけども。

 …… それだけお姉さんの方が凄かったのかなと、ふと頭に過った。



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