第33話 秘めた理由

「自分の顔じゃない気がするんだ……」


 篠崎さんは、静かにそう言葉にした。


「どういうことだ、それ?」


 理解ができずに、思わず訊き返してしまった。


「自分と同じ顔のスーパーマンがいて、いつも一緒にいたら、どうなると思う?」


「は? なんだよそれ。まあ……ピンチの時に助けてもらえるとかか?」


「確かに、それはあるわよね。私とお姉ちゃんも、最初は仲が良かったのよ。私は泣き虫だったから、よく慰めてもらったりしてね」


「へえ。いいお姉さんじゃないか」


「そうね。何でもできる、いいお姉ちゃん」


 遠い目をしながら、昔の微笑ましい思い出のような話を語る。

 口元は笑っているけれど、どこか儚げで、消え入りそうな微笑だ。

 

「何でもできる面倒見にいいお姉ちゃんと、何もできない泣き虫の私。家の手伝いでも、勉強でも運動でも、みんなお姉ちゃんの方が上、何をやっても敵わなかった」


 何だか、楽しいだけ話ではないような予感がした。 

 力なく話をする篠崎さんに、意識を向ける。


「お姉ちゃんは明るくて優しくて、何でもできて。だから、みんなから好かれたわ。私はそんな風にはできなかったから、あんまり相手にされなくてね。そしたらいつの頃からか、『未来ちゃんは希美ちゃんに、顔だけは似ているね』って言われるようになってね」


「……そうなのか? 酷いこと言うなあ」


「うん。友達も親戚も、親だってみんなそう。そのうち、話し方とか態度とかも変わってきて。買ってもらえる物とかも違ってきて、一緒にいるとどんどん気持ちが沈んでいっちゃってね」


「それは酷いな。親もそうだったのか?」


「お父さんの方が特にね。何かできたご褒美だとかいって、お姉ちゃんだけ連れてどこか行ったり、一つだけお土産買ってきてお姉ちゃんにあげたりね」


「お父さんは、厳しかったのか?」


「厳しくはなかったよ。でも、何にも言わなくても何でもできるお姉ちゃんのことは、大好きだったみたい。挨拶をしても、お姉ちゃんと私とでは、顔が全然違ったし。私なんか誕生日に、おめでとうって言われた記憶もないのよ。二人、同じ日に生まれたのにね」


 俺に父親の記憶はないし、一人っ子だったと思うので、そんな風に比較や差別をされた経験は、恐らく無い。

 そんな親や親せきがいるのかとは思うけれど、篠崎さんが俺に嘘を言う理由はないんだ。


「だから、お姉ちゃんとは、できるだけ一緒にいないようにしたの。私と一緒だと迷惑かけるかもだし、それに私自身も耐えられなくて。そしたら、みんなお姉ちゃんの方にいっちゃって、私は誰からも話しかけられなくなったんだ。家でも、学校でもね」


 話しているうちに、つらい思い出が蘇ってきたのか、篠崎さんの表情がだんだんと曇っていく。


「ずっと一人の時が多かったなあ。家でも学校でも。お母さんだけは気を使ってくれて一緒にいてくれたけど」


「……お母さんは、いい人だったんだな」


 この時だけは、いい笑顔でコクンと頷いてくれた。

 けれどすぐに、また光の無い表情に戻る。


「私とお姉ちゃん、苗字が違うの分かるでしょ?」


「ああ」


「親が離婚する時に、どっちが子供を引き取るかって話になって、お父さんが言っていたわ。『せめて希美だけはよこせ』って。せめてって、どういうことって思わない?」


「そりゃ、そうだな……」


「お母さんは、『あなたは子供を選べるの!』って怒っていたけど。だから今は、お母さんと二人暮らしなんだ」


「そうか……」


 きっと、辛かったのだろう。

 もし自分がそんな感じでいたらと思うと、同じように思って、同じように落ち込んだにかも知れない。


 けれどだからといって、そこまで自分の顔を、嫌いになったりするものなのだろうか。


「篠崎さん、気持ちは分るけどさ、俺は篠崎さんのその顔、好きだぞ。俺はお姉さんのことは知らないけど、俺にとってはその綺麗な顔は、篠崎さんそのものだ。もっと堂々としていても、いいと思うぞ?」


 気の利いた言葉は見つからないので、思ったことをそのまま素直に伝えてみる。


 そんな言葉にも、篠崎さんは表情を変えることはない。

 曇らせた瞳を、テーブルの上に向けている。


「ねえ藤堂君、仮にだよ?」


「うん」


「自分が大好きな人が、告ってきたらどう思う?」


「え……そりゃ、めちゃくちゃ嬉しいんじゃないか?」


「そうよね……じゃあ、その人には別に好きな人がいて、自分はその代わりだったとしたらどう?」


「そりゃ、どうかなあ。理由はどうであれ一緒にはいられるけど、でも心はここにあらずってか……難しいな」


「そんな気持ちでさ、エッチされたらどう?」


「エッチ……それって……?」


 篠崎さんは寂し気な顔を上げて、俺と目を合わせた。


「一緒にいても心はここになくって別の所だって、幸せいっぱいの大事な時に分かっちゃったら、悲しくない?」


「分かっちゃったって、なんで?」


「私を抱きながら、耳元で他の子の名前を囁くの」


 ……そんなこと、あるのか……


「それ、お姉さんの代わりに、篠崎さんとってことか?」


「例えばよ……でも、そんな感じで近寄ってくる子は多かったわよ。て言うか、ほとんどそればっかりって感じ」


「……それ……本当に、例えばの話なのか?」


 言葉は返ってこなかったけれど、沈黙とその表情が、答えを語っていた。


「中学に入ったら、男子の友達の方が多かったわ。けど、みんなお姉ちゃんの噂話をするのよ。中二でお姉ちゃんが芸能界デビューをしてからは、特にね」


「中二でデビュー ……凄くないか、それ?」


「街でスカウトされたみたい。あのお姉ちゃんなら、不思議じゃないけど」


「そうか……でもそれなら、篠崎さんもモテたんじゃないのか?」


「私はダメ。そんなに明るく話せなかったし、やっぱり何をやってもダメだったし。言い寄ってくる子もいたけど、本命はお姉ちゃんなんだってのが、どっかで分かるし」


「……篠崎さん……」


 ふっきれているのか、あきらめているのか。

 たんたんと喋る彼女に、かける言葉が見つからない。


「だからさ、この顔でいるのが、面倒くさくなっちゃって。二人同じ顔なんかじゃなかったら、もっと違ったかもなって思うのよ。こんな綺麗じゃなくて、もっと普通の顔で、全然いいのになあ……」


 そう言って、遠い目をする。


「それで、顔を隠したのか?」


「変でしょ? でも、何か違ったことがしたいなって思って。整形したいって言ったらお母さんに滅茶苦茶怒られたから、じゃああんな感じかなって。つまらない、抵抗みたいなものかな」


 気持ちはよく分かった。

 自分を変えたいと思って、そうした方法しか思いつかなかったのだろう。


 けれどそれで悪目立ちしてしまって、赤石達に目を付けられることにもなったのだ。


「篠崎さんの気持ちは、よく分かったよ。けどそれで赤石達には、変に注目を浴びてしまって、大変だったな」


「そうね。けど、あれこれ突っ込まれるよりも、無視してもらう方が気楽だったかもね。教科書を破かれるのはきつかったけどな。家で勉強していると、お母さんに心配をかけるから」


「まあ、それはもう無くなるよ。あいつらも、心を入れ替えたみたいだし」


「そうさせたのって、藤堂君よね?」


「そうだなあ。成り行き上、そうなったのかな。でも、大したことはしていないよ。一発ぶん殴っただけさ」


「殴ったって……赤石君を?」


「うん。ま……成り行きでな……」


 目を丸くした篠崎さんは、それからぷっと噴き出した。


「なにそれ? 藤堂君も、結構無茶苦茶じゃない」


「そうか? 俺は腹が立ったから、やっただけだぞ。か弱い女の子を傷つけるなんか、最低だ。けれど、あいつらも一応改心はしたみたいだから、これからは、普通に話ができたらと思うよ」


「……そうね」


「それより、話してくれてありがとう。何で俺に、話してくれる気になったんだ?」


「さあ、何でかな…… 高校に入ってから普通に話してくれたのが、藤堂君が最初だったからかも。こんな変な奴に話し掛けるの、嫌じゃなかった?」


「いや、全然。なんか事情があるんだろうなとは思ったし。それに変な奴っていうなら、俺も一緒だ」


「藤堂君は、別に変じゃないよ」


「いや……そうでもないさ」


 不思議そうに目線を向けてくる彼女に、俺はゆっくりと言葉をつないだ。



 


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