第32話 篠崎さんとのランチ

「なんでもいいんなら、私が選んでもいいの?」


「うん。俺、食べられないものないし」


「じゃあ……こっち」


 篠崎さんに引っ張られるような感じで、人込みの中を進んでいく。

 黒髪を靡かせて軽快に歩く彼女は、普段の地味で大人しい姿からすると、まるで別人のような印象だ。


「ここでいいかな?」


「うん、パスタ屋さんだね?」


「ええ、ここ有名なのよ」


 木目調で統一されたスタイリッシュな店舗の前には、ランチには少し早い時間ながら、既に大勢が列を成している。

 ほとんどが女の子のグループか、男女の組み合わせで、楽し気に語らっている。


 普段自分が通う定食屋や居酒屋とは違うなと思いながら眺めていると、


「あの、すみません……」


 後ろに並んでいた女の子が、篠崎さんに声を掛ける。


「はい?」


「霧島希美さんですか?」


「いえ、違います。似ているってよく言われるんですけど」


「……そうですか」


 篠崎さんが否定した後も、後ろの女の子は、ちらちらと篠崎さんに目線を投げてくる。


 ―― なんだ、これ?


 周りから流れてくる会話に、耳がピクリと反応する。


「似てるね、たしかに……」


「あれ、霧島希美本人じゃないの?」


「……違うって言っていたけど、でも……」


 視線が篠崎さんの方に流れていて、どうやら彼女のことを喋っている感じだ。


「なあ篠崎さん、さっきのって……」


「お願い、黙ってて。後でちゃんと話すから」


 首をぐっと折って俯く彼女が、急に小さく見えた気がした。


 やがて順番が回ってきて、店内に案内された。

 店舗の外装と似付かわしい色調のテーブルを挟んでいて、その一つに顔を合わせて腰を下ろす。


「カルボナーラとボンゴレロッソ、セットでお願いします」

 

 オーダーを通して、グラスの水を含みながら、周囲に目を渡す。


 ―― 妙に視線を感じるな。

 悪意は感じない、けれど、好奇に満ちた視線。


 先ほどから会話にも交じっている、『霧島希美』のワードが、耳にくり返し流れてくる。

 

 誰だそれ?

 篠崎さんに訊いてみたいけれど、止められたばっかりだしな。


「ねえ、藤堂君」


「なんだ?」


「……この顔を見て、何とも思わない?」


「凄く綺麗だと思うぞ。正直びっくりしたよ」


「それだけ?」


「それだけっていうか……眼鏡やマスクで隠しておくの、勿体ないと思うぞ? きっと、人気者になること請け合いだ」


「……そうなんだろうけどさ……」


「何か心配事でもあるのか?」


 篠崎さんが口元を緩めて、サングラス越しに真っすぐの視線を送ってくる。


「藤堂君みたいな人めずらしいから、何だか話ししやすいな」


「え……そうか?」


 意味がよく分からないけど、肩を小さくすぼめて下を向く彼女を前にして、胸の中に雲が広がった。

 何か悩んでいるのだろうな、そう直感するのは容易すかった。


 余計な事は話さないでいると、茹でたての湯気が立つパスタに、サラダとスープが運ばれてきた。


「さあ、食べようぜ。食べたら行きたいとこあるからさ、付き合ってくれよな」


「藤堂君……」


「あ、こっちの分けるからな。どっちも美味そうだ」


 取り皿にボンゴレロッソを小分けにして、篠崎さんの目の前に置く。


「じゃあ、私のも……」


「おう、ありがとう!」


 トマトソースの味を堪能してから、緑の葉野菜を豪快に頬ばる。

 オニオンスープの甘い風味が鼻を満たして。

 カルボナーラの濃厚な甘みも絶品で、思わず頬が緩む。


「美味いなあ、ここ」


「うん、美味しい……」


 小さな口の端を緩める篠崎さんを目に入れて、少しほっとする。


 食後のコーヒーを啜っていると、


「ねえ、藤堂君」


「んん?」


「これ、声を出さないで見てみて」


 そう言って、スマホの画面を向けてくる。


 そこには、水着姿の篠崎さんが映っていた。


 ―― 結構、胸大きいな。

 両の腕で胸元を挟んでいるためか、そこが異様に強調されている。

 真っ白い体に赤くて小さな布切れだけを申し訳程度に纏っていて、男心を思いっきりくすぐられる。


「え……これ、篠崎さん?」


「ううん。これはお姉ちゃん」


「お、お姉ちゃん……?」


「そう。霧島希美、人気アイドルよ」


「はあ……?」


 顔は篠崎さんそのものだ。

 けど、お姉ちゃんってことは……別人?


「これ、篠崎さんじゃないのか?」


「そっくりでしょう? でもこれは別人。私の双子の姉の、霧島希美」


「双子……姉?」


「そう」


「……そうか。だからさっきから、周りの人が?」


「そう。顔を出していると、しょっちゅう間違われるのよ」


「そっか……ちなみに、篠崎さんが水着になっても、こんな感じなのか?」


「ちょ……藤堂君!?」


「うわ、すまん、冗談だって!」


 本気で怒りかけて鞄をぶつけようとする篠崎さんに、一先ず頭を下げる。


 しかし、それにしても、よく似ている。

 これなら間違えられても、本当に不思議ではない。


「もしかして、篠崎さんが顔を隠しているのって、これが理由か?」


「……うん」


「姉さんに、間違われないようにするためか?」


「それもあるけど……」


 他のテーブルには聞こえないほどの小声で、篠崎さんが言葉を繋ぐ。


「お姉ちゃんの迷惑にならないためと、その……」


 言い淀んで、少しの間静かな時間に身を置いてから、


「この顔が嫌いだから」


「……嫌い?」


「……うん」


 篠崎さんはコーヒーカップに口を付けて、はあっと大きなため息を吐いてから、また言葉を紡いでいった。






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