第27話 話さないと
朝食を済ませると、俺の足は玄関へと向いた。
一旦家に帰って、今日の学校のための準備をしないといけない。
「じゃあまた、学校で」
「あの……珠李君?」
「はい?」
「学校では、私達、先生と生徒、よね?」
「もちろんですよ、
「うん、またね、
もちろんだ、先生。
先生には頑張って欲しいし、俺はそれを応援する、一生徒でもあるんだ。
柔らかな笑顔に背中を包まれながら、先生の部屋を後にする。
嬉しさで気持ちが昂る中、赤く染まった東の空を見やりながら、足取り軽く家路を急いだ。
熱い夜は明けて、朝の教室に顔を出す。
寝不足のはずなのだろうけれど、至福の時を過ごしたせいか、ほとんど気にならず、むしろ力が湧いてくる。
前の方の席で机に肘をついて座っている、夢佳に声を掛けた。
「おはよう、夢佳……なんか、眠そうだな?」
「うん、昨日ちょっと、本家の奴に呼ばれてさ。それで遅くまで……」
「そうか。お前も大変なんだな。悩みがあるなら訊くぞ?」
「ありがとう……」
眠そうな目をこちらに向けて、だらしなく口元を脱力する。
可愛い顔が台無しだな、全く。
「篠崎さんと話をしたいから、昼飯に誘おうと思うんだけど、来てくれるか?」
「ふああ~い」
目を擦りながらの夢佳を引き連れて、隣の席の篠崎さんの前へ。
「おはよう篠崎さん」
「あ……おはよう」
「あのさ、ちょっと話したいことがあるからさ、お昼、時間もらえないかな?」
「……え……?」
相変わらず、分厚い伊達眼鏡と大きなマスクのせいで表情は分らないけれど、半身直立の体が強張ったのは見てとれた。
「えと、なんで……?」
「それは昼のお楽しみ。なあ、夢佳?」
「あ、うん……」
「でも私、お昼はここで、お弁当だし」
「じゃあ、俺達も購買で買ってくるから、どっかで一緒に食べないか?」
「……あの、私はいいけど、そっちはいいの?」
「ああ、全然いいんだ。じゃあ、よろしくね」
逡巡の空気を醸した篠崎さんからなんとか了解を取り付けて、まずはひと息。
次は――
今朝も四人で屯っている、赤石、青芝、茶野、大田黒の元へ、ゆったりと足を進める。
「ちょ……珠李?」
「大丈夫」
不安がる夢佳を制して、赤石の前に立つ。
「おはよう、赤石君」
「……ああ?」
突然の望まない来訪者を目にして、あからさまに拒絶の表情を作り出す赤石。
かつてない光景を目の当たりにしたためか、談笑が飛び交っていたクラスに沈黙の帳がおりて、冷えた空気が降り注ぐ。
なんなんだあいつは……
一体何を考えて、あいつらに声なんか……
あーあ、終わったな……
口には出さないけれど、きっとみんな、そんなことを思っているのだろうな。
驚きと好奇の眼から、しんしんと伝わってくる。
「話があるんだ。今日の放課後、時間をもらえないか?」
「何を……?」
「青芝君、茶野君、大田黒君、君らも一緒にだ」
「ぐ…………」
赤石は、自分の歯を噛みくだかんとするばかりに、顎で噛みしめて、歪んだ目を向けてくる。
反抗とも恐れとも、どっちにでもとれそうな。
同じように他の三人も、互いに目線を交わし合い、怪訝そうな顔を向けてくる。
「いいよな!?」
「……ああ、分かった……」
軽く睨みを利かせたダメ押しに、赤石がしぶりながらも首肯する。
見ていて、何だか可笑しかった。
昨日までなら恐らく、威嚇や罵詈雑言の嵐で、俺を迎えたことだろう。
けれど今日のこいつらは妙にしおらしく、意地を張った普通の学生のように見えた。
スタスタと席に戻る俺に、何も起こらなかったことに対しての安堵の表情が、四方八方から向けられる。
それは、夢佳も同じふうで、
「ねえ、珠李、放課後って……」
「ああ、ちょっと、内緒の相談だよ」
そう伝えながら片目をパチンと瞑ると、夢佳は全部を察したかのように、不安げに頷いた。
ほどなくして予冷が鳴ると、いつものように神代先生がやってきた。
背筋を伸ばして、カツカツとヒールを鳴らしながら。
長い髪を後ろに括っていて、昨日とは少し違う、快活な空気感の中にいる。
黒のタイトミニが、相変わらず抜群のスタイを引き立てている。
つい何時間か前まで、この人と……
思い返すと顔面が突沸して、頭から蒸気が立ち上る。
でも先生、ちょっと緊張気味だな。
無理もない、自分を襲おうとした連中が、目の前に首を揃えているのだから。
頑張れ、先生。
教室の一番後方隅からじっと目線を送ると、チラリとこちらに目を返してきて、小さく頷いた。
「おはようございます、みなさん。そろそろ、期末試験の期間に入りますが――」
いつもの笑顔、透き通るような声、
教室中から歓声が上がるけれど、昨日よりも静かだ。
赤石達一党が、大人しいからだ。
昨日のこともあって、流石に同じ態度がとれるほど、無神経でも身の程知らずでもないようだ。
下手なことをすれば、俺から反撃があることっも、当然予想の範疇だろう。
―― ずっと緊張しっぱなしも、お互いにとって、よくないんだろうな。
すぐには無理でも、もっと和やかになると、みんな過ごしやすいよなと夢想する。
HRが終ってから、スマホから先生にメッセージを送ると、即レスが返ってきた。
『美玲さん、今朝も綺麗でした。今日、篠崎さんや赤石達と、話してみますので』
『分かった、ありがとう。珠李君も素敵よ』
それから授業も上の空で、これからどう話をしようかと、頭を捻る。
そういえばもうじき期末試験らしいけれど、転入間もない俺にはハンデがデカすぎる。
ほとんど白旗状態で直面することになるのだろうな。
まあいいさ、とりあえず俺は、高校生活がどんなものか、体験できればいいんだ。
そうして、午前中の最後の授業が終わりと告げると、俺は隣の席の篠崎さんに声を掛けた。
「篠崎さん、ちょっといいかなあ?」
「うん……」
夢佳とも合流して購買でランチを購入して、
「どこで食べようか?」
「そうね。屋上とか、眺めがいいかもよ?」
「篠崎さん、それでいいかい?」
「うん……」
どうして自分が呼ばれたのか分からないであろう篠崎さんは、一番後ろから黙ってついてくる。
屋上につながる鉄の扉を開け放つと、目の前に澄んだ青空が広がり、白くて大きな入道雲が浮かんでいた。
真夏の到来間近、そんな予感をさせる陽気だ。
水槽脇の影で、コンクリートの床に腰を下ろして、ぎこちなく会話を始めた。
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