第26話 熱い夜

 一人になったリビングで、はあっと吐き出した自分の息を嗅いでみる。

 念入りに磨いたけれど、酒臭いかな?


 まあそれは、先生も俺も、お互い様かな。

 ついさっきまで二人で、酒宴に興じていたのだし。


 そわそわしながら、落ち着かない時間を過ごす。


 そう言えば、先生はどんな本を読んでいるんだろう?

 本棚の方に近づいて、

 

 ―― 英語の教育書、教師としての心得、生徒の心理学……真面目だな。

 あとは……恋愛小説っぽいのや、推理小説、旅の雑誌……

 お? 漫画もあるじゃないか、恋愛ものっぽいタイトルだな。


 ……あまり詮索し過ぎるのも、よくないな。

 ソファに座り直して、また悶々とした時間を過ごす。


 ややあってから、シャワー室につながる扉が開いて、ピンク色の寝間着に身を包んだ先生が、姿を見せた。

 化粧も落として素顔のためか、普段よりも幼くて可愛らしい。


「おまたせ、藤堂君」


「……先生、その格好、可愛いですね。普通の女の子みたいです」


「そう?」


「ええ、先生っていうよりも、美玲さんって感じです」


「え……あの……ね、寝ましょうか?」


「はい」


「電気、消すわね?」

 

 暗くなって淡い月明かりだけが照らす部屋の中、

 ソファの上で横になろうとすると、ベッドの方から切なそうな声がした。


「ねえ、藤堂君……」


「はい」


「そこがいいの?」


「いえ、そういうわけでは……」


「こっち、来る……?」


「……はい」


 ―― 不安はある。

 けど、ここで断ったら、馬鹿だよな、俺。

 

 先生が身を横たえるベッドに腰を下ろして、彼女の方に目線を落とすと、

 彼女の方も濡れた目で、じっと俺を見つめ返していた。


 心臓の鼓動が速さを増して、体の奥から熱いものがこみ上げてくる。


 ―― いいよな……?


 そっと先生の横に身を寄せて、彼女の髪の毛を撫でる。

 甘い匂いだ、多分、今の俺の髪と、同じ匂い。


「先生……」


「……藤堂君……いけないかな、こんなの……?」


 俺の気持ち、そして自分の気持ちを確かめるように、少し不安げに訊いてくる。


「いいえ……先生、綺麗です」


「……藤堂君……」


 先生がお風呂に入っている内に、ポケットに入れておいた安全装置を、もう一度確認してから、

 俺の中のやんちゃな部分を抑えていた理性の鍵を、ゆっくりと外していく。


 白くて整った顔に自分の顔を寄せ、柔らかそうな唇に自分のそれを重ねた。

 温かい吐息が、直接俺の口の中に流れ込んでくる。


 真っ白な丸い膨らみに指を沈め、ほどよい肉付きの脚に指を這わせると、彼女の唇から切なげな声が漏れる。


「はああ……っ あ……っ!」


 途切れがちに、悩ましく艶めかしい声があがる。


 俺の理性はどんどんと遠のいていって、

 二人とも、どんどんと欲望の虜になって――


 そして二人は一つになって、どこまでもどこまでも愛し合い、感じ合った。


「珠李君……」


「はい、美玲さん」


「……とっても良かった……」


「俺もです」


 全てが終ってから、俺と先生は、下の名前で呼び合うようになっていた。


 先生と抱き合って、心と体の両方で温もりを感じ続ける。


 そうしていると、俺の頭の中で、淡く弾けるものがあった。


 ―― この温もり、多分以前にも。


 いつ、誰と? 

 それは分らない。

 けれど、いつか感じたことがあると、記憶の断片が語っていた。


 分らない。

 けど今は、目の前の先生に、俺の意志は囚われる。


「とっても綺麗です、美玲さん」


「……ありがとう。でも、恥ずかしい……」


「あの、美玲さん……」


「なあに?」


「良かったら、もう一回……」


「えっ!?」


「だって、あまりにも素敵だから、我慢できなくて……」


「……うん……じゃあ、来て……」


「美玲さん!」


 恥じらいながらも笑顔を浮かべる先生を、また抱きしめる。

 そしてまた俺は、先生の白い柔肌と甘い吐息に、溺れて沈んで行く。


 その夜はほとんど一睡もすることなく、二人で体を重ね合った。


 やがて外が白み始めて、


「ねえ、珠李君」


「はい」


「私とこんなことになって、良かったの?」


「……最高の気分です。大好きな先生……美玲さんと、こうしていられて」


「……ありがとう。私もよ」


 彼女の方から顔を寄せて、軽く俺にキスをする。


「美玲さん、俺一旦、家に帰りますね」


「ええ、そうよね…… ねえ、良かったら、朝ごはんだけでも食べてく?」


「え、いいんですか?」


「ええ。玉子とトーストくらいしかないけど」


「美玲さん、それで、十分過ぎます」


 生まれたままの姿でベッドから身を起こした先生は、シャワー室の横に掛かっていたバスローブを羽織ると、キッチンに立った。


 トーストを焼く香ばしい香りが鼻をくすぐり、フライパンで食材を熱する音に耳が喜ぶ。

 家から着てきた服装に着替えて待っていると、


「コーヒー入れようか? インスタントだけど」


「はい、お願いします」


 キッチンから、柔らかそうな目玉の乗ったハムエッグとサラダ、それときつね色にこんがり焼けたトーストが運ばれてきた。

 あと、白い湯気が香るコーヒーカップが二つ。


「美玲さん」


「ん?」


「本当のモーニングコーヒーですね」


「そうね」


 二人で笑みを交わしながら、朝一番の静けさに包まれた時間を、ゆっくりと過ごした。



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