第24話 先生の本音

「「じゃあ、かんぱ~い!」」


 黄色で泡だった液体に満たされたジョッキを軽く合わせて、ぐっと数口。

 神代先生も両手でジョッキをもって、コクコクと喉を鳴らす。


「いい飲みっぷりですね、先生」


「私、お酒はそんなに飲めないのよ。でも、藤堂君と一緒だと、なんだか美味しいわ」


「俺もです。部屋で一人でチビっているよりも、こうして先生一緒の方が、断然いいです」


「ごめんなさい。本当なら。先生が生徒をこんなとこに呼んじゃ、いけないんだろうけど」


「まあ、普通に暮らしてたら、学校の外で出会うことはあるし。それに今の俺は、高校生には見えないでしょ?」


「ふふっ、そうね。今は、普通に素敵な大人って感じよ」


 お酒のせいで気分が高揚しているためか、聞いたことが無いようなワードが飛びだして、胸をくすぐられる。


「そうですね。先生も、とても綺麗で、素敵な大人の女性って感じですよ」


「……藤堂君って……やっぱり、褒めるのが上手ね……」


「褒めるっていうか、思ったことが自然に、口から出るんですよ。先生は学校の中でも外でも、最高ですよ。俺は大好きです」


「あの……と……藤堂、君……」


 俺からの返しに、先生はまたいつものように、顔を真っ赤に染めていく。

 少しトロンとした目元と半開きの唇が、なんだか艶めかしい。


 見つめると、先生の方も俺の目線を捉らえて――


「はい、お待たせ致しましたあ、皮とレバーとねぎま、それとつくねですねえ!!」


 二人の世界に入り掛けたと思ったら、威勢のいい声にまたしてもかき消される。


「ふふっ、食べようか?」


「はい、頂きます」


 あつあつの焼き鳥を口に入れて噛み締めると、じゅわっと油が染み出して、甘辛のタレと交じって絶妙のハーモニーだ。


 先生の方も口元をモグモグとしながら、チビチビとジョッキに口を付ける。


「今日は本当に、藤堂君のお陰ね。もっとしっかりしないとね、私」


 やはり気にしていたのか、まだ怖さが残っているのか、神代先生がその話題を持ち出した。


「先生、ああいう連中の方がレアだと思いますよ。他のほとんどの生徒は先生のことが好きで、尊敬してると思います。だから、あまり気にしないで下さい」


「ありがとう。でも……明日から、彼らとは、どう接したらいいか……」


 不安げに目を曇らせてから、心音を吐露した。

 

 そうだ、あんなことがあったとはいえ、これから一年近くの間、ずっと顔を会わせることになるのだ。


「お察しします。多分、もう何もしてこないとは思うけど。でも、先生は何も悪くないんだから、あんな奴ら、ガンガンやってもらったらいいと思います。不安だとは思うけど、俺ずっと、先生の傍にいますから」


「ありがとう、藤堂君。あの、赤石君が地面に転がっていたけど、藤堂君が喧嘩したの?」


「まあ、その……そんなところですかね……」


「……そうなんだ……」


 神代先生が少し真顔にもどって、曇り目の瞳の俺に向ける。


「そうか。喧嘩したら処分ですかね。停学にでもなったら先生の顔が見られないから、寂しいな」


「……でもそれって、私を助けてくれるためよね?」


「あ、まあ、そうですが」


「じゃあ、私は素直に、嬉しく思うわよ。先生としたら、ダメなのかも知れないど」


「そうですか?」


「……うん、ホント……」


「え、先生……?」


「ごめんね、ちょっと……」


 脇に置いてあった鞄から桃色のハンカチを取り出すと、それを目に当てて、ぽろぽろと涙をこぼし始めた。


「ありがとう……藤堂君……今日、来てくれて……」


 緊張の糸が切れたかのか、ぽつぽつと言葉を紡ぎ出す神代先生。


「本当は色々あって落ち込んでいたし、不安だったし……」


「先生……」


「今日なんか、藤堂君の顔が見えるまで、とっても怖かったし……」


「……」


「……教頭先生からは、いつも怒られるし……」


 ぽろぽろと落ちてくる先生の言葉を、漏らさないように拾っていく。

 

 いつも明るくも笑っていてくれているけれど、やっぱり悩みはたくさん抱えているんだなと思うと、なんだかとても愛おしく感じられて。


 一しきり、先生の言葉に耳を預けてから、


「色々ありましたもんね。でも、神代先生は新人なのに、よく頑張っていると思います。ご褒美に、藤堂君ポイントを50ポイントあげちゃいます」


「え、なにそれ……?」


「先生のために、今つくりました。そんなに頑張らなくてもいいけど、いつもの先生でいてくれたら、どんどん貯まっていきます」


「……それって、貯まったら、何かいいことあるの?」


「そうですね……100ポイント貯まったら、先生のお願い、なんでも聞いちゃいます」


「そっか……じゃあ先生、がんばっちゃおうかな」


「はい、是非」


 全くの思いつきで話したのだけれど、意外とツボにはまったのか、先生は顔を綻ばせて、口を開けて笑った。


「ありがとう、藤堂君。あなたと話していると、なんだかまたお腹空いてきちゃったわ」


「そうですか、俺もです。先生と喋ってると、ご飯と酒が美味しいです」


「私、お代わりしちゃおうかな」


「え、大丈夫ですか? 先生、お酒弱いんじゃ?」


「なんだか、今日は美味しいの。それに、藤堂君がいるから、大丈夫でしょ?」


「はい。もしなんかあったら、担いででも、先生は連れて帰ります」


「ありがと。じゃあコークハイボールと、土手焼きと、鶏ももの塩焼きと……」


「あ、コークハイボール二つで。俺コーラ大好きでして」


「ふふっ、そう?」


 無邪気な子供のような笑顔を蓄えて、タブレットに指を滑らせる先生。

 涙も収まったようで、ほっとする。


 泣き顔も綺麗で見とれたけれど、でもやっぱり、笑った顔の先生が一番いい。


 それからも、杯を重ねて――


 先生、意外と強いじゃないか。


 ハイボールやチュウハイを何杯か空にして、陽気にはしゃいで、鼻歌を歌っている。

 この前路上で介抱した時って、一体どれだけ飲んでいたんだよと、つい訝しんでしまう。


 急に彼氏フラれられたっていう衝撃が、それだけ大きかったということなのかな。


「ラストオーダーになりますが、追加オーダーはお早めにお願いします」


 完全に夜が更けて、店員さんがそう告げた頃、神代先生は半分目を閉じていた。


 もう潮時かなと思ってタクシーを呼んで、勘定を済ませた。


「先生、タクシー呼んだから、そろそろ出ましょうか?」


「ああ、ありがとう。ここのお支払いは……」


「終わってますから、それはまた後で」


「ありがとう、藤堂君」


 少しふらつき気味な先生のすぐ横に立って店を後にして、到着したての黒塗りタウシーに乗り込む。


「先生、家どのあたりでしたっけ?」


「あ、そうね。えっと……」


 運転手さんに手早く住所を伝えると、車はゆっくりと前に進み出す。


 心地よい揺れが揺りかごのようなのか、神代先生はうとうとの状態だ。

 こつんこつんと先生の肩がこちらに触れて来て、そのたびに胸の中にあったかい物がこみ上げる。


 信用してくれているのは嬉しいけど、無防備だよなあ。

 寝顔を横目で見やりながら、やれやれと留飲を下げる。


 やがて、市街から少し外れ場所の白いマンションの前に車が止まった。


「先生、着いたみたいですよ」


「……あ、そうね……」


 体を起こして、多少ふら付きながら、車の外に片脚を翳した。


「お休みなさい、先生」


「うん……藤堂君……」


「はい」


「……寄ってく?」


 やっと聞き取れるほどの小さな声だったけど、確かにそう聞こえた。


「……いいんですか?」


「……うん……」


 車の外に顔を向けたまま、神代先生は、小さく頷いた。


 ―― 放っとけないな。


 吸い寄せられるように、俺も一緒に車を降りた。


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