第20話 嵐の前
HRの時間になって、神代先生がいつものように、軽やかで甘い声を振りまく。
純白のシャツに緑色のタータンチェックのスカートが良く似合う。
膝上よりもずっと上の裾から覗く生足が艶めかくて、今日も眼を惹きつけられてしまう。
ほとんどの生徒が笑顔で、またはにやつきながら、彼女に見入っている。
そんな中で俺だけは、不安げな顔を向けていた。
一通り話が終わった後で先生は、大田黒俊也の前に足を進めた。
例の四人組の輩の一人だ。
「大田黒君、悪いんだけど放課後、職員室に来てくれるかな?」
「え、せんせいもしかして、デートのお誘いですかあ?」
「違うわよ、馬鹿言わないで。でも、ちょっと二人でお話したいの」
「わかりましたあ~」
「ありがとう。お願いね」
話が終ってから先生は、俺の方に目線を向けて、微かにだけどほほ笑んだ。
教室を後にする先生の後ろ姿を、大田黒がねっとりと見送る。
「おい大田黒、お前神代ちゃんと何かあったのかあ?」
「いいや? でも何かあるとしたら、これからかもな?」
「いいなあお前。俺達にも分けろよお~~」
「はは、いいけど、まず俺が先だぜ」
赤石達四人は顔を歪めながら、周りを気にすることなく、卑猥な会話を繰り広げる。
やっぱりこいつらは油断ならないなと、確信する。
ズボンのポケットに入れていたスマホが震えて、見ると神代先生からのメッセージだった。
『という訳なの。よろしくね』
『分かりました。無理はしないで下さいね』
『分かってるわよ』
と返事があったけれど、とはいえ心配だ。
とりま大田黒か、メインは赤石だから、周りから話を訊くつもりなのかな。
放課後って言ってたな。
念のためウォッチしておくか。
そのまま昼休みの時間になって、夢佳がツカツカと目の前に現れた。
「今日は顔貸してくれるよね、珠李?」
「……はい」
明らかに不機嫌そうで、鋭い目力に抗えず、首を垂れた。
秘め事を話すのに学食は不似合いということもあって、購買で食べ物を買って、
「今日は屋上にしてみましょうか?」
「屋上? そんなとこ上がれるのか?」
「ええ。普段は解放されていて、眺めはいいわよ」
「そうなのか。空が近いっていいな」
「……そう言えば珠李、空を見るのが好きって、自己紹介で言ってたっけ?」
「ああ。覚えてたのか?」
「ええ。だって、変わったこと言う子だなあって思ったから」
確かにそうだったかも。
よっぽどのフェミニストか変人でなければ、そんなことは口にしないかも知れない。
「ねえ…… それってもしかして、珠李の記憶と、何か関係があるのかしら?」
「お前、無茶苦茶鋭いな……」
突っ込みの鋭さに閉口しながら、長い廊下と階段を行き、屋上へと足を運んだ。
そこには広いスペースと、その脇に大きな水槽があって、まばらに生徒達が屯って、昼食に興じていた。
人の背丈を遥かに超える金網を通して、グラウンドや周囲の町並みが見渡せる。
その一角に並んで腰を下して、肩を寄せて昼食を食みながら、
「ねえ、さっきの話だけど、なんで空なの?」
「良く分からないさ。けど、遠い所にいる奴らと、つながっている気がするんだよ」
「……遠い所って?」
「アフリカさ」
「アフリカ?」
「ああ。記憶があるのは、四か月前にアフリカにいた時からだ」
夢佳の整った顔が、動揺のため凍っている。
「アフリカって、どこの……?」
「ルイジェリアのルキアさ。日本大使館で保護されて、そこから日本に戻ってきたのが三か月前なんだ」
「……どうして……?」
「さあ? それが分かれば苦労はないんだけでなあ」
「……じゃあそこに、珠李の昔を知ってる人がいるってこと?」
「さあね。いるのかいないのか、それさえも分からない。けれど、空を眺めているとそこと繋がっている気がして、なんだか落ち着くんだよ」
よく分らない郷愁めいたものを感じながら、そう話すと、
―― え? 夢佳?
つい先刻まで、強気で目力が染み出していた彼女が、いつしか何かを愛しむような眼差しを向けていた。
……そんな顔もできたんだな、夢佳は。
見返して、ドキリと胸が跳ねた。
「じゃあ、そこに行けば、珠李の記憶が戻るかも知れないわね?」
「……かもな」
「戻りたいの、そこに?」
「よく分からない。けど今は、ここで普通に暮らしてみたいとは、思うんだよ」
「……じゃあさ、珠李……」
「うん?」
「やっぱり、彼女くらい、いた方がいいと思うよ?」
「……そうかな。じゃあ、誰か考えてみるかな」
「! ちょっと…… すぐ傍にいる女の子のこと、忘れてない?」
「ははっ、まあとにかく、飯食おうぜ」
「もう……」
はぐらかしはしたけれど、輝きを放つ金色の髪と甘い笑顔を目の前に、夏の陽気だけのせいじゃなくて、体中が暑かった。
夢佳には大好きと言ったしそれは嘘ではないけれど、それ以上踏み込むほどの深いものがあるのかどうかは、まだ分からない。
それに、自分が何者なのかも分からない俺にそんな資格があるのか、自信も持てない。
なぜなら……
「――ねえ、珠李ってば!」
「えっ!? ああ……」
「何ぼーっとしてるの? お昼終わっちゃうよ?」
しばらく意識が自分から離れていたようで、夢佳に肩を揺すられて、我に帰った。
「ああ、すまん……」
急いで、買ってきていたおにぎりを口に詰め込み、炭酸ソーダで流しこむ。
本当は大田黒対策も相談したかったのだけれど、どうやら時間切れのようだった。
それに、じっと俺に愛おし気な目を落とす彼女を見ていて、それは余計な話題ではないかとも思われた。
それから何事もなく時間が過ぎて、放課後を迎えた。
大田黒がいやらし気な笑みを浮かべながら、赤石達と手で挨拶を交わし合い、席を立った。
俺がやることは、もちろん神代先生を守ることなので、気づかれないように注意を払いながら後を追った。
奴が職員室に入っていくのを見届けてから数分経って、なぜか奴と神代先生が二人で、廊下に姿を現した。
内緒の話なので、どこか別の場所で、といったところかな。
そんな推測をしながらまた尾行を続けると、二人が向かった先は体育館裏にある倉庫の前。
辺りに人気がない中で、二人でなにか言い争いをしている。
耳を澄ますと――
「……ここはちょっと……」
「……話しづらいことなんだ、俺にも……」
「でも、他の所でも……」
「……せんせえ、俺を信用できない?……」
そのまま様子を見ていると、神代先生が小さく頷いて、倉庫の中に二人で入っていった。
悪い予感しかしない俺は、倉庫の脇の木陰に身を潜めて、じっと両耳に神経を集中した。
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