第17話 先生、動く

 翌朝、教室に入ると、隣の席の篠崎さんは、既に姿をみせていた。

 「おはよう」と声を掛けると、彼女も小さな声で応じてくれた。


 彼女のことはできるだけ気をつけているけれど、昨日は一日、何もなかった。

 今日もそんな感じになればいいなと思いながら、教室の前方に目を向ける。


 ―― おはよう、夢佳

 こっちに向かってにこやかに手を振ってくるので、軽く片手を上げて返した。


 えっと、昨日の女子は――

 いた。

 三人固まって、俺と夢佳の様子をチタチラ見ながら、笑顔で語らっている。


 名前はまだ分からない。

 今日、神代先生から、名簿がもらえるはずだ。


 HPの時間になって、その神代先生が教壇の上に立って、いつものように澄んだ笑顔を振りまく。

 光沢のある黒いストッキングに、赤いミニスカートの色が映えて、やっぱり綺麗だなと目を奪われる。


 一通り説明が終ると、先生がこちらの方にやってきて、隣の席に話し掛けた。


「あの、篠崎さん?」


「……はい」


「ちょっとお話したいことがあるんだけど、放課後、職員室に来られる?」


「分かりました……」


「ありがとう。よろしくね」


 多分あの件だよなと思いながら、何も知らないふりをして外を眺めていると、


「藤堂君?」


「あ……はい……?」


「いつでもいいから、職員室に来てくれるかな? 渡したいものがあって」


 きっと、この前お願いした名簿の件だな。


「えっと、良かったら、お昼休みにでも」


「ええ、分かったわ。お昼は先生ずっと、職員室にいるから」


 神代先生は誰にも分からないように俺だけの方を向いて、ひと際柔らかい笑顔を覗かせた。


 放課後は、篠崎さんとの話しで、忙しいだろう。

 それに俺も、今日の夕方は、約束があるんだ。


 そして昼休みの時間になり。


「ええ~~、なんでなのよ!」


「だから、俺職員室に行かないといけないから、一人で食ってくれって」


 お昼ご飯に一緒にいけないと伝えた夢佳が、おこりんぼ顔だ。


「なんでわざわざ、お昼休みなのよ?」


「今日は俺、放課後は都合が悪いんだ」


「……じゃあ、一緒に帰れないの?」


「うん、多分無理」


「えー ………」


 死んだ魚のような目で、とぼとぼと一人で教室から出て行く夢佳の背中を見送ってから、職員室に足を向けた。


 引き戸をガラリと開けて中に足を進めると、神代先生はいつもの場所で机に向かい、何かの書き物をしていた。


 大変だな、休み時間にまで。


 そっと近づいてから、声を掛ける。


「神代先生?」


「あ、藤堂君、呼び出してごめんね」


「いえ、全然。先生は今日も素敵ですね。赤い色のスカートも似合うなんて。先生は本当に、スタイルもファッションセンスもいいです」


「…………ありがとう、でも……急にそんなこと言われると、やっぱり恥ずかしいし…………」


「すみません、思ったこと、つい言っちゃう癖があって。そのストライプの入ったシャツも、よくお似合いです。仕事に一生懸命な先生の人柄に、よく合ってると思います」


「藤堂君、あなたってホントに……」


 顔を赤らめながら、何かを言い掛けて、


「あ、まあ、それはさておき……はい、これ」


 差し出すその手にはA4ほどの用紙がつままれていて、何かが書かれている。


 お礼を言って受け取って目を落とすと、一年二組の教室の座席配置と、そこに座る生徒の氏名が、活字で表示されていた。

 多分先生がパソコンで作って、印字してくれたものなのだろう。


「これ、時間かかったんじゃないんですか?」


「そうでもないわよ、これくらい。役に立てばいいけど」


「立ちます、全然! 流石は先生だ、俺が欲しかったもの、そのものです」


「そう? なら良かった」


「ありがとう神代先生、俺のために。やっぱり俺、先生が大好きです!」


「え……」


 先生が言葉を発しなくなって、顔や耳の赤みが濃くなっていく。


 好きとリスペクトは表裏一体だから使い分けろ、そんな言葉を耳にしたことがある。

 先生に敬意を表したくて喋ったのだけれど、うまく伝わっただろうか。


「……藤堂君……ここじゃ何だなら、他に行って、お昼でも食べない……?」


「いいけど、先生は忙しくないんですか?」


「うん、丁度、お腹空いてきたし……」


「じゃあ、カフェテリアに行くか、購買で買ってどっかで食べませんか?」


「そうね……カフェテリアにしましょうか? 静かだし」


「はい」


 教室を出てからカフェテリアに向かう途中、先生は「ふう、暑いわね」というセリフを連発して、手で顔をあおいでいた。


 俺はかつ丼、神代先生はカルボナーラを注文してから、暑くないように日陰の席に、向かい合って座った。


「今日の午後、篠崎さんと話しをするんですね?」


 一番気になったことを口に出すと、彼女は真顔になって、コクンと頷いた。


「ええ。とりあえず、『こんな噂があるんだけど、大丈夫?』みたいな感じでね」


「そうですね」


「でも、正直に話してくれるかどうかは、心配ね。それに私だと、頼りないかもしれないし」


「全然頼りなくはないですよ、先生は。クラスみんなが見てみぬふりなのに、先生はそうやって、話をしようとしているんだし」


「……藤堂君……」


 俺の言葉を嬉しそうに聞き入って、顔を綻ばせる神代先生。

 俺もつい嬉しくなって、目を合わせてしまい、見つめ合う格好に。


「……と、ところで藤堂君、あなたは、どこかで英語を、使ってたりしたのかしらね?」


「どうでしょうね? 俺、昔のこと分かりませんし。中学の時は、平均点は超えていましたけど、それくらいです」


「そうなのね。あなたの英語の発音、普段使っている人のものだったわ。ノンネイティブとしては一級ね。日本語訳も、正確だったわよ」


 思いがけず褒められてしまった。

 失敗したのかと思っていたけれど、どうやら逆だったようだ。


「そうですか……それは良かったです。先生に赤点を付けられずにすみます。あ……っ!」


「え、なに? どうしたの?」


「もしかして赤点を取ったら、神代先生の特別授業とか、あったりするんですかね?」


「それは……まだあんまり考えてないけど。補習授業とかはやるかもね」


「じゃあ俺それに出られるように、悪い点取ろうかなあ。先生の話が聞けるように」


 冗談のつもりでそんなことを漏らすと、先生がまた真顔になった。


「なにを言っているの藤堂君、そんなことしちゃダメよ! テストは大事なんだから!」


「でもなあ。他の生徒が先生と話してるいのに、そこにいないなんて。なんだかつまらないなあ」


「……今とかこうして、一緒に喋っているでしょ……?」


「そうですね。じゃあまた別の日にも、ご飯一緒に食べましょう!」


「と……藤堂君ったら……もう……」


 先生が俯いたところで、店員さんが料理を運んで来てくれた。


「さあ、食べましょう、先生」


「え、ええ……」


 やっぱり暑いのだろうか。

 手でぱたぱたと顔をあおぎながら、ふっくらとした唇でパスタを啜る。


「本当は放課後も先生の傍にいたいんですが、今日は予定があってダメなんです。また話を聞かせて下さい」


「分かったわ、ありがとう。大丈夫よ」


 先生は顔を上げて、自信ありげに頷いた。


 



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