第16話  早く食ってくれ

「ところでさ、珠李って、どんなとこに住んでるの?」


 緑と黒の液体で満たされたグラスを持って戻った俺に、夢佳が問い掛けた。


「こっから電車で三つほど行った先の、マンションだよ」


「電車で三つって…… もしかして、M町?」


「そうだな」


「わ、凄い、いいとこじゃない!? 芸能人とかも、いっぱい住んでるって噂でしょ?」


「まあ、学校には近くていいけどな」


 目を輝かせて自分のことのようにはしゃぐ夢佳に、できるだけ淡々と答える。

 近くに三人のスパイが潜んでいるのだ。

 下手なことは言えない。


「早く行きたいなあ!! ね、二人で、何して遊ぼうか!!?」


 またでかい声だな、おい。


 三人のスパイから、また黄色の声が、耳奥に流れてくる。


 このままじゃ駄目だ。

 さっさと食って、店を出よう。


 急いでハンバーグとライスをかっこんでいると、


「あ、ちょっと待って、珠李」


「あ?」


「汚れてるよ、口の横」


 そう言いながら、髪ナプキンを手に取って、俺の口元にそっと当てた。


「ん、綺麗になったわよ」


 駄目だ、イライラする。

 ―― でも、可愛いな。

 長くて流れるような金色の髪を見ていると、なんだか落ち着く。


 二律背反するような感情が、俺の胸の中で追いかけ合いをする。


 とにかく、これ以上変なネタは提供しないように、店を出よう。

 

 さっと平らげて、炭酸飲料を喉に流しこむ。


「よし、食ったぞ」


「ええ~~、早いなあ」


「早くこの店でないと、あいつらに何を噂されるか、分からんしな」


「でも、私、口がちっちゃいしなあ……」


 ……いいから、早く食ってくれ。


 雑談を投げ掛けながら楽し気に、ゆっくり口にハンバーグを運ぶ夢佳を、適当にあしらいながら、ゆったりと時間は過ぎていく。

 あの三人がいなければ、もっと楽しく落ち着けたのかもなと、苦々しく思いながら。


 伝票を手に二人で席を立って通路を行くと、その三人組は窓の方に顔を逃げさせて、俺達には気づいていないふりをしていた。


 いっそ声を掛けて脅してやろうかとも思ったけれど、


「さ、早く行きましょ、シュ・リ!」


 と、彼女らの真横で高らかに謳う夢佳に、気勢を削がれてしまった。


 そこから駅まで歩いて、


「そういえば、夢佳の家って、どこら辺なんだ?」


「え? 今から来たいのかしら?」


「そんなんじゃないよ。友達としての、情報収集だ」


「つまんないの。T町よ、だから途中までは、電車は一緒だね」


「そうか。T町は、確か大きな公園があったっけな?」


「そう。大きな池があって、春は桜がたくさんあって綺麗よ。秋は紅葉も見られるし」


「ジュギングするのに良さげだな。今度行ってみるかな」


「うん、いいと思うわよ。良かったらそのとき、私も呼んでよ」


「? もしかして夢佳も、ジュギングやるのか?」


「いえ、それはあんまりしないけど…… あ、良かったら、お弁当でも作るわよ?」


「あ、それは有難いかもな。運動するといつも腹が減るんだ。そんなこと言ってくれる夢佳のこと、ますます大好きになったぞ!」


「……もう……」


 半ば呆れたような表情をしながらも、夢佳は嫌そうではなかった。


 その後電車の中で夢佳とは別れて、遅い日の入りを迎えて夜の帳が街に降りた頃、自分の部屋へと戻った。


 先ほどまで夢佳と賑やかに一緒にいたこともあってか、部屋の中が一層静かに感じる。

 

 寂しくはないといえば嘘になるけれど、あまり意識はしないようにしていた。

 けどやはり、そう感じることはあるんだなと、今日は思う。


 運動は止めにして、風呂に入って酒でも飲むか。

 気分を紛らわせるために酒を口にする、これは大人の特権かな。


 ソファに座りながらスマホを手に取ると、

 

 あ、神代先生からメッセージが入っているな。


 兎のキャラクラーの小さな画像の横に、


『藤堂君、今日はありがとう』


 律儀だな、先生は。


『いえ、こちらこそ。お役に立てたのなら良かったです』


 ひとまず返すと、すぐに返信が返ってきた。


『ごめんね、もうお家かな?』


『はい。先生のことを考えながら、一杯やろうかと思ってました』


『もう、相変わらずね』


 顔は見えないけれど、もしかするとまた、照れているのかもしれないな。


『明日、篠崎さんとお話してみようと思うの』


『あの件でですよね?』


『そう。その後他の子達とかな』


『何かできることあったら、言って下さいね』


『ありがとう』


『先生もお家ですか?』


『まだ学校。これから帰るわ』


 もう7時は回っている。

 仕事熱心なんだな、先生。


『いつも、こんなに遅いんですか?』


『まあ大体ね』


『働き者なんですね、先生』


『そんなことはないけど、慣れないことが多くてね』


『気を付けて帰って下さいね』


『うん、ありがとう。藤堂君もゆっくり休んでね。今日の英語凄くよかったわよ』


『ありがとうございます。そんな一生面命な先生、大好きです』


 学校のときと同じ調子でそう送ってみたけれど、なかなか返事が返ってこない。

 しまった、関係を良くしようと思ってやったことでも、過ぎたるは何たるか……だったかな。


 顔が見えないし難しいなと思い返していると、


『ありがとう。でも恥ずかしいわ』


 良かった、嫌われてはいないようだ。

 せっかく仲良くなりかけているのに、ここで嫌われると、流石に凹んでしまう。


『じゃあね』


『はい、また』


 これだけのやり取りだったけれど、何だか胸の中がほっこりする。


 いつもこんなに遅くまで仕事をしている先生が、昨日は早く帰ったんだな。

 それで彼氏と会って、フラれて、飲めないお酒を飲んであんな風になって。


 あんまり話は聞いていないけど、大丈夫なのかな。

 落ち込んでなかったらいいけどな。


 あまり邪魔しちゃいけないけれど、俺で良かったら、余計なお世話でも焼いてみよう。



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