第14話 待っていた夢佳

「ありがとう、藤堂君」


「いいえ、お安い御用です。また連絡しますね」


「うん……またね」


 人気の無い廊下で挨拶を交わして別れ際、先生が「あっ!」と小声を上げた。


「どうかしましたか?」


「あの、藤堂君にお願いされていた名簿、持ってくるのを忘れちゃってたわ。ごめんだけど、明日でいいかな?」


「あ、はい。大丈夫です」


「ごめんね、ホントに」


 こんなそそっかしいところがあると、先生のことが身近に感じられて、余計にいいなと思ってしまう。


 理科室での余韻をそのままに、頬を火照らせた神代先生に手を振って、教室へと戻った。


 そこには夢佳がいて、まばらな人影の中で一人ぽつんと椅子に座り、机に肘をついて、顔を手の上に乗っけていた。


「お? まだいたのか、夢佳」


「いちゃ、悪いのかしら?」


「もしかして、俺を待っていてくれたのか?」


「……ふん!」


「ありがとう。そんな優しい夢佳、好きだぞ」


 夢佳は満更でも無さげに笑みながら、


「で、どうだったの? 神代先生との話は?」


「ああ、やっぱり篠崎さんの件だよ」


「そうなのね」


「訊かれたから、あの四人の名前は教えといたよ。一回考えて、話とかするかもだってさ」


「え? そんなこと言ってたの?」


「ああ」


 表情を不安げな影で曇らせながら、


「大丈夫かなあ、先生。変なことにならなきゃいいけど」


「あの四人は厄介だから、気を付けろとは伝えたよ。それに何かあったら、俺が守るし」


「守るって、どうやって?」


「いざとなったら、俺が赤石とかと、話をつけるさ。でもこれは先生の仕事でもあるから、まずはその手伝いだ」


 そんなことを言う俺に、夢佳は猜疑的な目を向けて。


「ねえ、どうして神代先生のために、そこまでするのよ?」


「だって、クラスがいい雰囲気になった方が、過ごしやすいじゃないか。それに俺、神代先生のことは大好きだし」


「…………」


 眉根をぎゅっと寄せて、俺のことを恨めし気に睨みつける。


「そう。勝手にしなさいな」


「なあ夢佳、俺はお前のことも心配してるんだけども」


「え、私?」


「ああ。赤石はお前にご執心みたいだから、今のままだと、そのうち爆発するかもしれないぞ?」


「……か、関係ないわよ、そんなの……!」


 強気にそう言い切るけれど、表情は曇ったままだ。

 

 俺と仲良くしてくれるのは嬉しいけれど、その分、奴らの矛先が、彼女に向く可能性だってある。


「……じゃあさ、私のことだって、守ってくれたらいいじゃない……」


 俺の眼を見ないで、そんなことを漏らす。


「お?」


「神代先生だけじゃなくて、私のことも守ってくれたって、いいんじゃない!?」


「いいけど、奴らと関係が切れちまってもいいのか?」


「いい。私、珠李と一緒にいる方が楽しいし」


「そうか、なら決まりだ。おれは夢佳のことも大好きだから、守ってみせるぞ」


「……『も』、なのね。……別にいいけど」


 拗ねたような彼女を横目に、にわかに、胸の中で鈍い鉛色の雲が広がっていくような感覚を覚えた。


 ―― なんだこれは?

 心臓の鼓動が速くなって、息が苦しくなってくる。


 分からないけど、どこか心に引っかかる。

 気持ちが暗く沈みこんでいくのだ。


『守ってみせるぞ』


 思った通りに口に出したけれど、その言葉が重く胸にのしかかり、頭の中で反響する。

 目の前が黒くなりかけて――


「どうしたの、珠李?」


 不安げな夢佳の声に、はっと我に帰る。


「あ、いや……」


「なんだか、急に苦しそうだけど?」


「……何でもない。多分、転入してからの、疲れとかだよ」


「そう、ならいいけど。今日は早く帰って休めば? 私邪魔だったら、先に帰るし」


 俺を気遣ってくれる夢佳の視線が柔らかい。

 窓から差し込む光を反射して、金色の髪の毛がキラキラと輝く。


 ―― 綺麗だし優しいな、夢佳は。

 髪の毛が、凄く素敵だ。


 あらためてそんなことを思うと、気持ちが軽くなっていく。


「そうするか? 俺はちょっと腹が減ったから、寄り道していくけど」


「……一緒にいっても、いいのかしら?」


「ああ、夢佳なら歓迎するぞ」


「…………じゃあ、いくわよ」


「分かった。鞄とってくるよ」


 こんな感じで、結局二日続きで、夢佳と晩飯を一緒にすることになった。


 校門へと続く、脇に色合い豊かな草花があしらわれた小道を歩きながら、


「珠李もお疲れ気味だから、近場のファミレスにでも行きましょうか?」


「なんでもいいぞ。俺は別になんともないし」


「ハンバーグが美味しいお店があるのよ」


「お、いいねえ。ハンバーグは好物だ。チーズと合わせると絶品だよな」


「あら、珠李はチーズ派なのね。私は、和風おろしも捨てがたいけど」


「あー、それもいいなあ。ポン酢との相性もいいよな」


「じゃあさ、両方頼んで、食べ比べしてみる?」


「おお、いいね。決まりだな」


 二人で意見が合って、向かったのは。通学路から筋を外れた場所にあるハンバーグレストラン。

 通りに広く面した窓から、中でくつろぐ客達が目に入る。

 結構、盛況のようだ。


 店員のお姉さんに「二名です」と告げると、奥まった場所の二人席へと案内された。


「注文は、さっき言ってたやつだよね。ご飯かパンは付けるよね?」


「うん。それどドリンクバーがいいな。ちょっと汗かいたから」


「そうね、今日は暑いしね」


 テーブルの上のタブレットに、夢佳がてきぱきとオーダーを打ち込んでいく。


 ―― ん?


 食器の音や談笑に混ざって、俺の耳孔に、ヒソヒソを小声で喋る音が流れ込んでくる。


「……ねえ、あの二人……」


「今日のお昼も、一緒だったよね……」


「いつの間に……入ってきたばっかりなのに……」


 何となく、雑談のネタ元が俺達二人のような気がして。


「なあ、夢佳」


「なにかしら?」


「この辺に、知った顔のやつ、いないか?」


「えっと……あ……っ」


 周りに首を回した夢佳が、小さく声を上げた。


「クラスの子達がいるわ」


「そうか、やっぱりな。俺達のこと、話しているみたいだぞ」


「ふーん、そう……面白いじゃない」


「面白いって、何が?」


「ふふ……」


 夢佳はいたずら心に満ちたような眼をこちらに向けて、唇の端を上げている。


 何か嫌な予感がするのは、気のせいだろうか。




 


 


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