第13話 理科室にて

 やっと放課後になって。


 クラスの面々が談笑したり、背伸びをしたり、帰り支度を始める中、戸口から黒髪の美形が顔を覗かせた。


「あ、神代先生、お疲れさまーす」


「先生、お疲れー」


「みんな、お疲れ様」


 生徒からの挨拶に、屈託なく笑い、気さくに応じる神代先生。


「……えっと、藤堂君?」


 両手を後ろで組んでこちらに歩み寄り、優し気に声を掛けてくる。


「はい、先生」


「ちょっと、時間もらえるかな?」


「いいですよ、もちろん」


 二つ返事で頷いて、椅子から腰を上げる。


 うーん、夢佳のジト目が怖いな。

 椅子に座ったまま頸をこちらに向けて、熱い視線をぶんぶんと投げつけてくる。


「よ~う、夢佳、一緒に帰ろ……」


「うるさいわね!! 一人でさっさと帰りなさいよ!!!」


「うわっ……」


 夢佳のあまりの剣幕に、声を掛けた赤石が、珍しくタジタジになって凹んでいる。


 二人で教室を出て、校内をそぞろ歩いて、人気が少ない方へと向かう。


「あ、ここにしようか」


 と、先生が指さしたのは理科室。


 扉を開けて中に入ると、電気が消えていて薄暗い。

 西からの陽光だけが、窓に近いテーブルや、棚の上に置かれたガラスの実験器具を照らしている。

 

 他には誰もいないみたいだ。


「ごめんなさいね、急に」


「いいえ。先生だったら、いつでもウェルカムです。今日もその服、大人っぽくて素敵ですね」


「もう…… 早速そんなことを言うのね」


「ここだったら誰もいないから、本当のことを話しても大丈夫ですよね。先生はスタイルがいいから、とっても良く似合います。」


「藤堂君……」


 神代先生が恥ずかしそうに、半身をよじる。


「えっと……あのね、篠崎さんの件なの」


「そうでしょうね。俺もその件で話があります」


「そうなのね。いろいろと考えたんだけど、一度篠崎さんや他の生徒と、話してみようと思うの」


「そうですか……でも、どうやって?」


「……良かったら、篠崎さんをいじめている生徒が誰なのか、教えてもらえないかな?」


 彼女の瞳には、真摯な光が宿っている。

 多分、自分なりに、真剣に考えたのだろう。


 けれどそれはそれで、彼女のことが心配だ。


「俺も人から聞いただけなので、それで良ければ」


「……誰から聞いたの、それ?」


「鬼龍院さんからですよ。だから、多分当たっているんだとは思いますけど」


「……分かった。それでいいから」


「一つ、条件があるんですけど」


「なにかな?」


「先生のRINE、教えて下さい」


 ちょっと唐突な申し出だったのだろう。

 先生が驚きを隠さない。


「あの……なんで……?」


「先生が心配だからですよ。ちょっと厄介な連中が関係していそうだから。それに、連絡が取り合えたら、いちいち教室や職員室まで話しに行かなくて済むから、便利です」


「……それは、そうかも知れないけど……」


 彼女は迷っている。

 クラスの全員が参加しているグループチャットはあるけれど、個人間のやり取りはまた別で、多分神代先生のそれを知っている生徒はいないだろう。


「藤堂君、やっぱりそれは――」


「俺は先生のことを助けたいし、危ない目にも会って欲しくないんです。だから、もっとよく喋りたいし、いつでも連絡が取れた方がいいと思うんです」


「藤堂君……それって、大事?」


「はい、大事です。俺もその方が、動きやすいですし、安心です」


 しばらくの間、伏し目がちに逡巡の表情を見せてから、


「分かったわ。でも、他のみんなには、内緒にしておいてくれる?」


「はい、もちろん」


 俺と神代先生は互いのスマホを取り出して、連絡先を交換しあった。

 心なしか先生の指先が緊張しているように映ったのは、気のせいだろうか。


「あの、先生、問題なのは、赤石、青芝、茶野、大田黒の四人です。篠崎さんのマスクとかの件を訊きだそうとして、それで言い争いになったみたいで」


「そう…… 確かに篠崎さんも変わっているけれど、そんなことがあったのね」


「その四人は他でもやばいみたいで、上級生からも目をつけられているみたいですよ」


「そう……分かったわ、ありがとう。先生もうちょっと、考えてみるね」


 明るく笑ってはいるけれど、なんだかぎこちない。

 予想していたのかどうかは分らないけれど、実際の状況を耳にして、動揺が広がったのかも知れない。

 自分が担当するクラスで、想像以上によくないことが起きている。

 その不安感と、責任感からくるものだろうか。

 

「先生、良かったら、俺が動きますよ。同じクラスのことですし」


「ありがとう。でもこれは、先生の仕事だから」


「その仕事を手伝いたいんです」


「……どうして、そこまで?」


「クラスの友達は大事です。それに、大好きな先生のことは、助けたいですから」


 神代先生の顔が、すうっと赤く染まっていく。


「藤堂君……そう言ってくれるのは嬉しいけれど、そんなことをあんまり言うと、女の子に勘違いされちゃうかもよ?」


 勘違いもなにも、先生のことは本当に嫌いじゃないし。

 なんとか助けたいとも思っているし。

 そこは信用して欲しい。


「いいですよ、全然。本気にしちゃって下さい、神代先生」

「と、藤堂君……そんな簡単に言うけど……」


 口に手をやって、赤くなった顔を床の方に落として。


 これで先生、俺のこと少しは頼りに思ってくれたかな。

 いざとなったら直接、俺が赤石達と、話をつけてやろう。


 一旦これで話は終わりなのだろうけれど。


 ……あれ、先生?


「あの……そんなこと言われても、私は先生だから、困るっていうか……」


 膝の前で手を組んで、なんだか仕草が艶めかしい。


「困る? なにがですか?」


「……私も、藤堂君のことは、生徒として好きよ。でも、あんまり言われると……」


「俺は神代先生を先生として好きだし、それに女性としても大好きです。責任感があって、陽気で明るくて、生徒思いで、いつも輝くほど綺麗です」


 仲良くなって自分のことを信用してもらうためには、まずは心の距離を縮めるため、外見だけじゃなくて内面も同じように褒めるといい。

 褒められて悪い気がする人はいない。

 嘘じゃない自分の言葉で素直に伝える方が、きっとそれは届く。


 これも、誰かからの受け売りだ。

 一体、誰から聞いたんだっけかな?

 記憶の中にいない、誰かからなのだろうか。


「……もう、藤堂君ったら……なんだか、暑いなあ……」


 ちょっと困っているようではあるけれど、口元を緩めて、ちらちらと目線を向けてくれる。


 ―― 先生、なんだか可愛いな。


 二人以外に誰もいない遅い午後の理科室で、短くない時間を、そんな感じで過ごした。



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