第12話 学校の風景

 仕方ない、えっと、このページからだっけ。


 席を立って、アルファベットの群れを夢中で目で追いながら声に出していく。

 どこまで読み上げていいのかよく分らないでずっと声を上げていると、


「ちょ、ちょっと、藤堂君、もういいから……!」


 あれ、先生慌ててる?


「そこまででいいから、訳してみてくれる?」


 いつの間にかページの全文を読み上げていて、止められたようだ。


「えっと、ギリシア文明の起源は古にして神話の時代に遡り……」


 読み上げた部分を全部、一応たどたどの日本語で言い直した。


「はい……よくできました」


 神代先生が、微笑ましくこちらに眼を向ける。


 ――何だ?

 教室がざわざわした感じだ。


 もしかして、どっか言い方がまずかったのか?

 だってまだ慣れてないんだから、仕方ないじゃないか。


 その後は、先生と別の生徒との会話を聞き流しているうちに、英語の授業は終わった。

 先生は最後に俺の方をチラ見して笑みを浮かべてから、長い黒髪を靡かせて、教室を後にした。


「ねえ……」


「え?」


「どっかで、英語習ってたの?」


「いや、そうじゃないけど」


「そっか。良かったじゃん、さっき」


 思いがけず、篠崎さんから声を掛けてもらった。


「そーかな? 全部なんとなくでやったんだけど」


「なんか、外人さんの発音みたいだったよ」


「そう? 自分で聞いたこと無いから、よくわかんないけどさ」


「もしかしたら、先生よりも上手かも」


「……そーお?」


 そうじゃないというか、そこは記憶がないんだ。

 もしかすると、英語塾に行っていたとか、外国に住んでいたことがあるとか、そんなのがあったのかもしれないけれど、覚えていない。


 篠崎さんの眼鏡とマスクの理由は知りたいけれど、やっぱり軽くは聞きづらい。

 

 それから数時限の授業をこなしてからの昼休み、早速夢佳が俺の席までつかつかと近寄ってきた。

 赤石がそんな彼女を苦々しいめで追いながら、


「おい夢佳、またそいつと一緒かよ!?」


「そうよ。だから放っといてよ!」


「けっ、今に後悔すんなよ」


 そう吐き捨てて、赤石一行は教室の外へ。

 ご執心の夢佳が自分の方にいないことに、かなり業を煮やしているのか、目つきが凶悪だ。


「おい、あれ放っといていいのか?」


「いいのよ別に、それより、早く行きましょう? 購買のご飯、無くなっちゃうわよ」


「あ、了解」


 一緒に肩を並べて階段や廊下を行った先に、人だかりができていた。

 購買のレジに向かって、たくさんの生徒達が並んでいるのだ。


「夢佳が並んでおいてくれたら、俺が取ってくるよ?」


「わかったわ。じゃあ、コロッケパンとオレンジジュースをお願い」


「いいけど、それで足りるのか?」


「今日は大丈夫。日によって調整してるから」


 なるほど、女の子って、そういうものなのかな。


 夢佳の注文と俺自身の分を両手に抱えて列に加わり、支払いを済ませてから裏庭へ向かう。


 そこは校舎と、外に面したフェンスとの間にあってかなり広く、草木や花壇が植えられて、所々にベンチも置かれていた。


「あそこにしましょうか」


 夢佳が木陰にあるベンチを指差す。


 よっこらせと並んで腰を下すと早速、


「で、あれからどうなったの?」


「うん、まあ、なんとかなったよ」


「なんとかって、どういうことよ? 神代先生の家まで、送って行ったの?」


 どうしようか、嘘はそのうちばれるかもしれないし、ここは正直に。


「いや、先生は眠ったままだったら、家がどこか分からなかったんだ」


「……じゃあ、どうしたのよ?」


「俺ん家に連れてった」


「…………」


 途端に冷たい空気が、二人の間を凌駕する。


「珠李、あなたまさか、神代先生と……?」


「いや、何もなかったよ。先生の寝顔を見ていただけだ」


「そう……それならよかったわ」


「まあ、ちょっと際どかったけどな。先生は綺麗だし、寝姿は艶めかしかったぞ」


「あなた……もしかして、私と寝るより、先生と一緒の方が良かったの!?」


 ド直球の質問に、口に入れかけたサンドウィッチを吐き出しそうになる。


「ば……っ、そんなのじゃないって! お前のことは、その……」


「……なに?」


「も……勿体ないことしたなとは、思っているからさ」


 照れ隠しに、手に持っていた缶コーラをぐっと飲み込む。

 

 すると、夢佳から立ち昇る冷気が幾分か収まって、


「そ……そう。ま、そんなとこならいいけど……」


「うん。そういうことだからさ、この件はここだけの秘密ってことで」


「そうねー、神代先生的には、広まっちゃうと、あんまりよく無いわよね。酔った勢いで、生徒の家にお泊まりしましたってのは」


「お前、それちょっと、事実に反するぞ」


「だって、噂なんてコロコロと変わるんだから。きっとそんな感じになっちゃうわよ」


 ああ、確かにそうかもな。

 尾ヒレはヒレがついて、面白可笑しくなることはあり得る。


「で、私は今度いつ、珠李のお家に行けばいいの?」


「えっと……また連絡するからさ」


「もう……」


 なんでそんなに俺の家に来たがるのかよく分からないけど、昨夜はそれなりに疲れたので、しばらくはそっとしておいてもらおう。


 それに、豊芝さんと会う約束も別にあるのだ。


 あ、そうだ。

 ついでにこれも。


「あと、神代先生には、篠崎さんがいじめられているっぽいって、話はしといたから。ちょっと考えてみるって」


「そっか。でも先生も、気をつけてもらった方がいいかも」


「なんでだ?」


「だってあいつら、何するか分からないから」


「相手が先生でもか?」


「ええ。下手したら先生がいじめられるかもしれないし。それに、よく先生のことでエッチな話してたしさ」


「……もしかして、先生が襲われるかもってことか?」


「あり得なくはないわよ。実際、そんな子が何人かいるって、噂もあるから」


 なるほど、想像以上にやっかいな連中らしい。

 念のため今度、先生にも伝えておいた方がいいかもな。

 しっかりしているのか頼りないのか、今一つよく分からないとこあるし。


「あとさあ、林間学校って、夢佳はどうするんだ?」


「一応申し込んだけどさ。でも、赤石とかとつるんでいると、変なとこ連れて行かれそうだし。他に友達って、あんまりいないのよね」


「班を作るって言ってたっけ?」


「そう。五人組だったかな」


 五人……

 今の俺には、高すぎるハードルだ。


「あ、私と珠李が一緒なら、あと三人だよ?」


「それでもあと三人か」


「とりあえず、珠李も申し込んでよ。私一人だと寂しいし」


「行くのを止めるってのはだめなのか?」


「……そういうの、家に心配かけるし」


 急に外泊しても気にしないのに、林間学校は気にする家って、どうなんだと思うけれど。


 とりあえず申し込みだけはしておくかなと思いながら、残りのサンドウィッチを口に放り込んだ。




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