第9話 繁華街での一幕

 家に来るっていわれてもな。

 引っ越してからまだそんなに経ってないし、最低限の家具しか揃っていないんだけど。


「うちの家に来ても、退屈だと思うぞ? 一通りの家具とかしかないし」


「えと……それでもいいわよ? お話しとかはできると思うし」


「お話しか。まあいいけど。じゃあ、コンビニに寄って、なんか買ってからにするか?」


「……ええ、それでもいいけど……」


 話しならここでもできると思うけど、まあいい。

 男一人の部屋に女の子を連れ込むのもどうかだけれど、まだ出会って初日だし、変なことにはならないだろう。

 

 俺が暴走しない限りは。


 あれ、でも?

 胸の中はずっと鐘の音が鳴りっぱなしだな。

 もしかして、何かを期待しているのかなと思い、恥ずかしくなる。


 皿の上の料理を食べ終えて、店の外に出た頃には、すっかり夜の帳が降りて、繁華街は赫赫として明りに包まれていた。


 制服姿の高校生が歩いているのは珍しいのかと思いきや、意外と似た感じの連中もいるものだ。

 路面に座ってだべっていたり、コンビニの駐車場で屯っていたり。


「なあ夢佳、今からうちに来るのだと、帰りが超遅くなるぞ?」


「……いいわよ、今日は帰らなくても」


「は? お前、何言って……」


「いいでしょ? たまには、こういうのも」


「いや、だってそれ……」


「珠李だって、二人一緒だと、寂しくないでしょう?」


「自分の家の方はどうすんだよ?」


「気を使ってくれるの? 大丈夫、そういうの、気にしない家だから」


 えっとこれ、どういうことなんだ?

 つまり朝まで……OKって意味か?


 あれ、なんでこんな流れになったんだろ?


「なにもないって言ったってさ、シャワーとベッドくらいは、あ・る・で・しょ?」


 夢佳の魅惑的な笑みと甘い言葉に、心臓をわしづかみにされた気分になった。

 

 俺、女の子と、そういうことになったこと、あるのかな?

 覚えてないなら、実質経験値ゼロと一緒だよな。


 けど、なぜだろう?

 なんとなくだけど、何とかなりそうな、そんな気が……


 よし、と腹を括りかけたとき、


 ――あれ?


 目の前の路上で、人が固まって、なにやら騒いでいる。

 

 ガラの悪そうな三人組がいる。

 適当に伸ばした髪の奴や、中途半端な角刈りの奴。

 原色系のシャツをだらしなくはおったり、美意識の欠片もないタンクトップで申し訳程度に身を包んだり。

 充血気味の眼をして、口元を不自然なほどに歪めて、いやらしく笑っている。


 それと、女の人。

 黒のミニスカートがよく似合って、美麗な脚元に目が行ってしまう――


 おお?

 あれ、神代先生じゃないか!?


 学校で見たのと同じ服装の彼女は、男の一人に腕をつかまれて、何やら言い争っているような。


「夢佳、ちょっとここで、待っててくれ」


「え、ちょっと、珠李?」


 夢佳をその場に残して歩みを進めて、耳の神経を研ぎすます。


「いいじゃねえか、付き合えよ、ねえちゃん!」


「……お願い、やめて……」


「そんなにグデングデンだと、危ないよお? 俺達が、介抱してあげるからさあ」


「そうそう、朝までね! げははは……」


「お願いだから、放して……」


 あー、絡まれているんだな、先生。

 それに、何だか眠そうだし、ろれつが回ってないような……


 周りの人だかりは、目はくれるものの、口や手は出そうとしない。


 この前の、体育の時と似ているな。

 ほっとくとよくないよな、これ。


 ゆっくりと、男たちの背後から近づいて、


「すいませ~ん」


「ああ?」


「その人の知り合いなんす。連れて帰りますんで」


 と声を掛けて、神代先生のすぐ脇に立つ。


「なんだこのガキ? どっか行けよ、痛い目にあいたいのか?」


「あいたくありませんよ、そんなの。あんたたちだって、同じでしょう?」


「ああ!?」


「じゃあ、失礼しますね」


 先生の肩をぐっと抱えると、やわらかい体に指が沈んだ。

 

 ―― 酒臭い。

 酔ってるのか……?


「待てやこらあ!!」


 男の一人が、真っ赤な目をして突っ込んでくる。


 ―――― 左から顔面にストレートか


 刹那の瞬間にそう確信して。


 ひとまず先生から体を離して、男の拳をすれすれで躱す。

 左耳に、拳が撥ねた空気がザッと流れ込んでくる。


 遅いな、大したことはない。

 反撃してもいいけど、余計なことに、先生を巻き込みたくはないな。

 

 ひとまず、ふらふらな状態の神代先生を、その場に座らせる。


「ざけんなやあ!!」


 攻撃が二人に増えて、拳や蹴りが舞い飛んでくる。


 ―― 左が腹に蹴り、右は顔面に正拳突き。


 攻撃を先読みして、体の移動は最小限で、全部をぎりぎりで躱していく。

 相手の動きが何となく予想できて、それに合わせて体が自然に反応する。


 それが何回も何回も繰り返され、男達の拳や脚は空を切り続ける。

 取り囲む野次馬の群れから、感嘆符が乱れ飛ぶ。


 キリがないな、これ。

 相手が疲れるまで逃げてもいいけど、先生の方も心配だ。


 左の男が突っ込んでくるタイミングに合わせて、顎に掌底を軽く一発。

 途端に、その男は膝から崩れ、その場に倒れ伏した。


「あ?…… お、おい……てめえ……」


 倒れた男に駆け寄った別の男が、歪んだ目を向ける。


「止めましょう、時間の無駄ですよ。俺は、この人を返してくれれば、それでいいんです」


 これ以上は面倒臭いなと思いながら、目に力を込めて強気に睨み返すと、


「……あ……ああ……」


 俺を見上げる他の二人の男たちの表情にさっと影が差し、目を瞬かせる。

 額に珠のような汗がみるみるうちに浮かび、

 浅黒かった頬が、青白く変色していく。


「……す、すまねえ……」


 それだけ声を絞り出すと、倒れた一人を抱えて、その場から逃げるように遠ざかっていった。


 ―― 急にどうしたんだ?

 まるで、睨めっこに勝った時のような気分だ。


 遠ざかる男の一人が吐き出すように、


「……誰だあいつ……あの目は、ただもんじゃねえ……なんであんな奴が、こんなとこに……」


 そんなことを口走ったけど、俺には何のことかよく分からない。

 そんなに、目つき悪かったっけな、俺?


「神代先生――」


「あ……うん……」


「あれ、先生……?」


 神代先生はその場に座ったまま、ゆっくりと目を閉じてしまった。


 ―― だめだ先生、その座り方、見えてる……


 膝を曲げて地面に腰を落としていて、開いた脚の間から、白いものが。


 近寄って先生の体を肩で支え、ぐっと唾を飲み込みながら、手を当てて膝をきゅっとくっつけて、曲げていた膝を真っすぐに伸ばした。


 何とか、これで大丈夫かな。


「珠李!」


 離れた場所から様子を見守っていた夢佳が、心配げな顔で駆け寄ってくる。


「何だったの、あれ?」


「さあ? 単なる暴漢じゃない? それより……」


「えっ、神代先生?」


「うん。寝ちゃったみたいだな」


 神代先生はこちらに体を預けて、すーすーと寝息を立てていた。


「どうしようか?」


「そうだな。ほっとく訳にもいかないから、送ってくるよ。悪いけど、今日は帰ってくれるか?」


「ええ~~?」


 俺の申し出に、夢佳は大いなる不満顔を見せて、俺を睨みつけた。


「なら、私も……」


「いや、遅い時間になるかもしれないから、今日はもう、夢佳は帰った方がいい」


「……分かったわ、我慢してあげる。でもその代わり今度絶対に、お家に呼んでよね?」


「分かった。約束だ」


「それと、連絡先、教えて」


「あ、はい……」


 ジト目で睨む夢佳と、ひとまず携帯アプリで、連絡先を交換。


「……ねえ、珠李?」


「ああ?」


「あなたって、もしかして強いの?」


「……ごめん、体が勝手に動いただけで、よく分からないんだ」


「……そう。本当に、不思議な人ね」


 夢佳とのことは、ちょっと勿体ない気がするけど。

 まあ、またチャンスはあるかもしれないなと、なんとか自分に言い聞かせる。


 それよりも、今は先生の方が心配だ。


 夢佳には一人で自宅に帰ってもらい、ひとまずタクシーを呼んだ。


 えっと、どこに送ったら良かったんだっけ?

 そう言えば、神代先生の住んでいる所なんて知らない。


 どうしようか?

 荷物を漁って何か探すのも失礼だし。


 ―― 仕方ない。今日は先生を、俺の家に連れて行こう。



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