第8話 珠李と夢佳


「うちの家はね、鬼龍院家の分家なのよ」


 夢佳が重そうに赤い唇を動かした。


「それ、あの鬼龍院グループか?」


「そう」

 

 その名前は、耳にしたことがある。


 古くから伝統があって、家電を中心に大きくなった国際的な企業グループ。

 最近では観光、ファッション、ITとか、新しい業態を世界に広げていると聞く。


「分家ってなんだ?」


「本家が別にあって、うちはその他にいくつかある親戚。だから、そんなにいいものじゃないのよ」


「本家と分家って、違うのか?」


「ええ。本家のいう事は絶対。分家はそれに従うだけ」


「ふうん。それでもお前……夢佳はそこのお嬢様なんだろ?」


「小さい分家なんて、たかが知れてるわよ。うちのお父さんなんか、鬼龍院グループの関連会社の、社長でしかないんだから」


「……それでも、十分凄いと思うけどな」


 はあっと溜息をつきながら、


「そうかもね。けど、一族の中じゃあ、肩身が狭いわよ。本家主催のパーティの時なんか、お父さんは裸踊りをしていたし、私は本家の跡取の横でお酌だし。それに……」


「それに?」


「……いっぱい、触ってくるし……」


 恥ずかしそうに俯きながら、両の手を膝の上で結ぶ。


「……なんか、噂に聞く、おさわりバーみたいだな」


「……ま、それ以外にも、色々とね……」


 相当に恥ずかしいのか、首をぐっと折って、俺から顔を逸らしている。

 

 金持ちの家のパーティって、一体どんなのなんだよ?

 天外孤独状態で庶民の俺には、全く理解できない。


「金持ちの家も大変なんだな…… しんどくないのか、夢佳は?」


「ちょっと、しんどいかな。だからお父さんに無理言って、学校くらいは自分で選ばせてってお願いして。他の一族の人とは違ったとこにしたのよ」


「そっか。苦労してんだな、お前」


「それなりにはね。だから、みんなは私のことを『鬼龍院のお嬢様』っていう目で見るけど、全然大したことはないのよ」


「そうか。まあ、みんなからは、そんなの分からないもんな」


 夢佳は上下に首を振り。

 もう一つ深い深い溜息をつく。


「そうなのよね。だから昔から変に距離を置かれて、赤石みたいな変な奴らしか、寄ってこないのよ」 


「なるほど。あの連中は、そんなことおかまいないってことか」


「……ねえ、珠李は、そんなこと、気にならない?」


「いや、全然。そんなの、俺の目の前にいる夢佳とは、関係ないじゃないか。俺は、今ここにいる夢佳が好きだぞ」


「…………あの………珠李………」


「あ?」


「ね、ねえ。私のことはいいから、珠李のことを訊かせてよ?」


 首まで朱に染まった夢佳が、はにかみが混じった笑みを向ける。


「俺? 俺は普通の学生だぞ。ちょっと年を食ってるけどな」


「普段は何してるの? 昔は、どうだったの? 家族とか、中学の時とか?」


「質問多いな、おい」


「ごめん……」


 さて、困ったな。

 正直に話したら変に思われるだろうけど、仕方ないよな。


「覚えていないんだよ」


「え?」


「俺は中三の終わりまで、母さんと一緒に普通に暮らしていて、部活とかはしていなかったな。勉強も運動も普通で、彼女とかもいなかった。けど、幼馴染はいたかな」


「……それで?」


「そっから先の記憶が無いんだよ。記憶喪失ってやつかな」


「ええっ、そうなの!?」


 流石に驚いたのだろう。

 目を大きく見開いて、口をぱっくりと開けている。


「うん」


「……じゃあ、今まで、どこで何をしてたのかも?」


「うん」


「それがどうして、うちの高校に、転入することになったの?」


「突っ込むなあ、お前」


「ごめん。でも、気になるじゃない?」


 俺のことを心配してだろうか。

 夢佳の顔に薄い影が落ちる。

 じんわりと上目使なのが、何だか可愛い。


「学生生活のやり直しかな。中学までの思い出や記憶しかないのに、いきなり社会人になって働くのって、なんかつまらなくないか?」


「それはそうだけど……」


「あ、お姉さん、ビール二つねえ! それと、エイヒレと揚げ出し豆腐!」


 神妙になりかけた空気を、隣の席のリーマン客の陽気な声が打ち破る。


「だからさ、俺がどんな奴だったのか、俺も知らないんだ」


「…………」


 無言で俺の顔を見やる夢佳。


「だから、こんな奴とは、付き合わない方がいいかも知れないぞ? もしかしたら、赤い髪の奴なんかよりも、よっぽどクズかも知れない」


 そうは思いたくはないけれど、如何せん、俺自身も、全く自信が持てないのだ。

 そもそも、なんで外務省勤めの女の人にここまで気に掛けてもらって、今の家に住めて、今の暮らしができているんだ?


 ―― それに、何で、あんな所にいたのか……


「よく分からないけど、私、珠李がそんなに悪い人には、見えないのよ」


 陽気な酔っぱらい達が醸す喧騒の中、夢佳の落ち着いた声が耳に流れ込んできた。


「そうか?」


「うん。だって、篠崎さんのこととか、本気で心配しているみたいだし。それに私のことだって、普通に喋ってくれているし」


「そりゃ、当然だろ。俺、夢佳のこと、大好きだし」


「あの……そういうこと、こんなとこで簡単に言わないで。はずかしいから……」


「そうか? なら、人がいないとこで、言うようにするよ」


「え、と……もう……」


 そう言えば、神代先生も、同じようなことを言ってたな。

 女性って、他に人がいないとこで褒めた方が、嬉しいものなのかもしれないな。


「じゃあ、今はお母さんと一緒に暮らしているの?」


「いや、母さんはもう、亡くなったらしい。だから今は、一人暮らしだ」


「あ……!」


 両手で口を押え、眉の端を下げる。

 申し訳なさそうに、


「ごめんなさい……」


「いや、いいよ。それこそ、他の人には分からないことだ」


「寂しくないの?」

「寂しい…… どうかなあ。母さんが亡くなったって聞いた時は大泣きしたけど、今はこれが普通だと思っているからな」


「他に、親戚とかは?」


「いない。天外孤独だよ」


 そりゃあ、普通に家族とかがいるのと比べたら、寂しいのかもしれない。

 けれど、そういうのも含めて、何だか自分のことではないように、ふわふわしているんだ。

 まるで、違う人の人生を、生きているかのように。


 記憶が無いってことは、そういうものなのかな。


「そんなの…… 私なんかより、よっぽど大変じゃない……」


「かもな。でも、今こうして大す…… 夢佳と話しているのは、楽しいぞ。お前はあの高校でできた、最初の友達だ」


「……友達か…… じゃあさ、もっと仲良くならない……?」


「もっと仲良くか?」


「うん。珠李のお家………… 行ってもいいわよ」


 夢佳は嬉しそうに笑みを咲かせながら、そんなことをさらっと口にした。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る