第6話 放課後の学校

 その日の授業が全部終わってから、職員室に足を向けた。


 ガラリと扉を開けると、昨日と同じ場所に神代先生が座っていて、プリントか何かに真剣に目を落としていた。

 邪魔したら悪いかなと思いつつも、こっちにも用事があるので。


「あの、神代先生?」


 声を掛けると、彼女ははっとして整った顔を上げて、俺がいる方へ首を向けた。


「ああ、藤堂君。なにか御用?」


「今日も綺麗ですね、先生。その服装、素敵です」


「……! と、藤堂君!? いきなり何を言うの!?」


 女性そのものを褒めるだけじゃあなく、その服装や持ち物を褒めるのもいい。

 やんわりと、その人のセンスの良さとかにも触れて、自分はあなたに興味がありますよ的なことを、アピールするのだ。

 仲よくなるためにはいいのだよと、確か誰かがそんなことを言っていた。

 

「全く、藤堂君は、お世辞が上手ね」


「お世辞じゃないですよ。先生が、綺麗だから、洋服も引き立って、両方が綺麗に見えるんです。特にそのスカート、素敵です」


 黒のミニスカートに、同系色のストッキング。

 脚がきゅっと締まって、女性としての魅力が何倍にもアップして見える。


「ちょ……あの、そういうことは……」


「あ、すいません、職員室以外でってことでしたよね。でも、そう思ったから、つい口から出ちゃいました」


「えと、あの……」


 彼女は頬を赤らめて、じっと俺の方に目をやってくる。


 良かった、少しは喜んでくれたかな。

 これで、大事な話しがしやすい。


「ところで先生、相談がありまして」


「な、なにかな……?」


「クラスの生徒の名前を覚えたいんですけど、名簿かなにかってありませんか?」


「あ……そうね、うん。じゃあ明日、座席と名前を書いたものを、藤堂君に渡すから」


「ありがとうございます。流石は先生!」


「いえ、その程度なら、お安い御用よ」


「それと、もう一つ相談なんですが」


「なにかしら?」


 神代先生の耳元に顔を近付けると、一瞬ピクンと彼女の肩が跳ねたような気がした。

 ぎりぎり聞こえる程の小声で、


「二組に、いじめられているっぽい子がいるんですけど?」


「……え?」


 彼女は今までの緩んだ表情から、にわかに神妙な面持ちになった。


「本当に?」


「はい、俺見ました」


「……ちょっと、場所を変えましょうか」


 そう言うとさっと席を立って、手のひらを上下にひらひらさせて、こちらを手招きする。

 真後にくっついて職員室の端にある小部屋に入り、狭いテーブルを挟んで向かい合って座った。


 真っ白い蛍光灯の光が降って来る中で、彼女は唇を揺らした。


「どういうことなの?」


「篠崎さんが、教科書を破られたりしています。今日の体育の授業の時も、男子にわざとぶつかられて、転がされたり」


「本当に?」


「はい。今日は教科書を破られて、ゴミ箱に捨てられていたんです。彼女、それを拾い集めて、テープで貼り直したりしてて」


「……そう……」


 神代先生は視線をテーブルに落として、両の手をきゅっと結んだ。

 黒真珠のような淡い光を湛えるはずの瞳を曇らせて、唇を噛む。


「ありがとう、藤堂君。申し訳ないけれど、先生、気づいてなかったわ」


「先生だって、ずっと教室にいる訳じゃなから、しかたないさ。俺は昨日からたまたま彼女の隣にいたから、気づけたんだ。だから、先生は悪く無いよ」


「藤堂君…………」


「誰がやってそうかも予想はつくんだけど、証拠はないんだ。けれど、このままだと、篠崎さんが可哀そうだからさ。だから、先生にだけは伝えとこうと思って」


 そう告げると、沈んでいた神代先生の表情に、少しだけ光がさした。


「藤堂君って、優しいのね」


「そんなことはないよ。俺はたまたま、その場にいただけだから」


「……違うのよ。私にも、気を使ってくれて」


 嬉しそうに、頬を緩めて。


「分かった。どうしたらいいかすぐには分からないけど、先生考えてみる。だから、また何かあったら、先生に教えて?」


「分かりました」


「それと、できたらね、篠崎さんのこと、助けてあげてくれるかな? 彼女も、傷ついているかもしれないし」


「はい、そうします」


「ありがとう」


 少し気持ちが緩んだのか、神代先生に普段の笑顔がこぼれる。


「うん、やっぱり神代先生は、そうやって笑っている方が素敵だな」


「と……藤堂君……?」


 神代先生の頬に、また赤みがさしていく。


「お願いだから、そういうのはやめて? 恥ずかしいから……」


「周りに人がいないからいいかなって思ったんだけど。今度からできるだけ、先生が恥ずかしくないような言い方にするよ」


「そんなの、どんな言い方したって……」


 肩をすぼめて、何だか拗ねた子供のような目を、こちらに向けてくる。


「え……と、用事はそれだけかな?」


「はい。もっと先生と話していたいけど、俺の方もちょっと用事があるから。また今度って、ことで」


「ええ、じゃあ、また今度に……」


 話を終えた二人は小部屋を出て、さようならの挨拶を交わしてから、俺は教室へと向かった。


 一年二組の札がかかった部屋の前に立つと、中から話し声が聞こえる。


「いいじゃないか、付き合えよ」


「だから私、今日は用事があるんだってば!」


「この前もそう言ってただろ、付き合い悪いじゃねえか?」


「こっちにだって、色々と都合があるのよ」


「そんなこと言うなよ。また楽しませてやるからさあ?」


「あんた、結局それが目当てなんでしょ!? 一度や二度寝たからって、いい気にならないでよ!」


 なんだこれ?

 恋人同士の痴話げんかか?


 そっと中を覗くと――


 だらしなくにやついた顔の赤石と、眉間に皺を寄せた夢佳が向きあって、言い争いをしていた。


 どうしたもんかな、これ。

 男女の仲に割って入るのは、良くないだろう。


 でも俺、これから夢佳と、約束しているんだよな。


 ――まあ、俺が顔を出せば、どっちがいいのかは、夢佳が選ぶだろう。


 そう考えて、教室に足を踏み入れる。

 二人ともすぐに俺に気づいて、眼差しをこちらに向けた。


「あっ、珠李君、待ってたわよ!」


 夢佳が嬉々とした色を顔に浮かべて、手を振ってくる。


「ああ? お前が用事があるって、もしかしてこいつか?」


「ええ、そうよ」


「ふざ、ふざけるなあ! なんでよりによって、こんな奴と!?」


「関係ないでしょ、あんたとは」


 そう言葉を飛ばしながら彼女は、帰り支度を始めた俺の方へと駆け寄ってきた。


 赤石が血相を変えて、


「てめえ新入り、どういうつもりだああ?」


「何を怒ってるのかよく分からないが、俺はこれから帰るんだ」


「そうよ、私と一緒にね!」


 夢佳は俺の後ろに回り、両肩の上に小さな手を乗せた。


「きっさまあ…… なんなら、ここでのしてやってもいいんだぜ?」


「ちょっとやめてよ、こんなとこで! みっともないわよ!!」


「ぐうう……」


 夢佳に一括されて、赤石はぐっと押し黙り。


「覚えてろよ、新入り……」


 そう吐き捨てて、のしのしとこの場から立ち去って行った。


 なんか、よっぽど嫌われたみたいだな。

 サッカーのことが気に入らないのか、それとも夢佳を盗られたとでも思ったのか。 


 高校生活って、意外と大変で、面倒くさいんだな。



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