第3話 体育の時間

 翌日の始業時間前、教室の自分の席で微睡んでいる。

 窓から差し込む光は既に夏のそれっぽいけど、体が温まって眠気を誘うには丁度いい。

 昨夜は上手く寝付けなかったので、かなり寝不足気味なのだ。


 HRの時間になって、前の方の扉から、神代先生が入ってきた。


 今日も綺麗だな。

 若干霞んだ目で、ぼんやりと目を向ける。


 黒のミニスカートが美脚に纏わりついていて、体のラインがくっきり浮かび上がっている。

 よく似合っている、大人の魅力いっぱいだな。


 俺の視線に気づいたのか、一瞬目が合った後、さっと他に目線を逃がした。


「今日は全員出席ですね、えっと…… 夏の林間学校の参加申し込みが、今週中までです。希望者は、申込書を出して下さいね」


「そっかあ、そういえばなあ」


「ねえ、どうするの?」


「私、もう申し込んだよ」


 教室の中がその話題でざわついている。


「せんせー、それって、せんせーも行くんですか?」


「ええ。私も引率者として、同行します」


「じゃあ俺、せんせーと一緒の班がいいなあ」


「あ、俺もそれ!」


 何人かの男子生徒が、猿の鳴き声のような黄色い声を上げる。


「馬鹿言ってるんじゃありません。生徒同士で、班を組んでもらいますからね!」

「ええ~、つまんないなあ~」


 そういえば、転入の時のオリエンテーションで、そんな話もあったなと思い出す。

 夏休みを利用して、希望者は一泊二日のキャンプ旅行に参加できる。

 毎年、一年生を対象に、実施されているらしい。


 高校生イベントとしては興味があるけれど、今の所ぼっちの俺なんか、どこの班にも入れないかも知れないな。


 それから神代先生は、期末試験の日程や、その他こまごまとした注意事項を説明して、教室を後にした。


「なあ、今日も神代先生、いかしてたなあ?」


「おう、抱きつきてえ~」


「仲良くなりたいなあ~!」


 好奇心旺盛な男子が考えることは、やっぱりよく似ていて、下心があちらこちらで顔を出す。

 あまり褒められたものではないのだろうけれど、でもそれだけ、先生は間違いなく魅力的で、人目を惹くのだ。


 今日の一時限目は、体育の授業。

 男子と女子、それぞれ更衣室で体操着に着替えてから、グラウンドに集合した。


 開始早々、いかついガタイの体育教師が、申し訳なさげに話を切り出した。


「みんなすまん、ちょっと急用があって、今日は自習にする。サッカーの試合を予定していたから、二つに分かれてボールでも蹴っておいてくれ」


「ええ~、ずっとそれやってんの?」


「だったら、教室でなんかやってる方がいいじゃん」


「先生、女子もそれなんですか?」


「みんなすまん、とにかく急用なんだ。学級委員、あとは頼む!」


 そう言い残して、体育教師は風のように去った。

 

 高校の体育の授業って、いつもこんな感じなのか?

 なかなかに、いい加減だ。


 話を振られた学級委員の女子生徒が、しかめっ面をみんなに向けながら、


「じゃあ、男女混合で、分かれようか。出席番号の前と後で」


「なんかいい加減じゃない、その分け方?」


「しょうがないでしょ。授業を放り出した先生が悪いのよ!」


 彼女の仕切りで、一応半分ずつの組み分けが出来上がり、サッカーの試合(?)が開始された。


 確か、手を使わずに、ボールをゴールに入れればいいんだよな。


 と思って真面目に走ってみるけれど、他はみんな突っ立ったままだ。

 真剣みもなく、両チーム同士で単純にボールを蹴り合う、退屈な時間が続く。

 

 そんな中、


「よっしゃああ、行くぜえ!」


 茶髪の痩身の男子が雄たけびを上げながら、ボールを持って颯爽とドリブルを開始した。


 お、やっと本気になったのか。


 ―― あれ?


 そいつは真っすぐにゴールには向かわず、あらぬ方向へ。


 その先には、タッチライン沿いぎりぎりの場所に立っていた、眼鏡とマスク姿の女子生徒がいた。


 隣の席の子だな。


 ぼんやり目で追っていると、その男子生徒は女子生徒に派手に激突して、地面の上に転倒させた。


 ! おいおい、大丈夫かよ?


 豪快に倒れ伏した女子生徒はすぐには起き上がれず、倒れた拍子で眼鏡が地面に転がった。


「おっと悪りい。お前地味だから、いるのが分かんなかったよお」


「はは、それは、篠崎が悪い!」


「そうだそうだ、篠崎がぼーっと立ってるのが悪い!」


 何人かの男子生徒が、派手に囃し立てる。


 -- 悪意があるな。

 すぐにそう感じた。


 倒れた女子生徒はうずくまっているけれど、誰も助けようとしない。


 怪我でもしてなきゃいいな。


 そんな心配をして、彼女の傍に近寄って、落ちていた眼鏡を拾った。

 中腰になって彼女の様子を伺いながら、


「大丈夫か?」


「……うん」


「はい、眼鏡」


「……ありがと」


 彼女は顔を上げて、一時目が合った。


 そのとたんに、胸がドクンと跳ね上がった。


 くっきりとした二重で、少し濡れた瑠璃色の大きな瞳、軽くカールした長い睫毛。

 

 綺麗な目だ。


 そしてなんだか、どこか懐かしい。

 なぜかそんな風に感じて、気持ちが踊った。


 いささか呆けた顔の俺から眼鏡を受け取ると、彼女は目線を外してさっと顔に乗っけて、またその場に立ち尽くした。


 再びボールが相手のものになって、今度は青い髪の別の男子生徒が、彼女の方に突進してくる。


 また同じ事をやるつもりだな。


 そう確信して、咄嗟にその男子生徒と彼女とに間に体を入れ、肩をそいつに軽くぶつけた。


 『ドスン!』


 という鈍い音が響いて。

 その男子生徒は空中で小さな放物線を描きながら、浮き上がって、そして地面に沈んだ。


 ――軽いな。

 威勢ほど、大したことはないな。

 

「ぐおおおおおおお……」


 胸の辺りを抱え込んでもんどり打ち、ヒキガエルの鳴き声のような嗚咽を上げ、その場から立てない。


「おい、大丈夫か!」


 何人かの男子生徒が、その場に駆け寄ってくる。


「おい新入り、貴様あ……」


 赤い髪の男子が、醜い形相で顔を近付け、狂気をはらんだ目を向けてくる。


「いい度胸してんじゃねえか」


「何を言っている。俺はボールを奪っただけだ。じゃあ、行くぞ」


 足元に転がっていたボールを拾って小刻みに蹴り進めながら、相手ゴールの正面に近づいて、右足を一閃。

 白と黒の市松模様の球体は弾丸のように、左端すれすれの場所でゴールネットに突き刺さった。


 その場にいる全員が沈黙して、グラウンド中が通夜のように静まり返る。

 誰も声を発せず、その場から動かない。


 本当に体育の授業かよこれと、訝しく感じてしまう。


 俺は眼鏡とマスクの子のすぐ傍に戻って、声を掛けてみる。


「これで、こっちの1点リードだよね」


 つまらない一言だったのかな。

 彼女からの反応はない。


 それから体育の授業が終わるまで、ずっと彼女の傍に突っ立っていたけれど、再び男子生徒達が彼女に向かってくることは無かった。


 ただ遠目のあちこちから、ぎらついた目線だけは発せられていて、それが俺の体を突き刺していた。



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