第1話 俺は転入生

「じゃあ、転入生を紹介するわね」


 もうじき初夏を迎える季節の中、陽光が差し込む教室の中は少し蒸し暑い。


 絹のような長い黒髪が印象的な女性教師が、透き通る声を流した。

 

 神代美玲かみしろみれい先生。

 まだ若い、教師になりたてといったところかな。

 自信はまだなさ気だけれど、精一杯背伸びをしている感じだ。


 初々しさが残る白くて綺麗な横顔、スタイルもよくて長く瑞々しい脚線美。

 ……多分、CかDカップといったところかな。


 別に、この人に特段興味や下心がある訳ではない。

 これからお世話になるだろう担任がどんな感じなのか、それが気になっただけ。

 

 本当に、それだけ…… のはず。


藤堂珠李とうどうしゅり君よ、みんな仲良くしてね。藤堂君、自己紹介をしてもらえるかな?」


「はい、分かりました」


 目の前には、ざっと40人くらいの、制服姿の高校生達。

 白いシャツに赤いネクタイ姿、何人か、不自然に着崩したやつもいる。


 興味深気に目線をくれる女の子、外を眺める者、欠伸をする野郎、色々だ。


「藤堂珠李です。どうぞよろしくお願いします」


 それだけ声にして、深々と腰を折る。


「藤堂君、他には何かないの? 趣味とか、これからの抱負とかさ」


 どうしたものかな、特にはないけれど。

 そうだ、強いて言うなら。


「えっと、空を眺めるのは好きです」


 無言の反応が返ってくる。

 こういう時って、どんなことを喋ったらいいのかな。

 よく分からない、人と話すのは難しいなと、いつも思う。


「そうなのね。青い空とか星空とか、綺麗よね?」


 神代先生はこちらに笑みを向けて、せいいっぱい俺の言葉を拾おうとしてくれているようだ。

 結構、真面目な人なのかもしれない。


 俺自身、なんでそれが好きなのかは、よく分からない、

 けれど、空を見ていると、遠くにいる誰かと繋がっている。

 そんな気がするんだ。


「……はい、そんな感じです」


 先生の心遣いに向けて、一言だけは返す。


「そう、ありがとう。じゃあ、一番後ろの空いている席に座ってくれるかな?」


「はい」


 幾人かのクラスメイトの目に追われながら、机の間を縫って後ろの席へ。

 

 窓際か、悪くないな。

 静かに外を見ていられそうだ。


 椅子に座り前に向き直って、教室を見回す。

 少し離れた場所から、ひそひそと話し声が流れてくる。


 多分俺は、人より耳はいい方で、何となく内容が分かる。

 

「変わってるね、あの子」


「うん。でもちょっと、いい感じじゃない? 大人っぽくてさ」


「え~、あんな老け顔がいいの?」


 女の子から老け顔といわれてしまったな。

 まあ無理もないか。


 すぐ隣の席は――


 何だか変わった子だな。

 長い髪を三つ編みにして、黒縁の厚底眼鏡。

 それに、白いマスクで顔をしっかりと覆っている。


 風邪? それとも伝染病が怖いのか、あるいは何か別の理由でもあるのかな。

 全然表情が分からない。


 短いHRの後、神代先生と入れ替わりで、一時限目の社会科の男教師が入ってきて、授業が始まった。


 うわあ、しまった。

 今朝はちょっと寝坊をして購買に寄れなかったので、まだ教科書が手元に無い。


 どうしようか。

 隣の子に、見せてもらうしかないかな。


「えっと、ごめん……」


 小声で話し掛けてみても、沈黙が返ってくる。


「あの、ごめん!」


 もうちょっとだけ大きな声を投げると、その子はびくりと体を跳ねさせて、僅かに顔をこちらに向けた。


「ごめん、まだ教科書が無いんだ。悪いけど、一緒に見せてもらえないかな?」


「……」


 返事がない。

 仕方ないよな、今日会って初めてで、いきなりそんなことをお願いしたのだし。


「……あんまり私と、話さない方がいいよ」


「え?」


 消え入るくらい小さな声だったけど、確かにそんな風に聞こえて。


「どういうこと、それ?」


「……」


 何も返してくれないけれど、彼女は俺の側に、教科書を寄せてくれた。


 ―― あれ?


 見てすぐに、変に思った。


 その教科書にはたくさんの破れ目があって、透明なテープでくっ付けてある。

 まるで、ビリビリに破かれた後、丁寧にくっ付け直したかのように。


「ありがとう」


 そのことは突っ込まずに御礼だけ言って、

 自分の机を引きずって、彼女の机に近づける。


「ちょ…… 何してるの?」


「あ、ごめん。近寄らないと、見えにくかったんで」


 彼女の声には戸惑いの色が混ざっていたけれど、相変わらず表情は読み取れない。


「そこ、何してるんだ!」


 初老の男教師から、詰問ちっくな声が飛ぶ。


「すいません。転入したてでまだ教科書が無いので、一緒に見せてもらっています」


「そうか、なら仕方がないな。静かにな」


 男教師は黒板に向き直って、また無機質な授業を再開する。

 カリカリと、白いチョークが黒板と擦れあう音が染み渡る。


「ごめん、怒られちゃったな」


「……別に、私が怒られたわけじゃないわよ」


「あ、そうだよね? はは……」


 それから彼女とは一言も話さず、社会科の授業は何とか終えて、急いで購買に直行。

 大量の教科書や参考書を購入して、教室へ戻った。


 そこから、何事もなく時間が過ぎていく。

 黙って先生達の話を聞いて、一人で学食に行って昼飯を食べて、また授業。


 放課後になって、俺は職員室にいる、神代先生を訪ねた。

 

 転入初日ということもあってだろう。

 放課後になったら来るように言われていたのだ。


 扉をガラリと開けて中に入ると、書類やら本やらが山積みの机が並んでいて、

 その中の一つの前に、髪に手をやりながら脚を組む神代先生の姿があった。

 

 ―― 高校の職員室って、こんな感じなんだな。

 中学の時よりかは雑然としていて、教師の数も多いかな。


 そんな事を思いながら、歩みを進め。


「先生、来ました」


「あ、藤堂君。よく来てくれたわね。まあ、座って」


「はい」


 言われた通りに、先生のすぐ横にあった椅子に腰を下す。


 こうして見ると先生、脚も綺麗なんだな。

 すぐ目の前で、その白さと肉感を主張する太ももに、つい目がいってしまう。


 仕方ないよな、先生のスカートが短か過ぎるのも、よくないんだ。


「どう、登校初日は?」


 まだ少女の面影を残す大人の女性、淡い輝きを湛えた黒い瞳をこちらに向けて、口の端を上げる。

 

 思わず見とれてしまいそうになりながら、


「はい。何事もなく、やってました」


「そう。クラスには、なじめそう?」


「まだ、よく分かりません」


「そっか。そうよね、まだ初日だしね」


 神代先生は、丁寧に言葉を選んでいるようで。


「あの……みんな藤堂君よりは年下だけど、お話とかできそう?」


「えっと、それもまだよく分かりません。でも、それは分っていたことですから」


「そうね……」


「先生と、あまり変わらない感じですもんね、俺の年」


「あ…… まあそうかもだけど、でも私は、君の先生だからね?」


「はい、分かっています」


 俺の言葉に、ちょっと慌てた仕草をしたのが、何だか可笑しい。


「それで、あの……」


「はい?」


「藤堂君は、なんで空が好きなの?」


「えっと……」


 何となくだけど、俺と一緒に話せる話題を探してくれているようだ。


「空が好きってことじゃありません。ただ……」


「ただ?」


「空を見ていると、思い出せそうな気がするんです。忘れてしまっている、大事な何かを」


「そっか…… 五年だものね。きっと、色々とあったんだろうね」


 思いついたことを言の葉に載せる俺を、神代先生は真剣な眼差しで見入って、こくんと頷いた。


 俺は今日から、西園寺学園高校一年二組の生徒。


 今年で21歳になる、酒もタバコも一応許される身の上。

 そして、15歳くらいから最近までの思い出が、頭の中から抜け落ちてるんだ。




◇◇◇

(作者より)

 この度はお読み頂きまして、誠にありがとうございます。

 感想、コメント等ございましたら、是非お願いできれば幸いです。


 引き続き、どうぞよろしくお願い申し上げます。




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