ファリック・ファブリック

宗紫

ファブリック1 知的石灰

俺のち◯こが消えたわけ

「あなたのペニスは分裂しました」


 そう言ってすまし顔の女は紅茶をすすった。


「あちっ」


 ドジっ子だった。


ぶるるん


 驚いた拍子に大きく揺れる胸。彼女は巨乳だった。


「…いや、待て。いまお前なんつった?」

「ふー、ふー…あなたのペニスが分裂したと言いました。ズズズッ」

「な、なんで!?」

「性病です」

「いや、俺童貞だけど!?」

「はい、あなたに性交渉の経験がないことは知っています。私たちが病原体を注入しました」

「つまり、お姉さんが俺のハジメテの相手って…こと?」

「ち、違います!」


 巨乳のお姉さんは耳まで赤くしながら否定した。かわいい。


「説明が不十分でしたね。正確には性病の病原菌に近い別の菌をあなたに注入したのです」


 えっ、酷い。心ある者がやっていいことではない。なんなら謝罪するに当たって美人を担当者に据えているのがいやらしい。


「なんでそんな酷いことを?」

「ええ、あなたの怒りももっともです。しかし、いま少しだけそれを収めて説明を聞いてください」

「はあ」

「私たちはアルマファール星を支配する、いわゆるアルマファール星人です。十三代アルマファール星王ヴォボ・ウル・ガンジース-名前の意味は古語で『最も大きな王』ですね-その星王ヴォボが四つの銀河を征服した際に…」

「なになにそれ、初出の言葉ばかりだし、そもそもいきなり話のスケールが大きすぎてついて行けないんだけど。ちなみに、その説明ってどのくらいかかる?」

「地球時間で26028002秒でしょうか。」


 秒で示してきた。やり口が時間泥棒と同じである。


「…じゃあ、その三国志みたいなのを圧縮して、超大雑把に経緯を教えてもらってもいい?何時間なのかわからないけれど、そんなに聞いてたら絶対に登場人物どこかで混同するし、何の話してるのか分からなくなりそうだから。こういうのいつも最初の1巻で挫折するんだよ」

「本当によろしいのですか?星王ヴォボの息子ヴォルグレスが小惑星連合軍に一騎駆するシーンは子供たちの間でも『激アツ』らしいのですが…」

「よ、よろしいです」

「そうですか、本当によろしいのですか?」


 めちゃくちゃ念押ししてくる。


「よろしいです」

「わかりました。性病のもとは三十七代星王が第三次星雲遠征の際に持ち帰った家畜です。」


 三十七代って、十三代からどれだけあると思ってんだよ。話短くしてもらってよかった。


「九つの銀河を征服し贅の限りを尽くした星王は生半可なものでは持ち帰らないのですが、この動物は完成された美その一点によって星王の目に留まりました。形や生態はあなたたちの知るブタに似ているかもしれませんが、我々の欲望を煽ったのはその理知的でかつ神経質そうな美形特有のメランコリックな雰囲気です。これに惹かれた貴族たちがこぞってこれと性交渉をしたことで、星中を恐怖させる性病が広がったのです。ちなみに、どれほど恐れられていたかと言うと、恐怖から名を言うのも憚られるので初めから名前を付けられなかったほどです」


 危機の原因がアホすぎる。


「この病気が恐れられる原因はその範囲にあります。この菌は感染から三日後に性器内で核融合反応を誘導し、爆発します。そして爆発とともに周囲に飛び散り空気感染も起こさせるのです。事態を重く見た星王はすぐに星中の医者に研究させ特効薬の製作に努めるよう命じました。しかし、終に薬はできず、行き詰った我々は原始的な方法に出ることにしたのです。あなたたちの知るところの種痘と似たような方法です。私たちは最大限に弱毒化したこの病気を辺境の地球という惑星に暮らすそこそこ複雑な生物に与えることでワクチンを作ろうと考えました。そして、あなたは六十億分の一の確率の宝くじに当選した人間牛というわけです。」

「…はあ、なるほど」


 経験上この手の理解不能な事柄はその場では了解した振りをしておくことが大体有効なので、無理やり自分を納得させた。きっと追々何が起こったのかわかるようになってくることだろう。学校の授業と同じだ。危機テストが迫って初めて内容を理解するようになるのだ。


「…もう時間ですね」


 お姉さんはちらりと俺の後ろを見やった。


「時間?」

「ええ、あなたとのお喋りが終わってしまう時間です。」

「はあ」

「あなたの分裂したペニスは各地に散らばってします。これを倒してください。そうすればあなたの病気は治り、我々はワクチンを作れます。」

「は?なにそれ、倒す?ち◯ちんと戦うの?えっこれ夢だよね、夢でしょ?」


 質問に答える代わりに彼女は両拳をぎゅっと握り、胸の前に掲げた。応援してるのポーズだ。


「えっ、これ結局何の夢なの?」


 疑問は言葉になっているのか、心の中に溜まって響いているのかも判然とせず、ゆっくりと意識はぼやけて行った。








ゴッ


「痛っ」


 俺を昼のまどろみから引き戻したのは強面日本史教師の愛ある拳骨であった。四十過ぎの毛深い剛腕から繰り出される一撃は、相手をノックアウトさせるのでなく、ノックアウト状態の相手を叩き起こす救命の妙技である。こんな学校で教師などやらずに、WHOにでもなんでも入ればよいのにという生徒たちの思いが溜め息とともに漏れることもしばしば。


あずまぁ、俺の授業で寝るなんていい度胸じゃねえか?ええ?」

「…すみません、宇宙人を名乗る謎の美女と交信しておりまして」

「面白い言い訳をすれば許されると本当に信じているなら、死ぬ気でボケろ。俺は甘くないぞ」

「ご、ごめんなさいでした」

「ったく、しっかり授業受けろってんだ」


 面倒くさそうに四十代すぎの料理部顧問ガチムチ既婚男性は教壇に戻って行った。さっさとゴリラの王国に帰れくそが。

 俺は机に突っ伏した。ノートには下に行くに連れ力の抜けた判読難の文字列、眠気との死闘の痕跡が見えた。板書は後で田辺くんに見せてもらうことにしよう。彼は自分より下だと思った奴には優しいので、俺には快くノートなどを写させてくれるのだ。彼は現代人に不足気味な自尊心を補充でき、俺はノートの空所を埋められる。お互いの不足を補い合う理想的な人間関係がここにあった。


 ん?待て、おかしい。


「…あれ?」

あずま!寝るならまだしも騒いで授業妨害までしたら拳骨じゃすまねえぞ!」

「えっ、あれ?あれ?ない。ないないないないないない!」

「…ど、どうした?顔色悪いぞ。体調が悪いのか?」


 嘘だろ、ない!がない


「あの、えっと、トイレに行ってきてもいいですか?」

「ああ、行って来い。先生もゴメンな、気づけなくて」

「いえ」


 ジム通い加齢臭おじさんが背負う必要のない罪悪感とともに謝罪しているが、今はそれどころではなかった。教室を出て、廊下を全力で駆ける。足を動かす度に感触が帰って来ないことの違和感が、焦燥感を掻き立てる。二階奥、一箇所にのみ設置された男子トイレの個室に駆け込み、荒ぶる鼓動を鎮める。いや、まだなくなったと確定したわけではない。確かに変な夢は見たが、夢は夢である。そんな訳はないのだ。


「はあ、はあ。よし!」


 ベルトを外し、ズボンのファスナーを下げる。パンツとズボンを一緒に掴み、覚悟を決めて、ずり下げた。


 そこにはあるべきモノがなかった。


「俺のち◯こどこ行ったああああああああああああああ!!!!」


 思い当たる節は一つ、あの電波巨乳女の出てきた夢だ。


「えっ、ちょっと待て、あれがこれでそれがあれで、えっ、ちょっ、え?え?」


 パニックである。


「世界中に俺のちんこが散らばってるって、そんなの見つかる訳ないだろ。五畳の自室でさえよくものを失くすってのに、何畳あるかも分からないこの世界でちんこの破片探せなんて鬼畜ゲーすぎるだろ。なんで自分のちんこが世界を旅してるんだよ、ウォーリ◯を探せじゃねえんだぞ。あいつとの共通点なんて使ってるオナホと柄が一緒なくらいだろ!なんなんだよどうしろってんだ!というか、あれ夢じゃないの!?」


 半狂乱になりながらズボンを上げ下げし息子の不在を確認し続けているが、悪夢からは醒めない。そして、訳も分からず叫び踊り狂う中、耳ざとくトイレに人の入ってくる足音を聞いた。即座に俺は黙った。こんな姿を人に見られては恥ずかしくて明日から不登校になりかねない。足音はゆっくりと近づいてくる。大か?いや大ならもう少し急ぐはず、これは小だ。比較的きれいに使われている小便器を物色しているのだろう。

 しかし、予想は外れ、ファスナーの開く音も小便の水音も聞こえて来ない。


「トイレでそんなに騒いで何かあったんですか?」


 女の声だ。響き方から俺の居る個室の前に立っているらしい。


「なんのことだ?」

「いやいやとぼけなくても大丈夫ですよ。あなたが男子トイレで奇声を発していたことは誰にも言いませんから。で、何をやってたんですか?」

「いやあ、大の方がなかなか出なくて、苦しさのあまり雄叫びを…」

「本当ですか?怪しいですね」

「個室でう◯こすることのどこが怪しいってんだ」

「いえ、何か隠しているような雰囲気がしましてね…う~ん、直接確認した方が早そうですね」


 ちょっと、とか、待て、とか静止の声を掛ける前に彼女は個室のドアの天辺に手をかけ、上から頭を覗かせた。爛々と開く彼女の瞳には、ち◯こなき股間を寂しく晒す間抜けな男の姿が映っていた。


「きゃあああああああ!」


 ド変態だ。男子トイレに入り、個室を上から覗いてくる女子など変態でしかない。あの手法で覗かれるのは小学生以来だ。明日からあだ名がうんこマンになってしまう。


「おお、あなたは隣のクラスのあずま空太そらたくんですね。いえ…あずまさんだったんですね」


 俺の可哀想な股間を凝視しながら、彼女は興味深そうに呟いた。

 俺は彼女を知っている。二年B組、栗原くりはら幣子しでこ、進級条件を逆手に取り、最低限の出席のみで二年に進級した不登校娘であり、彼女のような規格外の出現によって学校側は進級条件を改めざるを得なくなったという一級問題児。しかし、教師としては憎いことに定期試験の成績はどれだけ休んでいようが常にトップ。また、髪は日本淑女の模範となるような艶やかな黒が毛先にまで流れており、月も恥じらう美貌は彼女の人間性を知らない者に大きな誤解を植え付ける。黙っていたら完璧美少女などと言う男子も居るのだから男子高校生とは愚かな生き物である。 変人、奇人の異名を欲しいままとする彼女に、俺は興味半分、恐怖半分という思いを抱いており、彼女なら確かに大をしているかもしれない人の個室を、おのが好奇心を満たすために覗くことだってあるだろう、と納得できるような認識を彼女に抱いていたのだ。


「いいや、東くんで合ってるよ」


 投げやりに返事をすると、栗原は驚いた顔をして、次に申し訳無さそうにした。


「それは…なんというか、すみません」

「あっ、いや違う。LGBT的なアレコレではなく、なんか昼まで装備されていたものが起きたらなくなっていたというか。なんか置き引きみたいなものにあってしまったというか」

「もともとは付いていたものが寝て起きたらなくなっていたと…なぞなぞですか?」

「違う違う、実はかくかくしかじかで」


 俺は栗原に夢のことと、ち◯こがなくなっていた現実のこととを説明した。かなり動揺していたのだろう、正常な理性があれば、好奇心で猫の尊厳を破壊し尽くすような超高校級異常者、栗原くりはら幣子しでこなどには絶対に相談などしなかった筈だ。


「てかなんで俺の名前知ってるんだ?俺はお前と違って人様の噂になるようなことは何もしていないぞ」

「現に今、ここ最近で一番おもしろいことになっていますけどね。まあ名前は、単純にこの学校に居る全生徒、教職員の名前と顔を覚えているからですね。どこに面白い人が居るか分からないですからね。顔も覚えているのは、名前を検索エンジンにかける際に同一人物か確かめるのに必要だからです」


 怖い。


「しかし、夢の中で宇宙人と会話ですか」

「バカにしてくれていいよ、俺もこれは悪い夢だと思いたいし」

「実際にあなたの股間のそれは不自然な形で消滅していますし、それにこれがあなたの嘘であったとしてもそのような嘘を吐く精神性に興味があるのでどちらにせよあなたの言葉を否定することはありません」

「はあ」


 何の話をしているのかさっぱりである。


「てかもういいだろ、はやくお前は教室戻れよ。授業あるだろ?」


 俺はベルトを締めながら栗原に言う。


「いえ、この授業は計算上サボっても問題のないものですから」

「暗に出て行ってくれと言ってるんだ、学年トップにもなると寧ろ行間を読まないんですね。国語界の宮本武蔵ですね。早く帰れください」

「むっ、行間を読む云々の前にあなたの日本語の方が乱れているように思いますけど」

「乱れているのは男子高校生の脱糞を覗こうとしたお前だろ。性に奔放か?サモアの思春期なのか?」

「あなたは用を足していたわけではなかったじゃないですか」

「それは結果論に過ぎない。のぞきはのぞきだ。まあもういい、とにかくこの件は忘れて、さっさと帰ってくれ」

「…ほんとにそんなこと言っていいんですか?」

「なんだ、やけに煽るな」

「いえ、自慢ではありませんが、私はそこそこ頭の回転がよくてですね、助けになれるかもしれませんよ?」


 たしかに、変人、奇人と言われていてそれでも尚いじめの対象にはならないのは、彼女が圧倒的な才を持った人間だからだ。本当の理解不能に対面したとき、いじめることすらせず無視をするのが多くの日本人だ。


「だが、お前のおもちゃになるのはごめんこうむるね」

「ふむ、既に私が手掛かりを一つ掴んでいるとしたらどうですか?」

「なにっ?」

「まあ…というか、窓の外をご覧になればすぐに気づきますよ。明らかにあなたの股間と同じ、異常事態ですから」


 俺は言われるがままに個室を出て、トイレにある小さな窓から外を覗く。

 広い砂埃の舞う校庭、逃げ惑う生徒、そしてその中心にマネキンのような、白い人型生物が立っていた。へその部分にち◯こらしきものを付けて。

 キモすぎる。

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ファリック・ファブリック 宗紫 @schopenhauer222

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