第19話 本当の気持ち。


 風呂から上がりリビングに戻る。


「お先でした。真凛、次どうぞ」


「早かったね。……なんか顔赤くない?」


 結局、熱くなった顔が熱い風呂で冷やせるわけもなく、そのことを真凛に指摘される。


 これは風呂上がりだから! ……そんな言い訳が思い浮かんだけど、言っても余計に揶揄われそうだからやめておく。


 そして、真凛はお風呂場に向かいながら振り向き、一言。


「……覗かないでよ?」


 なっ……!?


 イタズラっぽく微笑みながら真凛が言った爆弾発言に、少し冷めかけていた顔がまた熱くなる。


「の、覗かないって!」


「そ。まぁ律にそんな度胸はないか」


 にしし、と笑みを残して、真凛は風呂場へ向かう。

 そんな度胸は確かにないけど、それはそれで負けた気になるな……。


「ふぅ……」


 風呂に向かった真凛を見送りながら、俺は一息ついてソファに腰掛ける。濡れた髪をタオルでしっかりと拭き、傷まないように櫛で梳かす。


 昔から身だしなみにはうるさかった母さんのおかげですっかり習慣になったことをしていると、やっと心が落ち着いてくる。


 ――いや待てよ? これから真凛と一緒の部屋で寝るんだよな?


 ……あまり考えないようにしよう。あくまで真凛は友達として俺を見ている。その信頼に応えられるよう、ちゃんとしないと……。


 そんなことを考えながら、髪をあらかた拭き終えた俺は、ドライヤーをするために脱衣所へ向かう。


 ――その時の俺は、本当に馬鹿だったとしか言えない。すっかり習慣化していから本当に無意識だったんだけど……。


「あ、澪さん、ありがとう――って、律!?」


 洗面所のドアを開けると、今まさに上着を脱ぎかけている真凛と鉢合わせ。さっき風呂に向かったんだから当たり前だ。


「……ちょっ、本当に覗きにきたの!?」


 幸か不幸か、まだ真凛は服を着ていた。なんとか最悪の事態は免れたらしい。


 ――いや、そんなこと考えてる場合じゃない!


「――ご、ごめん!」


 俺は慌てて脱衣所の扉を閉める。……お、終わった……。


『律……? まだいるの?』


 世界を終わりを感じながら立ち尽くしていると、扉の向こうから真凜の声が聞こえてくる。


「本当にごめん! いつもの癖で髪を乾かそうとして……!」


『そ、そうなんだ。ふぅん』


 真凜の声から、とりあえず怒ってはいなさそうな雰囲気は感じる。でも、覗いた事実は変わらない。


『……あ、そうだ。澪さんに着替え持ってきてもらうように言ってくれない? ……律が持ってきてくれてもいいけど』


「え、ああうん、分かった。……本当にごめんね?」


『いいって、気にしてないから。別に悪気があったわけじゃないんでしょ』


 改めて謝罪した俺に返ってきた真凛の声は、本当に気にしていない感じだった。


『ほら、早く行った。そこにいられたら着替えられないじゃん』


 わ、分かった、と言い残し俺はリビングに戻る。


 ――もちろん、真凛の優しさに感謝しながら。

 

◇◇◇


「お待たせ。お風呂ありがとう」


 部屋に戻り、心を落ち着かせるためにベッドに座りながら、目を閉じて素数を頭の中で数えていると、風呂から上がった真凛がやってくる。


 薄水色のパジャマ、風呂上がりの上気した顔。メイクがすっかり落とされた真凜の雰囲気はいつもと違って柔らかい。


 ……正直、めちゃくちゃ可愛い。普段見ることのない真凜の姿。その魅力に俺の胸が強く跳ねる。


「ど、どういたしまして」


 自分でもよく分からない言葉がこぼれる。


「……どうしたの、律。なんか変だよ」


 俺の隣に腰掛けながら真凛。すっかりそこが定位置になっている。


「そ、そうかな!? 別にいつもと変わらないけど!?」


「いや、明らかにおかしいじゃん。……もしかして、私のすっぴんを見て驚いた?」


 驚いたというか……その、見惚れてたというか。


「……どう、かな。正直、私もめちゃくちゃ恥ずかしいっていうか。律だから見せたんだけど……」


 女の子のことはよく知らないけど、よっぽど信頼してる相手にしかすっぴんは見せないのだろう。それを見せてくれるということは、俺も信頼されている……ってことでいいのかな?


「ええと、その、いつもと変わらずめちゃくちゃ可愛いと思います……」


「そ、そっか。うん、それなら良かった」


 今の気持ちを正直に伝えると、安心したように微笑む真凜。その笑顔もまた可愛くて、俺は思わず目を逸らしてしまう。


「もしかして、照れてる? ん?」


 逸らした顔を真凛が覗きこんでくる。また顔を逸らしても、それを追いかけるようにまた覗き込んでくる。


「……ふふ。これくらいにしといたげる。このままだと律の心臓が限界そうだし」


 顔が離れると同時に、ふわりと香る真凜の匂い。同じシャンプーを使っているはずなのに、なんでこんないい匂いがするんだろう。


「それじゃさっそくやろっか」


「や、やるってなにを!?」


「……? 花梨ちゃんの配信を見て衣装を研究するんじゃないの?」


 ……そういえば、夕食の時にそんなことを言っていたっけ。


「律、一体なにを想像したの? 正直に言ってみて?」


 いつになく楽しそうな真凛がそう問いかける。一緒に寝るって言葉のせいで、添い寝でもするのかと思ったのは黙っておこう……。


「ほ、ほら! そんなことより」


 誤魔化すように言ってから、机の上に置かれていたスマホを取りTwitterアプリのアイコンをタップする。


「これ、見てよ」


 そこに表示されていたのは、花梨ちゃんの2周年記念の配信告知だった。ついさっき呟かれたから真凛は知らないはず。


「……重大告知?」


「そう! もしかして、3D衣装のお披露目なんじゃないかって思って」


 花梨ちゃんはぐんぐんとその知名度を高めている。俺が頑張って布教したおかげ……とまではいかないけど、少しはその役に立てたはず。こないだのジオラマも、インスタでかなりの反応があったと真凛が言っていたし。


「すごいじゃん。一緒に見ようね、律」


「もちろん! 俺も頑張らないとな……」


 コスプレ衣装作成の進捗は順調だ。真凛の協力と、姫乃さんのアドバイスのおかげで、ものすごい衣装が出来上がるだろう。正直、かなりの自信がある。


 ……結局、採寸とかは姫乃さんに任せたのは内緒だ。


「……あのさ」


「ん?」


 ポツリと呟かれたその真凜の言葉が俺の思考を中断させる。顔を上げ、彼女の方を向く。


「律はさ、私のことどう思ってる? やっぱり花梨ちゃんの方が好きなの?」


「え、ええ!? 急にどうしたの!?」


 俺に問いかける真凜。その表情はいつもの揶揄った調子ではなく、とても真剣なものだった。


「……私、負けず嫌いだからさ。花梨ちゃんにも負けなくないんだ」


 俺を逃さないよう、ピッタリと距離を詰めながら言う。


「花梨ちゃんにはもちろん感謝してる。律と話せるようになったのも花梨ちゃんのおかげだし。でも、それでも私は……負けたくない」


 その言葉は、どこか決意めいたものを感じさせるものだった。


「俺は……」


 俺も花梨ちゃんには感謝している。真凛と話すきっかけになってくれたことはもちろん、殻に閉じこもっていた時も、ずっと支えてくれた存在だ。


 ――でも。今は真凛が隣にいて、そして……いつしか彼女は、俺にとってかけがえのない存在になっている。

 

 それは、花梨ちゃんよりも――。


「……ごめん、急にそんなこと言われても困るよね」


 諦めたように真凛が言うから、俺は本心を伝える決意をする。


「花梨ちゃんより、真凜の方が……その、好き、というか……」


 俺の口から出てきたのは、そんな小さな言葉。


「ありがとう、律……。嬉しい、よ」


 でも、真凛にはその言葉がしっかり届いたようだ。


 顔を真っ赤にして微笑む真凜。


 ……ドクンッ。


 あ、あれ? おかしいな、胸のドキドキが止まらない。それになんだか苦しいような。


 もしかして、これって……。


 そう、この時初めて俺は自分の気持ちに気付いたんだ。


 ――真凛のことが、好きだと。



ーー

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