2月11日 Sunday


 鏡の前を陣取りちょいちょいと前髪を直していると、後ろから舌打ちの声が聞こえた。


 日曜日の朝8時30分、僕は、ちょっと色気付いていた———。


◻︎◇◻︎


「カカオくん、あのっ!」


 時は少し遡る。


 昨日の帰宅前、頬を桃色に染めたきなこさんは、我が家の玄関で必死に言葉を紡ごうとしていた。


「明日………その………、」


 わずかに春の訪れが感じられる柔らかな風が吹き、彼女が身につけたチェックのチョコレートブラウンのウエストギャザーワンピースの裾が優しく空気を含む。

 いちごクリームとレモンクリーム色のチェック柄が優しい陽光に照らされて柔らかな光沢を孕んだ瞬間、彼女は意を決したかのようにばっと顔を上げた。

 ミルクティーブラウンのわたあめのようなボブの髪が、重力に従ってもふんと泳ぐ。


「わ、わたしとォ、お買い物に行っていただけませんかァ?」


 声が所々裏返っているさまさえも愛らしいなんていう非常識なことを考えている僕は、多分、ものすっごい回数瞬きを重ねていただろう。


「か、構わへんけど、………どないしたん?」


 僕の声も人のことが言えないくらい十分に裏返っていたことだろう。


 純白の丸襟から垂れるストロベリーの細いリボンをいじいじと触っている彼女は、1度声を出して落ち着いたのか、流暢に話し始める。


「明日、お菓子を包む包装紙等の買い物に行こうって思ってるんです。よろしければカカオくんの意見も教えてほしくて!!」

「あ、………あぁ、そういうこと………、」


 一瞬、麗しのお姫さまからおデエトのお誘いを受けたのかと思った。

 だがしかし、よくよく考えてみれば、彼女は好きな人がいる人。僕なんかがそう言う思考を持ってしまっては大変な迷惑をかけてしまう。


「………構わんよ。で?どう言う予定なん?」


 寂しさも、悲しさも、恨みも、コーヒーみたいに苦い気持ちを全部全部胸の奥にしまい込んで、僕はチョコレートみたいに甘い微笑みを浮かべる。


「………め、メールでお伝えしたいので、御連絡先を教えてください」

「ん、了解」


◻︎◇◻︎


 こうして、僕は今日、きなこさんとお買い物をする権利を得た。

 不服じゃないと言えば嘘になるし、悔しくないと言っても嘘になる。

 どちらかと言えば今すぐにでも泣き出してしまいたい気分だ。


(でも、しゃあないよな。僕って“扱いやすい男子”?らしいし)


 ずっと言われてきた言葉を思い出して、ビターチョコ並みに苦い記憶を咀嚼する。


「おにぃ、いい加減にしてくれん?私、そろそろ顔洗いたいんだけど」


 僕と同じような、否、僕よりも幾分健康そうな顔をした妹である眞芽まめの声に、僕は不服感満載で口元をへの字に曲げる。


 寝起きらしい眞芽は、可愛いクマちゃん柄のパジャマ姿で、絹みたいなサラサラストレートの長髪をガシガシとかき乱していた。と同時に、お腹をボリボリ掻くのはレディーとしてちょぉーっといかがなものなのだろうか。


 気を取り直して再び鏡に向かった僕は、髪をちょいちょいと引っ掻いて水でどうにか整えようとする。


「もうちょい待ってや。髪型決まらんのんよ」

「………あと何分」

「30分ぐらいやないかな?」


 ———バシッ!!


 背中にポップコーンみたいに爆ぜる痛みがやってきて、僕は一瞬固まった。


「何すんねん」


 可愛い妹を怒鳴り散らすわけにもいかず、僕は不服そうな声を出すしかできなかった。

 僕が怒鳴ったが最後、眞芽を溺愛している父さんによってこっ酷く叱られるのがオチだろう。眞芽は昔から要領がいいから、絶対に怒られない。


「………はぁー、こっちおいで」

「ん?ええけど」


 眞芽に連れられた僕は、リビングのテーブルに腰掛けさせられる。


「お兄は匂い系嫌いだったよね?」

「そうやね。お菓子作りで匂いがあるもんは厳禁やからね」

「ん、了解」


 かちゃかちゃと何かを用意した眞芽は、一瞬顎に手を当てて小首を傾げたのちに、こくんと1つ頷いた。


「お兄、目、瞑っといて」

「あいよ」


 眞芽に言われるがまま目を閉じて、うつらうつら………、


「———にぃ、お兄、」

「………んー?まめー?」


 ゆさゆさと身体が揺さぶられて、僕の意識は浮上する。

 どうやら寝ていたようだ。


(最近寝不足やったさかい、仕方ないよなぁ………)


 眠そうにする僕を不服そうな瞳で見つめてくる眞芽ににヘラっと笑うと、眞芽に背中を叩かれた。

 ………毎度のことながら、なぜ眞芽は手を出しても全く叱られないのだろうか。不思議すぎる。


「できたよ、お兄」

「ん?できたって?」

「………鏡見てみ」

「ん?」


 眞芽に言われるがまま手鏡を覗き込むと、そこには知らない美少年の顔が。


「———はへ?」


◻︎◇◻︎


「えっと………、かかおくんであってますか?」


 待ち合わせのショッピングセンターの入り口、モニュメントの下で開口1番にきなこさんに言われた言葉に、僕はガクッと肩を落とした。


「………そうなるよね………………」


 ホワイトのトレーナーに黒いカーディガン、香色のパンツスタイルの僕は、改めて自分のファッションを見下ろしながら苦笑する。


 今日のコーディネートは頻繁に僕が身につけているもので、トレーナーの胸ポケットに赤と青のラインが入っていたり、ズボンの切り返し部分にオシャレな工夫があったりととてもお気に入りのものだ。


 しかし、今日の僕はいつもとは一味違っている。


 理由はそう、眞芽によって整えられた髪にある。

 僕は普段、癖っ毛なウルフマッシュの黒髪を無造作に放っておいている。だが、今日はオシャレ大好きな眞芽によってとても丁寧に整えられているのだ。無香料の整髪料によってふわふわ感をしっかりと出し、前髪も少し分け目でセットされている。これがまたものすごく僕に似合っているのだ。


(眞芽には本当に感謝だな………)


 濃紺のゆったりとしたハイネックのセーターに純白のロングフレアスカートを身につけたきなこさんが、編み込んでハーフアップにしているミルクティーブラウンの髪を弄りながら、少し嬉しそうにはにかんだ。


「よく、お似合いです」

「んー、おおきに。眞芽、芋うちがやってくれたんよ」

「妹さんが………!とってもセンスがいいですね」

「手が出んのが早いのを除いたら、自慢の妹やで」

「手が出る………?」


 育ちのいいきなこさんにはどうやらうまく伝わらなかったようだ。

 僕は苦笑してから、普段以上に可愛いきなこさんに微笑みかける。


「ほな、買い物行こか」

「はい」


 きなこさんを連れてショッピングセンターの中に入った僕は、集まってくる視線が一層増えたことに苦笑する。


(きなこさん可愛ええさかいな………、)


 じっと見つめていたら、気がついたのか僕の方を振り返ってニコッと笑ってくれた。

 彼女は天使か女神か何かか?


 バレンタイン専門エリアに入った僕たちは、まずコーナー全てをゆっくりと歩いて見てまわった。

 どれもこれもよくできている。

 きなこさんも、宝石みたいに綺麗なチョコレートたちが、ショーケースの中に所狭しと並んでいる光景を見るのが楽しいらしく、身体をあっちにフラフラこっちにフラフラ危なっかしく動いている。


(あぁー、写真撮ってまいたい………)


 そうこう言っているうちにあっという間に売り場へと辿り着いてしまった。


「カカオくん、カカオくん的にはどの包装紙が好きですか?」

「言うのはええけど、僕は先にきなこさんの意見が聞きたいな」


 僕に言葉をきなこさんは、気合いを入れてマカロンを入れる袋を探し始める。

 ビニール袋、紙袋、箱、どれもこれも女の子が好きそうな可愛らしいデザイン。それなのにとても心が惹かれるのだから不思議なものだ。


「わたしは、これが好きです」


 きなこさんが手に持った袋に、僕はうんうんんと頷く。


「僕もそれ気になっとったんよね。やっぱり、素敵なものはみんな一緒なんやねぇ」


 明らかに安堵した表情を見せたきなこさんは、恋する女の子そのもので、僕はぼーっと見惚れてしまった。


「カカオくん、長らくお付き合いいただきありがとうございます。一緒にカフェに行ってから帰りませんか?」


 こうして、僕ときなこさんのお買い物は食べ物屋さんへの寄り道がおわっったのちに帰宅することになったのだった———。


 ちなみに、ショッピングセンターに入っているテナントの食べ物も食べたことがなかったきなこさんは、いちいち可愛い反応を見せながら、ココアラテやパン、お菓子等々、ありとあらゆるものに顔を輝かせ、きらきらと輝いていたらしい………。

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