2月10日 Saturday



 ———じぅわぁー、


 オリーブオイルの軽やかな香りに角切りベーコンの香ばしい匂いが加わり、食欲を誘う香ばしい香りが鼻腔をくすぐる。

 ベーコンにひと通り火が通ったことを確認した僕は、コンロからフライパンを下ろし、アルミ製のボウルに篩にかけた薄力粉100g、砂糖小さじ2、ベーキングパウダー25g、粉チーズ大さじ1、塩、ブラックペッパー入れてゴムベラでサクッとかき混ぜる。

 小さいサイズに切ったバター25gをボウルに加え、練り上げるように生地をまとめていく。

 ぱらぱらとした粉状の生地になったことを確認したのちに牛乳50ccを入れると、生地がねっとり仕上がった。

 そこに、豪快にもチェダーチーズとプロセスチーズをごろごろと突っ込むと、朝ごはんにぴったりなお菓子の生地が出来上がる。


 ———ぴーぴー、


 ちょうど予熱が終了したオーブンに8当分に切り分けた生地を並べた天板を入れれば、ご飯の支度はほぼほぼ完成だ。


 だがしかし、食に対するこだわりが強い我が家では、この程度のものだけでは朝ごはんには認定してもらえない。


 よって、今日の朝食当番である僕は、カフェオレやエスプレッソに向いているフレンチローストの豆の入った瓶を棚から取り出し、ゴリゴリ豆を砕いていく。昔ながらの木製フォルムが愛らしいコーヒミルは、相当に年季の入ったものだ。

 大きめの温めたポットにセラミック製の温めたドリッパーとしっかり折った紙フィルターを設置、豆を入れてからお湯を注ぐ。中央から外側に向かって渦を描くように、丁寧にムラが出ないように、気を配る。

 4回ほどに分けてお湯を注ぐと、ちょうど淹れたい量が完成した。

 こちらもまた香ばしい香りが鼻腔をくすぐってきて、寝起きの身体を優しく目覚めさせてくれる。


 ———ぴーぴー、


 オーブンが焼き上がった音が響くのを聞き流しながら、4つのガラスカップにいちごのヨーグルトを入れていく。大きめのプレートにヨーグルトの入った容器とサラダ、そしてオーブンから取り出したばかりの熱々のチーズとベーコンのスコーンをテキパキ盛り付ける。本来ならばスコーン用のジャムやクリームを用意するところなのだが、今日は味付きのスコーンであるため、やめておいた。

 お皿を各々の座る場所に運び込み、コーヒーを各カップに注ぐ。お好みで味変できるように角砂糖のガラス入れとミルクピッチャーも一緒に運べば、朝ごはん完成だ。


 家族が続々と席につき、各々タイミングでのんびり食事を開始する。


「芳々央、今日の予定は?」

「ん?どないしたん?父さん。僕の予定気にするなんか天地が………、あぁ、キッチンか。えっとな、今日もお友だち呼ぶよさかい、キッチン借りるよ。お昼前に1回マカロン作りたいって話やったさかい、昼まで借りると思う」

「分かった」


 若干ニヤニヤしている父さんに、大きなため息を吐きかけてやりたいのを必死に我慢した僕は、じわっとジューシーで油が乗っている角切りベーコンと3種のチーズがなんとも言えず美味しいスコーンと甘酸っぱさが癖になるいちごヨーグルト、そして、ミルクをたっぷりと入れて味わったコーヒーの皿を片す。


「あの子、好きな子にマカロン渡したいんやと」

「へー。よかったやないか」

「聞いとった?あの子、好きな子おるんよ?僕、玉砕しとるんよ?」

「へーへー」


 適当な返事をした父さんを冷たく見下ろした僕は、彼女が来るまでの時間にいつも通りの準備を済ませておく。


 ———ピーンポーン、


 チャイムの音に反応した僕は、多分飼い主が帰ってきたことに喜ぶ犬みたいに、ポップコーンが跳ねるが如く駆け寄っていたことだろう。


「いらっしゃい、きなこさん」

「お邪魔します、カカオくん」


 にへらっと笑った僕に、彼女はパーフェクトな微笑みを返してくれた。

 控えめに言っても可愛い。


「今日もマカロン作ろっか」

「はい」

「僕、横でちゃうお菓子作ってもええ?」

「大丈夫ですよ」

「ん、ほな作業開始しよか」

「はい!」


 僕と彼女はエプロンを身につけ、準備物が足りているかあらかじめしっかりと確認する。


 彼女はここ3日間で丸暗記したであろう項目を、丁寧に丁寧に僕が作ったノートでチェックしながら作業を進めていく

 普通に考えれば一流シェフが作ったと言っても過言ではない出来栄えのマカロンができているはずなのにも関わらず、相変わらず嫌な予感しか感じられないのは何故なのだろうか。


 鍋に牛乳100ml、砕いたミルクチョコレート2枚を加えてゆっくり湯煎していると、彼女は興味津々なのかチラチラとこちらを伺ってくる。

 可愛いから、とりあえずきなこさんと視線が合うたびに微笑んでおいた。


「何を作っているのですか?」

「んー、できてからのお楽しみやで」

「うぐっ、」


 気になって仕方がないと言わんばかりに少しばかり頬を膨らませた彼女であったが、すぐに自らの作業に熱中し始めた。僕はそのことを確認してから、自分の作業に戻る。


 溶き卵を加えてしっかりと混ぜ合わせたものを耐熱ガラスの容器に移すと、優しいミルクチョコレートの香りが鼻腔をくすぐった。

 アルミホイルを耐熱容器にしっかりと被せ、布巾を敷いて水を弱火で熱している鍋に入れる。


「?」


 いまだに何ができるかわかっていないらしいきなこさんは、首を傾げながら作業している。


 20分ぐらい経っただろうか。

 僕は蒸し焼きしているお菓子の表面が固まってきているのを確認して鍋から取り出す。即刻冷蔵庫に入れたら、あとは待つだけだ。


「や、焼けた………、」


 僕がお菓子を作り終えて伸びをし始めたところで、きなこさんも無事に作り終えることができたようだ。


「どう?」

「い、一応見られる程度には………、」


 そう言った彼女の手には、荒っぽさが残るながらもマカロンが握られているー


「さすがやね、きなこさん。僕、正直君が当日までに作れるようになるとは思ってもみとらんかったんよ………」

「………流石にそれは酷い物言いでは?」

「そうか?だって、初っ端は黒焦げの炭にすらもなっていないマカロンやったんやで?普通できるようになるとは思わんよ」

「うぐっ、」

「やっぱり、きなこさんはすごい努力家やね」


 僕が肩をすくめて言うと、彼女は一瞬驚愕したような表情になった。


「………《てんさい》って、言わないの………?」

「? どーしてそんな、努力ぜーんぶ否定するみたいな言葉言わなあかんの?」

「え?あ、」


 ようやく、僕はずっと彼女に抱いていた違和感の正体に気がついた。


「きなこさんってさ、絶対に他人の努力を否定せんよね」

「………?」

「それって努力したことがある人間にしかできへんことなんよ」

「っ、」


 今にも泣きそうな表情で息を呑んだきなこさんに、


「僕の家族さ、みーっんな料理関係のお仕事しとるやろ?」

「はい」

「やっぱり、妬みとか多いんよ。僕が大会で勝ったとしても、家族の七光じゃなんじゃって言う人とかも珍しくない。でもな、1番キツいんは『なんで“努力”の“ど”の字もそらなさそうなガキが勝ち進むんだ。あぁ、天才だからか』って言われたときなんよ」


 息を大きく吐き出して、心の中をぷるぷる優しく揺れる澄みやかなゼリーみたいに落ち着かせる。


「僕はな、これでも物事の真実を見るのは得意なんよ。ほら、これでも一応結構将来有望なパティシエやし?」


 おどけて見せた僕に、きなこさんの肩に入っていた力が、優しく解ける。


「まあ、その、なんや、“天才”と“秀才”を見分ける審美眼ぐらいはもっとる」

「………ありがとう、ございます」


 ラムネの瞳をきらりと濡らしたきなこさんは、けれど大きな声をあげ、涙を流すことはなかった。


 2時間後、僕がお土産としてきなこさんに持たせた特製チョコレートプリンを手に帰る彼女はとても穏やかな表情をしていた———。

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