2月8日Thursday



 僕の朝はお菓子の甘い香りと共に始まる。

 1日1ホールだけ父の店に並べてもらえる僕のケーキ。


 いいフルーツが揃っているためにフルーツタルトを作ることにした僕は、フルーツをカッティングしながら、昨日の夜の研究結果を頭の中で反芻する。


 昨日、あれから僕は計3回マカロンを作り続けた。

 あの手この手を用いて、より難易度が低いかつ美しいマカロンの作り方を発明し、ノートにまとめた。多分完璧。


 ボウルの中に無塩バター50g、上白糖60gを入れハンドミキサーでがががーっとかき混ぜながら、僕は思考の渦にはまり込む。


 どうしても彼女にお菓子作りの楽しさを実感して欲しくて、僕の気持ちをほんの少しだけでも共感して欲しくて、わがままにも僕は彼女にお菓子作りを強要しそうになってしまっている。


 ちゃんと分かっている。

 彼女が僕にお菓子作りを習っているのは、好きな人に心から喜んでもらうためだと。


 それなのに、僕は強欲にも彼女とお菓子を作る時間以外にも関わりを持ちたいと、彼女に好かれたいと思ってしまっている。

 美しきウエディングケーキの横で細々と飾られている量産型のプチケーキのようなモブである僕には、彼女は絶対に相応しくない。それなのにも関わらず、浅ましい思考を止めることができない。


「あぁー、ほんま。あの子は罪作りやわ………、」


 いつのまにか出来上がっていた宝石箱のようなフルーツタルトを見つめながら、僕は苦笑する。

 飴によって包まれたきらきら輝くフルーツたちは、そのどれもがタルトという箱の上で自分が1番最高に輝こうと一生懸命に努力しているように見える。


(僕ってほんま意気地なしやなぁ………)


 振られるのが怖い。

 距離を取られるのが怖い。


 怖くて怖くて仕方がなくて、僕は結局、勇気を出せない。

 そのうちにきなこさんには好きな人ができていて、僕はもれなく玉砕の挙句、彼女の恋が成功するように手伝いをする羽目になってしまっている。


(………お菓子作りが失敗したら………………、あかんあかん。それじゃあきなこさんに可哀想や)


 邪念を振り払い、エプロンから制服に着替えた僕は、朝食を食べ、玄関で靴を履く。


「あ、」


 いく直前、瞳の端に映った鏡で、コック帽のせいで跳ねてしまっていた前髪を撫でつけた僕は、学校へと向かう。


(どんなに羨ましくても、玉砕して欲しくても、お菓子作りには真摯に取り組まなあかんよな………。大丈夫。僕、プロやもん)


 朝露に濡れた空気を多き吸い込み、晴れやかな笑みを浮かべた僕は、軽く走りだしたのだった———。


▫︎◇▫︎


 学校に着くと、そこにはなんの変哲もないいつもの光景が広がっている。


 きなこさんを筆頭とした人気者のところに人が集まり、「あぁーでもない」「こぉーでもない」と何やら楽しげな声をあげている。


 もちろん、僕は………なんのグループにも属していない。


 言っていて悲しくならないのかって?


 そりゃあ悲しいに決まってるやないか。


 でも、僕にはこんな道しかないのだから仕方がない。


「ふあぁーあ、」


 昨日の夜も遅くまで、今日の朝も早くからお菓子作りをしていたがために、1時限目が始まる前からすこぶる眠い。


(もう寝ちゃおうかねぇ)


 のんびりともう1度大きなあくびをこぼした瞬間、隣の席の彼女と目が合った。


 ラムネ色の瞳がぱちりと瞬きをして、僕の心をまるで美しい飴細工を見た時のように離すことなく、無性に惹きつける。

 彼女が小首を傾げた瞬間、ストロベリーチョコレートのような色彩のくちびるが小さく弧を描き、ほっぺたが桜もちの色に染まる。


 一瞬だけ喜色に染まった彼女の表情に、僕の鼓動はどくりと高鳴る。


 恥ずかしさを隠すために、彼女に微笑み返してから僕は机に突っ伏した。

 きなこさんはとても可愛い。可愛くて、無自覚に可愛くて、とにかく可愛い。


 授業中も、休み時間も、寝てる時間以外は余すことなくずっと彼女を見つめていると、学校でのしんどい1日はあっという間に終わってくれる。

 教室からどんどん生徒がいなくなっていくのを机に突っ伏したまま感じ取っている僕は、隣に座っている彼女以外全員がいなくなったところで顔を上げた。


「今日も来る?」

「行ってもいいのですか………?」

「構わんよー」


 むくっと完璧に上体を起こした僕は、ぐいーっと飴を引っ張るみたいに身体を上に伸ばし、椅子から立ち上がる。


「ほな、行こか」


 彼女を連れて家に帰った俺は、早速お菓子作り用の服に着替えて、ノートを手にキッチンに入る。きなこさんも僕の後に続くようにして入って来る。ちょこちょこした歩き方が、なんだか幼児定番のお菓子であるボーロみたいで可愛い。


「きなこさん、これ読んどいてぇ。僕なりにマカロン作りのコツ?みたいなんまとめといたから」

「はい」


 彼女に声をかけて、冷蔵庫や戸棚から材料と道具をばんばん取り出した僕は、キャラメルみたいにノートにへばりついているきなこさんに苦笑してからジェスチャーで彼女を呼び寄せる。まるで小型犬の尻尾にように、ふわふわとしたミルクティー色の綿飴髪をなびかせてやってきた彼女は、ふんすふんすと気合いを入れてから、髪をひとつにまとめ、エプロンをかぶる。


「ほな、今日も頑張ってみよか。ひとりでできる?」

「多分大丈夫です」

「ほな、やってみよか」


 僕の言葉に厳かに頷いた彼女は、迷いのない手つきでモタモタとお菓子を作り始める。


(なんというか、眼福やなぁ)


 自分の家のキッチンで、自分の好きな人がお菓子を一生懸命に作っているという光景が、ご褒美以外のものであるはずがない。


 ミルクティー色の髪が、彼女が動くたびにふわふわと揺れる。

 細くて長い指がふるふると小さく震えながら、慎重に材料が計量されていくのを眺めていると小さな悪戯心が生まれなくもないが、嫌われたくない僕は、ちゃんと“待て”ができるいい子なのだ。


 というか、僕は基本お菓子以外への興味が全くと言っていいほどにない。


 人並みの幸福も、欲望も、僕は持ち合わせていない。


 お菓子さえあればいい。

 お菓子が作れるキッチンがあればいい。

 材料があればいい。


 僕は、お菓子があれば人生それで満足なのだ。


(にしても、やからこそ、僕ってばなんで、きなこさんのこと好きなんやろか)


 じーっとダークチョコレートの瞳でフランス人形のように美しい彼女の横顔を見つめても、答えなんて出てこない。


「………なぁ、なんでマカロンなん?」


 生真面目な表情でお菓子をラムネ色の瞳に写し、真剣にお菓子を作るきなこさんに、僕は 昨日から抱いていた疑問を問いかけた。


 バレンタインをただ渡したいというのであれば、生チョコでも、トリュフでも、ブラウニーでも、スコーンでも、チョコレートのお菓子だったらなんでもいいはずだ。

 なのに、彼女は他の選択肢に迷う仕草を見せることなく、『マカロン』と言った。

 理由なんて何もないのかもしれない。

 けれど、お菓子職人である僕には分かる。彼女のラムネ色の瞳は、隠しきれない願いがこもっている。その手つきにも、その仕草にも、1つ1つに心がこもっている。

 僕は、彼女にそんなにもたくさんの想いを込めてもらえる男が羨ましゅうて仕方がない。


「………マカロンが、………………マカロンが好きだと言っていたのです」

「渡したい子が?」

「はい」


 熱のこもったラムネ色の瞳に見つめられて、僕はくしゃっと泣きそうに笑う。

 思っていたよりもずっと、ずっとずっと心がキツく締め付けられる。


(これ、辛いわぁ。もっともっと、きなこさんに惚れてまう)


 甘えも、憧憬も隠して、僕は微笑む。


「そっかぁー。きなこさんは相手の好みのために頑張れるんだから、偉いねぇ」

「………………そんなことないですよ」


 そう言った彼女は、無事に完成した生地を確認のために僕の方へと持ってくる。


「ん、見た感じは大丈夫やでー」

「ありがとうございます」


 嬉しそうに微笑んでいた彼女であったが、今日のお菓子作りもやっぱり、見事に、完膚なきまでに、見事に失敗した。


「なんで?」


 意気消沈したきなこさんと呆然とした僕が立ち尽くすキッチンには、僕の心底不思議そうな声だけが響いていた———。

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