第23話

 本番までの一ヶ月間、全く練習しないわけにはいかない。ただ、個人で借りられる、自由に楽器を演奏して良いスペースなんて、田舎にはほとんどない。悩んだ末、俺は日頃から世話になっている楽器店の一角を使わせてもらうことにした。俺を演奏会に誘ってくれた人が切り盛りしている店舗である。


 楽器の販売を行っている店舗には、購入前に目当ての楽器を試奏できるブースのようなスペースが設けられていることが多い。楽器ごとの癖や使用感、購入者との相性など、実際に演奏しないと分からない部分を確認してもらう為だ。決して安い買い物ではないし、慎重に検討しなければ後で痛い目を見る。


 他のお客さんが居る時は、もちろん俺はそのスペースを使えない。独占していたら営業妨害になってしまう。休日のうち、人の出入りが少ない時にだけ、無理を言って貸してもらったのだった。


 そして、場所を借りる代わりに、俺も店長の手伝いを引き受けることになった。曰く、


「井口君と伴奏の子って、吹奏楽部だったんだよね? ということは、楽器の搬入や搬出もやったことあるんじゃないかな。もしよければ、演奏会当日に他の出演者の準備を手伝ってあげてくれない? イベントの運営は有志のボランティアの方々が手伝ってくれるけど、楽器の扱いを知っている人は少ないからね」


 とのこと。


 グランドピアノの搬入はさすがにプロに依頼するらしいが、その他は自力で準備する必要がある。例えば楽団が使用する打楽器なんかは、会場へ入れるのも、撤収するのも大仕事になるし、デカい楽器を運ぶ際は周囲に気を配らなければならない。楽器を傷付けたり、他の人とぶつかったりしないよう、運搬係と誘導係を設けるのが望ましい。


 俺たちの出番は夕方、後ろから数えたほうが早いくらいの順番なので、前半に演奏する人たちの手伝いをするのも難しくないだろう。練習スペースを間借りしている恩もあるし、二つ返事で了承した。蓮にもメッセージを入れたところ、数時間後に「わかったー」とだけ返ってきていた。




 一人で練習を続けながら、ぼんやりと考える。「Trumpet Love letter」という曲に込められた想い。俺が、この曲を通して表現したいこと。ラブレターの意義。


 ――井口さんに伝えたいことをたくさん考えて、何度も何度も書き直して、途中で恥ずかしくなって赤面したりもしながら、ありったけの気持ちを詰め込んだんです。


 ――気持ちの逃げ場所を探して筆を執ってるように思えるんだ。自分の中だけでは消化しきれないけど、言葉にして伝えることもできないから、誰にも届ける宛てのない手紙に、必死で吐き出してるんじゃないか、って。


 二人にそれぞれ言われた言葉が、頭の中をぐるぐる回っている。伝えたいから書いたのか、伝えられないから書いたのか。どちらも手紙には違いないけれど、後者は少し、悲しい。


 助けてくれ、と。蓮はそう言った。あれは、あいつ自身がそういう気持ちを抱えているから出た言葉だったのだろうか。


 あいつには今、好きな人がいて、その気持ちを間違いだと思っている。そして、その間違いに至ったのは、全て自分の責任。自分が悪い。そんなことも言っていたっけ。


 ……あいつは、何か悪いことをしたのか? ただ人を好きになっただけなんじゃないのか。それがどうして、助けを求めるほど自分を責めて追い込むことに繋がるんだ。「伝えちゃいけない想い」って、なんだ。


 本人が曖昧にしか話さないから、俺も曖昧にしか分からない。けれど、その断片的な情報を拾い集めて考えた結果、俺にはあいつに落ち度があるとは、どうしても思えなかった。


 助けを求める先が俺ならば、助けてやりたい。俺には何ができるのだろう。どんな言葉なら、あいつに届くのだろう。トランペットの重さを支える左手に、力が入った。

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