第24話

 かくして迎えてしまった、演奏会当日。


 開演は昼過ぎからなので、早めに昼食を摂り、荷物を持って会場へとやって来た。関係者用の駐車場には、すでにトラックやバスが何台か停まっている。大切な楽器と演奏者たちを運んで来たのだろう。


 小さな楽器や荷物を置いておける控え室として割り当てられた部屋へ行き、適当な場所に荷を下ろした。周りには、揃いの衣装を纏った市民楽団の皆さんや、フォーマルなドレスコードで固めた個人の出演者の方の姿がある。アマチュアの小規模なイベントとはいえ、一応は舞台に立つわけだから、ラフな衣服では格好がつかない。ちなみに、俺もスーツだ。


 俺たちの出番は後半だから、まだ音出しとかはしなくても良い。店長に借りたスタッフ証入りの名札ケースを首から下げ、真っ直ぐ搬入の手伝いに向かった。


 駐車場へ戻ると、ちょうどウィングボディのトラックが、その荷台を開いているところだった。辺りには、楽器の持ち主であろう人々と運営スタッフ、そして先に到着していたらしい蓮が居る。俺に気付くと、蓮はひらひら手を振りながら、「おはよ~」とへらへら笑った。


「はよ。ちゃんとスタッフ証、貰えたんだな」

「うん。航大が言ってた店長さんがどの人なのか分かんなかったから、他の人に訊いてみたら、めちゃくちゃ丁寧に教えてくれたよ」

「……ああ、女性のスタッフさんに声かけたのか」


 ほんと、行く先々で手当たり次第にモテてんな、こいつ。見境なしかよ。しかし、そんなこいつでも、自分の恋愛は上手くいっていないらしい。儘ならない、と言うヤツだろうか。


 一ヶ月前、最後の合奏を終えて以降、蓮の様子は普段通りに見えた。調子が悪そうということも、機嫌が悪そうということもない。会社ですれ違えば普通に挨拶もしてくる。ただ、いかがわしい言い方で「音楽をやろう」と誘ってこなくなっただけ。それが一番の異常事態なのだけれども。




 楽器を控え室へ運んで、人を誘導して。それらをひたすら繰り返していたら、いつの間にか演奏会が始まっていた。開会式と称し、実行委員会のお偉いさん方が挨拶している声が聞こえる。舞台袖では、トップバッターを飾る演奏者たちが楽器を持って待機していた。確か、音楽教室に通っている皆さんによる木管八重奏だ。


「良いよねえ、八重奏。楽器が八つもあると、音の厚みが違うもん。ゆっくり聴きたかったな」


 遠巻きに舞台袖を見た蓮が、小声で話しかけてくる。正直、俺だって超聴きたい。ちゃんとしたコンクール以外ではなかなか見る機会のない編成だし、俺は金管しかやったことがないからシンプルに木管の演奏にももっと触れてみたいし。ホルンが入っているのだから、たまにはトランペットも混ぜてくれたら良いのに。


 そんな要望は飲み込みつつ、蓮の肩を軽く叩いた。


「もっと良い演奏もん聴かせてやるから、特等席で待ってろ」


 自分に発破をかける意味も込めて力強く宣言すると、蓮は一瞬驚いた顔をした後、嬉しそうに頷いた。




 裏方の尽力もあり、演奏会のプログラムは滞りなく進んだ。高い位置にあったはずの太陽が徐々に沈み始め、会場はすっかり夕日に照らされている。イベントホールには窓がないから、外に出ないと分からないけれど。


 そして俺は、今日も世界一格好良い銀色の輝きを放つ相棒を手に、舞台袖で待機していた。ステージ上では、フルート三重奏による「碧い月の神話」が披露されている。もう終盤の辺りだろうか。


 隣の蓮は、持ち込む楽器がないから手ぶらだ。グランドピアノは、プログラムの始まりから終わりまでずっとステージ端に固定してある。暗譜しているので楽譜も必要ない。手持ち無沙汰なのか、控え室でもやっていた指のストレッチみたいなのをもう一度やっている。


「……お前、こういうステージとか、緊張する?」

「んーん、すごい楽しみ。こんな機会なかなかないからね。思いっきり楽しまなきゃ損じゃん。そう言う航大は、意外と緊張しいだよね」

「うるせえ、人並みだわ」

「そう。ちなみに、曲想は掴めたわけ?」

「……ああ。やりたいことは、決まった。練習もしたつもり。後は、相手に届くかどうかだけだ」

「あはは、ラブレターだもんねえ。受け取り拒否されたらウケるね」

「そうだな。だから、笑ってないでちゃんと受け取れよ」

「……え?」


 会場が拍手に包まれる。フルート三重奏の演奏が終わったようだ。三人で深々と頭を下げ、俺たちとは逆側の舞台袖へと捌けていく。


「行くぞ」


 熱くて眩しいライトに照らされた、未だ興奮冷めやらぬステージへ、俺は足を踏み入れた。

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