第6話

 ポコポコ! ……ポコポコ!


「!」


 鞄の中で、軽快な電子音が鳴っている。LINEの着信音だ。なんだろ? とりあえず会社からじゃないことを祈ろう。


 いそいそスマホを取り出して確認すると、お世話になっている楽器店の店長からのようだった。良かった、仕事の呼び出しとかじゃなくて。


 安心したのも束の間、トークルームを開いた俺は、その内容に目を見開いた。文字列を読み進めるごとに、釘付けになっていく。


「……え、何、どうしたの? 仕事?」


 夢中でスマホを凝視する俺に、若干引いたのだろう。蓮が恐る恐る尋ねてくる。そう言えば、ここは人の家なんだった。完全に意識から外れてしまっていた。スマホを眺めたまま返事をする。


「……いつも世話になってる近所の楽器店の店長さんから。今度、舞台で演奏しないか、って誘われた」

「へえ、良いじゃん。オーケストラオケ? アンサンブルコンテストアンコン?」

「いや、ちゃんとしたコンテストとかじゃなくて、アマチュアの小さい演奏会だな。市民楽団とか、趣味で楽器を習ってる人とかが参加するやつ」

「ああ、隣の市の多目的ホールでやってるやつだ」

「そう、それ」


 近年では、社会人になってから、趣味の一環として楽器を習い始める人も珍しくない。個人の趣味で楽器を嗜んでいる、という点で言えば、たぶん俺たちもその仲間だ。ただ、適当に鳴らして楽しんでいる俺たちと違って、上達を目指す人たちは、何かしら目標になるものがないとモチベーションが保ちづらい。だから、そういう人たち向けの定期的な演奏会が、年に何回か開催されるようになったのだとか。


 楽器のメンテナンスや手入れ用品の買い足しなんかでちょくちょく顔を出している店の店長も、その主催に関わっているらしい。今回はまだ出場者の枠が空いているから、俺にも声をかけてくれたそうだ。しかも、団体の一員として、ではなく。


「……そんで、独奏ソロ

「え、ソロ!?」


 蓮が、椅子を離れてにじり寄って来た。目がキラキラ輝いている。やっぱり食い付いたか。


「ねえねえ。ソロってことは、伴奏ピアノが要るんじゃない?」


 期待が隠せていない声で言う。


 管楽器のソロ曲は、本当に一人だけで丸ごと演奏するわけじゃない。楽器の構造上、音を一つずつしか出せないので、息継ぎをするタイミングでどうしても音楽が止まってしまうし、ハモりやビートで音の厚みを補強することもできない。それを補う為に、大抵はピアノの伴奏が付くことを前提に構成されているのだ。たまに無伴奏用の曲もあるけれども。


 独奏者ソリストの技術ももちろん大切だが、同じくらい伴走者ピアニストの技術と、互いの呼吸を合わせることも大切。詰まる所、知らない奴に頼むよりは、知っている奴に頼んだほうが、格段にやりやすいのである。


「そうだな。心当たりがなければピアニストも紹介してもらえるらしいんだけど……蓮、頼めるか?」

「もちろん! 絶対、俺がやる!」

「おっけー」


 迷う素振りもなく、むしろ食い気味に良い返事をされる。こいつが犬だったら、尻尾を引き千切れそうな勢いで振り回していたことだろう。楽しそうで何より。


「……お前、ほんと音楽好きだな」


 店長へのメッセージを打ち込みながら苦笑すると、蓮は目をぱちくりさせた後、やっぱり楽しそうに笑った。


「ふふふ、他人事みたいに言うじゃん」

「? お前の話なんだから、他人事だろ」

「ううん。俺が今、こんな風に音楽を好きでいられるのは、航大のお陰なんだよ」

「はあ? なんで?」


 あ、くそ。わけ分かんねえこと言ってくるから、文字打ち間違ったわ。フリック入力、全然慣れねえ。練習しようと思って設定してたけど、もうやめようかな。


「……俺、小学生の頃に両親が蒸発してて、親戚の家で育ったんだけどさ」

「…………あ?」

「高校一年の春に、居候先の奥さんが入院することになっちゃってね」

「おい」

「入院って、金かかるでしょ? お世話になってた親戚の家も、そんなに裕福な家庭ではなかったから、結構な痛手だったと思うんだ。そんな中で、俺が高校に通わせてもらって、しかも何かと金のかかる部活までやらせてもらってるの、申し訳なくなってきてさ」

「おい、って」

「親戚家族は皆、『続けて良いよ』って言ってくれてたんだけど、俺はずっと迷ってた。でも、夏のコンクールの時に、航大が『次は負けねえ!』とか言うから、その『次』ってやつが来るまで、続けたくなっちゃったんだ」

「なあ」

「結局、高校三年間やりきって、それが楽しい思い出として残ってくれたから、俺は今もこうして純粋に音楽を楽しめるんだ。あの時、部活を辞めて音楽から離れてたら、大した趣味もないままつまんない生活を送る大人になってただろうね。だから、お前にすご~く感謝してるんだよ、俺」

「待て待て待て!」

「何?」


 途中から、ポカンと口を開けて聞いてしまっていた。当然、手も止まっている。


 何? じゃねえだろ!


「お前、何さらっと重い話ぶち込んできてんだ!? LINEの片手間に聞いて良いやつじゃねえだろ! せめて酒の席とかでやれよ!」

「? 俺もお前も、飲まないじゃん」

「そうだけど、そうじゃねえ!」


 こいつの家庭事情とか、音楽辞めるか迷ってたとか、そんなん初めて聞いた。そりゃあ、そんな環境なら大学進学だって考えないだろうな。納得。絶対に、今打ち明ける話じゃなかったけど!


「その倒れた奥さんがピアノの講師やってる人でさ。両親のことで塞ぎ込んでた俺に、ピアノを教えてくれたんだよね。でも高校卒業前に亡くなっちゃって、他に弾ける人がいなかったから、俺がピアノこいつ引き取ったの。一人で弾くのも楽しいけど、誰かと一緒に演奏できるなんて思わなくてさ。航大も楽器続けてる、って知った時、嬉しかったなあ」

「まだ続くのかよ!」

「ううん、これでおしまい。演奏会、頑張ろ!」

「……お、おう……」


 へらへら笑ってるけど、今どんな精神状態なんだよ、こいつ。そもそも、なんの話してたんだっけ? こいつに「音楽好きだよな」って言ったんだっけ? 「うん」の一言で終わる雑談だろ、普通。びっくりし過ぎて、いつの間にかスマホ落としてたわ。


 十年来の付き合いになる友達の過去を、うっかり知ってしまった休日の午後だった。

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