第39話「大規模召喚」
規模は昨日のものよりも遥かに大きい。よく見ると、ところどころ魔法陣の構造も違う。
魔法陣の挙動を見るに、どうやらまだ起動後の処理をしている最中のようだ。魔法陣の一部は空白のまま、文字や記号が目まぐるしく入れ替わり続けている。
……でもどうして急に、こんなところで……⁉
困惑する悠真をよそに、フィルフィーネはすべて理解した。
「世界樹の根で吸い上げたマナは全部、こっちに回していたのね……!」
どうりで魔力の流れを感じないはずだ。
クライスはそもそも、魔力の供給など受けてはいなかったのだから。
「ハァ……ハァ……ッ。あァーあ、ここまで来ちまったか……ったく、ムカつくぜ。結局アイツが言ってた通りになりやがった」
クライスは肩で息をしながら、術式の立ち上がりを見守った。
彼は初めから結界が破られる可能性や、自身が敗北する可能性など最初から計算にすら入れていない。
なぜならば――。
召喚術が発動するこの瞬間を、《未来視》によってすでに知らされていたのだから。
「……これでいいんだろ、ソフィア」
予定通りの仕事を淡々とこなすことほど、つまらないことはない。
クライスは自身の信条のもとに、あれこれと段取りを立てたのだが、結局はこの瞬間に集約してしまった。
結局のところ、使える駒として自分が選ばれただけで、多分誰でもよかったのだ。予知された未来のとおり、同じように結界を準備し、同じように時間を稼ぎ、同じように召喚術を起動する。
どれだけ自分にしかできない方法を選んだとしても、必ず同じ結果に辿り着いてしまう……。この言いようのない気持ち悪さは、クライスにしかわからない。
しかし、ここからはその限りではない。
確定した未来の先にこそ、クライスの求めるものがある。
……精々オレの予想を超えてくれや。なァ、『送り人』。
クライスの事情を知らないフィルフィーネは、足元で輝く魔法陣を恨みがましく見つめていた。
「……おかしいとは思ってたのよ。もし本当に吸い上げたマナを全て自分の魔力に変換しているのだとしたら、クライスの魔術の出力がもっと上がっているはずだもの」
《隔絶結界》の維持や魔術の複数使用程度では、到底吸い上げたマナの量とは釣り合わない。
「……言われてみればあの水弾も、最初の水鉄砲よりむしろ威力は落ちてたよな」
「必要最小限の魔力だけを使って、大半はこっちに回してたんでしょうね……やられたわ。これじゃあ私でも止められるかどうか……」
「フィーネでもって……ま、まだ召喚は終わってないだろ! あの魔術が完成する前にクライスを倒せば――」
「それだけじゃダメなのよ」
悠真の言葉をフィルフィーネが否定する。
ようやく地面に降り立ったフィルフィーネは悠真を降ろすと、「あれをよく見て」と『
悠真は納得がいかない気持ちを抑えながら、指の先を注視した。
『貪婪なる蛇』の体……その全体をよく見てみると、小さな文字が刻まれているのがわかった。
初めはただの模様にしか見えなかったそれらは、何か意図的に……規則的に刻まれたもののようにも見えた。
「あれは……刻印魔術……?」
「クライスがあいつを自在に操れるのは、初めから刻印魔術で自分との間に契約を結んでいるからよ。召喚術が発動した時、あの刻印が同時に光り出したた……ということは、おそらくこの召喚術を実際に動かしているのは――」
「――あの男ではなく蛇の怪物のほう、ということですね。……正確には、あれに刻まれた刻印魔術だと思いますが」
話を聞いていた澪依奈と沙希が、フィルフィーネたちの元へと集まってくる。
「じゃ、じゃあ、あいつを倒してそれから召喚されちゃう前に、この結界の外に出たらいいんじゃない?」
「忘れたの? この結界は二重に張られてる。クライスを倒して《隔絶結界》を解いたとしても、もう一つの結界がある限り私たちは外には出られない。それにもし、《隔絶結界》のほうだけを解いて元の空間に戻ったら、どうなると思う?」
そんなこと、口にするまでもない。
悠真と沙希は青ざめた表情で、その最悪な状況を想像した。
クライスという管理者を失った『貪婪なる蛇』が、現実の空間でどんな挙動を取るかもわからない。
万が一にでも、結界の外で制御を失って暴れるなんて事態は阻止しなければならない。
「――なるほど、ようやく合点がいきました。ならばそのもう一つの結界は、あの蛇……いえ、世界樹の根が関係しているということでしょう」
……あぁ、そうだわ。だから出口があんなことになっていたのね。
澪依奈の言葉を受けて、フィルフィーネは遅まきながら理解する。
この『箱庭』の仕組みを。
「ど、どういうこと……? 私にもわかるように詳しく!」
次々と解答を導き出すフィルフィーネと澪依奈のふたりに、悠真と沙希は置いてけぼりだ。
澪依奈はふたりにも分かるように、なるべく言葉を選びながら解説をする。
「時間がないので噛み砕いて説明すると、あの植物の根で特定の範囲を、こう……まるっと取り囲んでしまうと、それだけで結界として成立するんです。魔術師の間では《疑似領域》と呼ばれているもので、これはそのまま他の魔術に応用することが可能なんです」
結びつきに魔術的な意味を持たせる行為であり、実際には縄や紐、鎖といったものを使用する場合が多いが、今回の場合は世界樹の根が代用されているということになる。
「えぇーっと……つ、つまりどういうこと?」
小難しく言えば、大規模な召喚術に必要な座標設定を、あらかじめ用意しておいた《疑似領域》を算出するよう術式に組み込むことにより、面倒な手順を省略することができるということなのだが。
藤代兄妹のために分かりやすく言うと――。
「――つまり、あの男はこの建物をまるごと異世界へ召喚することができる、ということです」
「「――――⁉」」
悠真と沙希が絶句する。
同時に、悠真はこれまでのいくつかの疑問が腑に落ちた。
思えばこの戦いは奇妙な点が多い。
それらが全て、この召喚術を完成させるためのものだったのなら納得がいく。
悠真たちは、クライスの手の内で踊らされていたということになる。
フィルフィーネは、自分のふがいなさにほぞを噛んだ。
……あの時私がクライスを仕留めてさえいれば……!。
拳を握るフィルフィーネを横目でちらりと窺って、悠真は小さくため息をついた。
逃げ場など、初めからどこにもなかったのだ。
「……結局のところ、召喚術を止めるためには、あのバケモノをどうにかしないとダメってことか」
「そういうことになりますね。『貪婪なる蛇』を倒すことでもう一つの結界も解け、同時に召喚術を止めることができるとは思いますが……今の状態では、どれだけ攻撃してもすぐに再生されてしまうでしょう」
真顔で話す澪依奈に、悠真は愕然とする。
……硬い樹皮のせいで生半可な攻撃は通らない。おまけにほぼ無制限に再生するだなんて、そんなのどうしようもないじゃないか……!
今もクライスを守るように首を揺らしている『貪婪なる蛇』を睨みつける。
澪依奈も顔にこそ出さないが、内心かなり焦っていた。
巻き込まれただけとはいえ、この規模の魔術に今まで全く気づけなかった己を不甲斐なく思う。
……異世界の魔術とはいえ、基本的な魔術の術式や理論は私の知識で十分通用する。だというのにこの体たらく……しかし、今は自分を卑下している場合でもないですね。さて、どうしたものか。
まさかこの土地のマナが枯れるのを待つわけにもいかない。
現状を打破する手立てを探す悠真たちに、沙希が素朴な疑問をぶつけた。
「……ねぇ、そもそもどうしてまだ召喚が始まらないの? あの魔術はもう起動してるんだよね?」
「これは私の予想だけど、あの召喚術はまだ不完全なんじゃないかしら。これだけの規模の召喚ともなれば、かなり膨大な質量が移動することになるもの。こっちの世界と向こうの世界を繋ぐのに時間が掛かってもおかしくはないわ。……とはいえ、それもおそらくはあと数分もしないうちに終わってしまうでしょうけれど……」
膨大な量の計算式に、処理が追いついていないようなものだろうか、と想像する悠真。
クライスを倒しても『貪婪なる蛇』を完全に消滅させない限り、この召喚術は止まらない。
世界樹の特性を持つ『貪婪なる蛇』には、魔術はほとんど効果がない。
たとえ攻撃が通ったとしても、ほぼ無尽蔵のマナで何度でも再生し続けてしまう。
そんな相手を、一体どうやって倒せばいいというのか。
……いや、方法はあるかもしれない。必ずしも倒す必要はないんだ。だったら――。
昨日の再現をするかのような召喚術を前に、悠真は一つの策を見出した。
一度できたのだから、同じことをもう一度やるだけだ。
あとは勇気と覚悟と、少しばかりの手助けが欲しい。
「――俺がやる」
「……お兄ちゃん?」
悠真に視線が集まる。
悠真はみんなの顔を見渡して、右手を握りしめて宣言する。
「俺があの召喚術を止めてみせる。……だから二人とも、力を貸してくれ」
†
「……頭痛ッてェ。このポンコツが……ッ」
クライスは頭を押さえながら、痛みが走る身体に罵声を浴びせた。
頭を内側からハンマーで殴られているかのような鈍痛が、体の奥にまで響いてくる。視界はかすみ、手足には痺れまである。
刻印魔術の乱発によるマナ汚染の進行。
メルセイムでの負債も相まって、クライスの体は限界を迎えつつあった。
幸い『貪婪なる蛇』は、ほぼ自動的に魔力に反応して動くよう設定してある。
症状が改善するまでの少しの間だけ、クライスは無防備に目をつむる。
……いつもの調子なら、少し休めば体内のマナが循環して痛みが和らぐ。手足の痺れは多少我慢すればなんとでもなるだろうが、問題はこっちだな……。
「ゲホッ、ゴホッ……!」
クライスは胸を押さえると、せき込みながら苦笑する。
汚染されたクライスの体はすでに壊れかけていた。
特に肺は深刻で、今では自分で自分の体に施した刻印魔術が無ければ呼吸すらままならない。
……皮肉なもンだ。刻印魔術のせいで体がぶっ壊れていくっつーのに……こいつがなけりゃあ、オレァ今頃とっくにくたばってるんだからよォ。
壊れていく体の機能を、魔術によって補いながら戦う。
戦えば戦うほど、さらに体は壊れていく。
クライスに待っているのは、明確な破滅だった。
それでも、彼は前線から身を引くことはしなかった。
「召喚術の起動を微妙に早めたせいか、召喚先の座標の固定に思ったより時間が掛かってやがる。パスカルの野郎、雑な計算しやがって」
この大規模召喚は、空間をまるごと切り取って運ぶ荒業だ。荷物を運び入れるために、まずは荷物を置くためのスペースを確保する必要がある。
当然のごとく、メルセイムの方ではこの召喚を受け入れる準備をしているのだが、どうやらそちら側も手こずっているらしい。
クライスは唾を吐いて顔を上げる。
時間にしておよそ一分。
クライスが体を休める時間があったということは、それだけ相手にも猶予を与えたということになる。
槍を構えてこちらを見上げる、翠緑色の槍使いがそこにいた。
敵意の眼差しを向けられて、クライスはなおも興奮でよだれが止まらない。
……そうだ、お前だ。俺の最後の相手に相応しいのは、お前しかいない。
どんなに絶望的状況でも、決して諦めない不屈の精神。
巨悪を前に、自身の正義を疑わない愚か者。
……オレの理想の果てに立ってるのは、オレじゃなくてもいい。
あらん限りの力を込めて胸を叩く。
「頼むから、最後まで壊れんじゃねェーぞ……っ!」
その言葉は、はたして誰に向けられた言葉だったのか。
呪詛のような独り言をつぶやいて、クライスはただ全力で宿敵を迎え撃つ。
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