第38話「奥の手」

 決意の咆哮と共に、フィルフィーネの槍が閃く。

 クライスの回避は間に合わず、右腕の肉を切り裂いた。


「チィッ……!」


 クライスは傷をかばいながら、風魔術でフィルフィーネを吹き飛ばす。

 面で放たれた風にさらわれてフィルフィーネが宙を舞う。とっさのことだったからか、殺傷能力はほとんどないようだ。

 くるりと回って着地をし、槍に付いた血を払う。

 クライスが両腕をだらりと下げ、頭を地面に向けたまま、独り言のようにぶつぶつと何かをつぶやいている。

 次第に声量は上がっていき、彼女の耳に届くころには呟きは冷笑に変わり、最後には雄叫びのような奇声を上げた。


「……クッ、クックックッ……ギャハハハハハハ! いい展開じゃねーかァ!」


 クライスが目を血走らせ、凄まじい形相で笑い始めた。

 ギラついた瞳が揺れる。

 焼け残った木材に、急に火がついたような変わりようだった。


「ひとつの世界と一人の人間の命が天秤にかけられる戦い! そこに善悪などありはしない。あるのはただ、互いの『正義』のために力を振るうだけの、不条理極まりない命のやり取り! そう、やはり人類は、暴力でしか前に進めない生き物なのだ!」


 ――クライスはになっていた。


 刻印魔術の連続使用による反動。

 体内に残留する淀んだマナが、一種の興奮状態を引き起こしている。

 最初に現れたときのような鼻につく語り口調と、戦っている間の狂気を含んだ鋭い語気。それらが混ざり合ったような人格が表層に現れている。


「な、何を言ってるの、あの人……」

「……もしかすると、あれが彼の本性なのかもしれません」


 澪依奈の予想は、当たらずとも遠からずだった。

 クライスにとって〈協会〉に命じられた任務は仕事でありながら、自らの人生というなの舞台を演出するための脚本の一部でしかなかった。

 簡単な仕事などつまらない。

 より難しく、より厳しい任務を達成してこそ、生の実感を得られるというもの。

 終わりかけた世界で、自分の名を残せなくとも、自分が生きた証を一つでも刻めるような、そんな仕事を彼は求めた。

 そのためなら、どれだけ犠牲が出ようとも関係ない。

 ただ聖女を連れて帰るだけなど、彼に言わせればナンセンスでしかない。

 世界樹の生贄? 世界の救済? そんなのは仕事の結果についてくるおまけのようなものだ。

 クライスはただ、自分が満足できる仕事をしたいだけなのだ。

 だからこの舞台を用意した。強敵を見出し、より戦いが激しくなるように仕向けた。

 ……これが最後だからなァ。思う存分、暴れさせてもらうぜェ……!


「もうこれ以上の問答はいらねェ。俺を殺して、お前の選択が正しいことを証明して見せろ! 『送り人』ォオオオッ!」


 クライスの裂帛れっぱくの咆哮が建物を揺らした。


 ――気のせいではなく、本当に地面が揺れていた。


 揺れは次第に大きくなり、悠真たちの足元から地鳴りのように響いた


「な、なんだ……⁉」

「下から、何か出てくる……!」

「きゃあああああああっ!」


 床のタイルが砕け、地面が割れた。

 立っていられないほどの振動の中、地中から謎の植物が、まるで意思を持っているかのように飛び出してきた。

 一つ一つの太さが数メートルはあるだろうか。

 『ジャックと豆の木』に出てくる巨大な木のようだ、と悠真は思った。

 バケモノじみた大きさの植物が、巨大なツルをまるで触手のようにして、フィルフィーネへと襲い掛かった。

 間一髪、空中へと回避するフィルフィーネ。

 だが、巨大なツルは向きを変え、空中へ逃れたフィルフィーネに狙いを定めた。


「くっ……こんのっ……!」


 向かってくる巨大なツルを、フィルフィーネは槍で叩き切る。

 切られた巨大なツルは、地面に落ちると形を崩し、白い灰となって散っていった。


「――⁉ これって……!」


 散りゆく灰を見て、フィルフィーネは思い出す。

 生命力を使い果たした生き物が、白い灰となって散っていく現象。

 それは、メルセイムで何度も見てきた、命の終わり。


「『灰白症かいはくしょう』……じゃあまさか、この樹は……!」

「そうだ。お前が一番よく知ってるだろ。


 いつの間にか、クライスは巨大な樹のツルの上に立ち、これから蹂躙じゅうりんする獲物を見下ろしていた。


「苦労したんだぜェ? ここまで鮮度を保ったまま加工するのはよォ。『星域』での伐採は全然進まねェし、作業中にマナ汚染でバンバン死人が出るしよォ。まァ、おかげでこうして『星域』の外でこの『貪婪なる蛇ニーズヘッグ』を散歩させることができてるんだけどなァ」


 名を呼ばれた植物が、応えるようにうごめいた。

 いくつも伸びていた触手のようなツルが、一か所にまとまって一塊となっていく。

 繭のように丸まったかと思えば、殻を突き破って六つの蛇の頭が飛び出した。

 大木のような体に足はなく、地面に深く根を張っている。あくまでも植物としての機能を有したまま、枝が伸びるようにして蛇の頭が形成されているようだ。


 ――『貪婪なる蛇』。マナを吸収するために根を伸ばし続けるこの植物に、クライスが与えた命の名である。

 それは、餌を捕食するためにその首と体を伸ばし続けたと言われる、メルセイムに遥か昔に実在していたといわれる大蛇の名前。

 その蛇の名を関する世界樹の根は、ひとつの命として活動していた。


「そんな……じゃあ、この根はまだ生きているというの⁉」

「当たり前だろ。オレァ観葉植物を愛でる趣味はねェからなァ。やれ、『貪婪なる蛇』!」


 クライスは『貪婪なる蛇』に体に乗ったまま、自らの手足のごとく蛇を操る。

 蛇の首の数は全部で六本。木片から削り出されたような外見をしているが蛇には変わりない。鋭く伸びる牙と、柔軟に標的を狙うしなやかな首の動きに、悠真たちは翻弄されていた。


「――うわっ! は、速い……!」


 見た目の巨体からは考えられない素早さで襲い掛かる『貪婪なる蛇』を、悠真は身体強化を駆使してどうにか凌いでいた。

 ある程度体が慣れてきたとはいえ、悠真のそれはまだ付け焼き刃だ。出力も安定せず、制御も直感頼りな綱渡り状態。

 綻びが出ないようにと魔力操作に集中すればするほど、意識が他へ向かなくなり――。


「……おわっ⁉」


 悠真は、割れた床のタイルに足を取られてしまった。

 ……しまった、回避に集中しすぎて足元が……!

 体勢を崩してしまい、どうにか両手で体を支えたが、その隙はあまりにも致命的だった。


「――藤代くん! 逃げてください!」


 澪依奈は叫びながらも、悠真に迫る『貪婪なる蛇』に向かって氷剣を飛ばした。

 けれど氷剣は『貪婪なる蛇』を切り裂くどころか、硬い表皮に弾かれてしまう。

 ……なんて硬さ! 私の氷で傷一つ付けられないなんて……!

 動きを止めた悠真に蛇が群がる。

 一斉に襲い掛かる『貪婪なる蛇』に、悠真はなす術がない。

 数瞬後には、『貪婪なる蛇』に体を刺し貫かれる自分の姿が脳裏をよぎった。

 ……やられる……!

 もう何度目かわからないピンチに、今度こそもうダメだと思った。

 

 ――けれど、そんな窮地にこそ、彼女は必ず駆け付ける。


「はぁああああああああああッ!」


 悠真と『貪婪なる蛇』との間にフィルフィーネが割り込んだ。

 目にも止まらぬ早さで『貪婪なる蛇』が切断されていく。

 ……すごい。あの硬さをいともたやすく……!

 一瞬にして二本の首を切り落とすと、悠真を担いで大きく跳躍した。

 フィルフィーネは、魔術で風を自身にまとわせて、悠真を抱えたまま風船のようにふわふわと上空に浮きとどまった。飛んでいるというよりは、微妙に落ちながら滞空している、という表現が正しいだろう。

 フィルフィーネの脇に抱えられた悠真は、若干の気恥ずかしさを感じた。


「ユーマ大丈夫⁉」

「あ、あぁ、なんとか……ありがとうフィーネ、また助けられちゃったな」

「どういたしまして。私の手が届く限りは、何度だって助けてあげるわよ」


 フィルフィーネが笑うと、悠真もつられて笑った。


「それにしても、何が蛇よ。あれじゃトカゲじゃない」


 眼下で口を開けて、悠真たちが降りてくるのを待っている『貪婪なる蛇』を見て、フィルフィーネがぼやく。

 フィルフィーネが切り落とした首は、切断面からまた新しい首が生えてきていた。


「さ、再生するのかよ⁉」

「世界樹の特性を利用しているんでしょうね。だったら、何度でも切り落としてやるまでよ」


 フィルフィーネの頼もしいセリフを聞きながら、悠真は現状を推し量る。

 あの蛇をどうにかするためには、恐らく魔術師本人を叩くのが手っ取り早い。

 けれど、その魔術師にたどり着くためには、あの蛇をどうにかしなくてはならない。


「……そもそも、どういう理屈で再生してるんだ、あれ」

「世界樹はマナを吸い上げることで成長する樹よ。この土地のマナを吸い上げて、自身の魔力に変換してるんだわ。だから再生というよりは、再成長してるって感じでしょうね。この土地のマナが枯渇しない限り、あの蛇の再生も止まらないわ、きっと」

「なるほど……。ってことは、あの蛇と魔術で結びついてるクライスも――」

「――魔力を補給し続けられる、と考えるのが妥当でしょうね。……そうか、だからあれだけ魔術を連発しても、疲労しているように見えなかったんだわ」


 《隔絶結界》を維持したまま刻印魔術を何度も使っても、本人に疲弊した素振りが一つも見られなかったのは、供給元が用意されていたから。

 『貪婪なる蛇』を経由して、マナを魔力に変換し続けることで、クライスは無尽蔵に魔術を使えるのだ。


「でも、吸い上げたマナを直接体に取り込んだりしたら、体がマナの汚染に耐えられないはず……なのにどうして……」


 魔術師とはいえ、マナを魔力に変換できる量には限界がある。普通は時間をかけて少しずつ魔力に変換するものなのだが、クライスはノータイムでマナを魔力へ変換し続けているようだ。

 ……理屈はよくわからないけど、とにかくこのまま戦ってちゃジリ貧だ。どうにかしてあの蛇の懐に潜り込んで、クライスを倒さないと……でも、どうすれば……。

 悠真は奥歯を噛みしめて考える。けれどすぐに妙案が出てくるわけもない。


「あーあ……いいのか、そんな悠長に高く跳び上がっちまって。こっちの準備が整っちまうじゃねェか」


 クライスが不敵に笑う。

 舞台の盛り上がりは最高潮。

 流した血と魔力の量も十分。

 フィナーレに向けての、とっておきのお披露目だ。


「――《転移門・開門ゲート・オープン》」


 クライスの言葉をトリガーとし、広場どころか建物全体を覆い尽くしてしまいそうなほどの巨大な魔法陣が現れた。

 小さな魔法陣が幾重にも重なり、幾何学模様きかがくもようが規則正しく並ぶことで、一つの大きな魔法陣を形成している。

 周囲の青いカーネーションが、魔法陣に呼応するように青白く発光している。

 この光景を、悠真はすでに見たことがあった。

 昨日の朝、妹の部屋で――。 


「まさか……召喚術か⁉」

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