第36話「追想:ともだちの資格」

 〈協会〉の研究棟から少し離れた場所にある、意図的に隔離されたような小さな部屋。コンクリートで打ち固められたような、無骨で色見のない無機質な建築様式も見慣れたものだ。

 飾り気がないからと、シオリがあちこちから花や布をかき集めて来ては、窓辺に飾ったり、床に布を縫い合わせた絨毯を敷いたりして部屋を彩っていった。夜に星が見られるようにと、親しくなった星詠みの魔術師に頼んで、こっそりと天窓を作ってもらったりもしていた。

 ただの四角い空間も、今ではちゃんとした年頃の女の子の部屋になっている。

 そんな一室で、シオリは窓辺に置いた花の苗に水をやりながら私に尋ねた。


「それで、いつ出発するの?」


 いつものように、あっけらかんとして喋る彼女に、私もいつもどおりに返事をする。


「明日の朝にはここを発つわ。『星域せいいき』の近くにある〈協会〉の観測所まで一週間はかかるだろうから、そのつもりで荷物をまとめておいて」

「うへー、一週間も? もしかして、道中ずっと……」

「もちろん野宿よ」

「ですよねー。マジかぁ……」


 シオリはがっくりと肩を落としてため息をついた。

 彼女には聖女としての責務を果たすために、やるべきことがたくさんあった。

 この一年間、魔獣の対処や最低限の野営の知識をできる限り教えてきたつもりだ。何に対しても意欲的に取り組み、飲み込みも早かった彼女が、たかが一週間の旅程に不満を口にするとは……。


「だって、一週間お風呂ナシなんだよ⁉ 荒地やら沼地やら歩き回って、汗や汚れも落とせないなんて、うら若き乙女としてどうなのって話!」

「……道中の森に、小さいけれど川がある。そこで水浴びをすればいいでしょ」

「そういうことじゃないのよ……」


 相変わらず、シオリが考えていることはよくわからない。

 けれど、彼女が落ち込んでいるのは、なんとなく嫌だった。


「観測所まで行けば、野営用の簡易風呂がある。それまではがんばって」


 ――がんばって。

 自分で言っておきながら、なんて無責任な言葉だろう。

 この一年、彼女が頑張っていないときなど一度もなかった。

 聖女の力をより高めるために魔術の知識を詰め込み、身体の限界まで魔術を酷使し、痛みの伴うパスの拡張までおこなった。

 もう嫌だの疲れただのと泣き言をいう彼女に、私はいつもこの安っぽい言葉をかけ続けてきた。

 そのたびに、彼女は笑って――。


「――ん、じゃあがんばるっ。ありがと、フィーちゃん」


 私にお礼を言うんだ。

 私は、胸が締め付けられるような息苦しさを覚える。

 この息苦しさの理由を、私はまだ知らない。

 一年間共に過ごしてきたこの部屋とも、明日でお別れだ。

 私が帰ってくる頃には、またいつもと同じように、ベッドと机だけが置かれた無機質な部屋へ逆戻りするのかと思うと、少し……寂しいと思った。

 水やりを終えたシオリがベッドに腰掛け、そのまま仰向けに倒れた。両手を広げ、大の字になって目をつむる。


「……どうして、何も聞かないの」


 部屋の扉の前に立ったまま、おもむろに聞いてみた。

 シオリは寝っ転がったまま、


「なんのこと? もしかして、昨日ライナルとこっそりふたりで出掛けてたこと?」


 と、はぐらかした。

 わかっているくせに、知らないふりをする。

 見えているのに、見えないふりをする。

 そんな彼女の態度に、私は甘えていたのだと思う。


「今回の『星域』調査について。どうして詳細を聞こうともしないの」


 あえてもう一度繰り返す。

 シオリは、今回の遠征について何も知らない。知ろうともしない。ただ言われるがままに旅の支度をすませ、荷物をまとめている。

 

 ――まるで、身辺整理でもするかのように。

 

 この部屋にはもう、シオリの私物はほとんど残っていなかった。

 異なる世界から召喚された彼女がこの世界に持ち込んだものは、その時に着ていた衣服以外に無いのだが。

 シオリがこの部屋で生活していたという事実すら薄らいでいくようで、私は……。


「聞く意味ある? それ」

「――え?」


 虚を突かれた私は、とても間の抜けた声を出した。

 シオリは、よっ、と足を振り下ろした反動で体を起こすと、ベッドに腰掛けたまま真顔で言う。


「私が何を言ったところで、『星域』調査に行くことは変わらないだろうし、私が何を知ったところで、私のやることに変わりはない。でしょ?」

「それは……」


 図星を突かれた私は、肯定も否定も口にできなかった。

 〈協会〉の任務は絶対だ。『星域』までの護衛は、私や他の魔術師の仕事で、彼女にできるのは精々足手まといにならないこと。

 シオリはわかっていた。わかった上で、何も聞かないことを選んだんだ。

 シオリの言うことは正しい。正しいのに、どうして、私はこんなに思い悩んでいるんだ?

 黙ってうつむく私に対して、シオリはゆっくりと自分のことを話始めた。


「フィーちゃんには、前にもちょっと話したと思うんだけどさ。私、元の世界だと全然友達いなくて、友達どころか、家族にすら信用されてなくてさ。他人とする会話のほとんどが事務的っていうか、ビジネスライク? みたいな感じでさ。まあ、会話なんてほんとたまにしかしないんだけどね」


 ……びじねすらいく、が一体なんなのかはよくわからないが、シオリの言いたいことは不思議と伝わってきた。


「怒られたくなくて、やりたくもないことやって。嫌われたくなくて、思ってもないこと言って。そんなことばーっかりやってさ、気付いたら……ひとりぼっちになってた――」


 シオリは、昔の私と同じだ。

 目の前の出来事から逃げるために、自分の心を偽り続けてた、昔の私と――。


「だからさ、こっちの世界に来てから私ずっと思ってたんだ。今度こそ、心から信頼できる友達をつくろうって。たとえ裏切られたとしても後悔しないぐらい、大切な友達を――」


 だけど、やっぱりシオリは私とは違う。

 シオリは、自分の力で変わることを望んだ。変えることを選んだ。

 どんなに暗く深い闇の中にいたとしても、彼女は自分から、光に向かって手を伸ばしていけるのだ。

 言われるがままに生き、殺してきた私とは全然違う。


 ――あぁ、なんて眩しいんだろう。


 シオリがベッドから腰を上げ、私の手を握った。両手でやさしく、包み込むように。


「だからね、フィーちゃん。私はフィーちゃんと友達になれて、すっごく嬉しかったんだ」

「――――っ」


 両手から伝わるシオリの体温が、私の心を解きほぐす。

 やさしくて、おだやかで、あたたかい。

 シオリはきっと、心の底から私のことを友達だと認めてくれている。


 ……だからこそ、私は私を許せなくなる。


 こんなにも自分のことを想ってくれている、かけがえのない友達を、

 私はこれから――。

 

 ――

 

「あぁ……くっ……うぅっ……!」

「わっ、どうしたのフィーちゃん⁉ 私、なにかマズいこと言っちゃった……?」


 私はボロボロと涙を流しながら、首を横に振った。

 ……私に、彼女の友達を名乗る資格があるのだろうか。

 何年ぶりかに流した涙は、思ったよりも冷たくはなかった。


「……おぉ~よしよし。お姉さんの胸で好きなだけ泣いていいからねぇ」


 嗚咽おえつを漏らしながら、あふれる涙を止めることはできず。

 私はシオリに頭を撫でられながら、涙が枯れ果てるまで、声を殺して泣き続けた。


 私の心は、もうこの時すでに、限界だったのかもしれない。

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