第35話「消えない過去」
「……フィ、フィーネが……処刑人?」
「聖女を殺したって……どういうこと?」
クライスの告げた真実に、悠真と沙希は動揺を隠せない。目をしばたたき、口を開けたまま固まって、信じるような目でフィルフィーネを見つめた。
フィルフィーネは何も答えるず、無言で顔を伏せている。
「その反応から察するに、わざと隠してやがったな? ギャハハッ、ますます愉快だな」
昨夜、悠真と沙希はフィルフィーネから詳しい事情を聞いた。
メルセイムのこと、世界樹のこと、〈協会〉のこと。一晩では整理がつかないほど、色んな話をして、少しだけ親しくなった……つもりでいた。
……フィーネ自身について、俺たちは何も知らないじゃないか。
今になって、カタチのない違和感が悠真の中からふつふつと湧き上がってきた。
思い返せば不自然な話だ。
あれだけの話をして、なぜ彼女自身について尋ねることをしなかったのか。
フィルフィーネも、どうして自分の話をほとんどしなかったのか。
……もしフィーネが意図的に、そうしていたのだとしたら。
頭の片隅にあった疑念はどんどん大きくなって、悠真の心を黒く染めていく。
悠真がフィルフィーネを見ると、フィルフィーネと目が合った。
フィルフィーネは、ばつが悪そうに視線を逸らし、苦悶の表情を浮かべた。否定も肯定もせず、ただ押し黙ったままだ。
その態度が、クライスの言葉が真実なのだと、如実に物語っていた。
「……それで? 処刑人とは、つまりどういうことなのですか。そちらの世界についてまだあまり詳しく知りませんが、殺して捧げる、という言い方にも、少々違和感を覚えます」
現在この場で唯一冷静な澪依奈が問いかける。
クライスは、近くの瓦礫に腰を下ろすと、面倒くさそうに話し始めた。
「オレらの世界……メルセイムっつーのは、世界樹が枯れちまうと何もかもが終わっちまうクソッタレな欠陥世界だ。世界樹を枯らしちまうワケにはいかねーから、聖女なんて大層な肩書の女を生贄にして、どーにか生きながらえてる」
昔はそうでもなかったらしいがな、と興味なさげに付け加える。
彼の話は、悠真たちがフィルフィーネから聞いた話と同じだ。
しかし、改めて聞くと疑問が浮かんでくる。
――どうやって世界樹に生贄を捧げるのか。
その答えは、クライスの口から語られる。
「聖女の魂を世界樹に捧げるっつっても、世界樹が勝手に聖女をバリバリ喰っちまうワケじゃねェ。誰かが世界樹に魂を喰わしてやらなくっちゃあならねェ。血を飲ませるとか、魔力を吸わせるとかってンなら、話はもっと簡単だったかも知れねェけどな」
わざわざ聖女の魂が必要と言っているのだ。それは比喩でもなんでもなく、魂そのものが必要だという意味にほかならない。
「魂だけを抜き取るような魔術は、長い魔術の歴史の上でも、未だに存在していません。魂は生きている肉体に宿るものです。魂だけを保管したり、移動させる方法がないのであれば、逆説的に結論は一つだけ――」
澪依奈はおおよその予想がついていたのか、その方法を口にする。
考えうる限り最も効率的で、最悪な方法を。
「――殺害した直後、肉体から分離する瞬間の魂を摂取させる。この言い方は正確ではないでしょうが、それしか考えられません」
淡々と語る澪依奈の言葉は、いつもより冷めていた。
魔術の世界における魂は、生きている生命の体に宿るものとされ、死を迎えた時点で肉体を離れ、生命の輪廻へと還ると言われている。
一部の派閥においては、魂に生死の概念は存在しないとする者もいるが、結局のところ、目に見えない魂の存在を証明する手段がないので、どれも正しく、また正しくない。
クライスがパチンと指を鳴らして、ご名答、と澪依奈を指差した。
「どういう仕組かは知らねェが、世界樹の根本に死体を置いとくと、死体ごと魂を取り込んじまうらしい。生物の死骸はすべからくマナとして還元されるってことなのかもしれねェが……。オレァ直接見たことがねェから何とも言えねえェ。なんつったって、世界樹が生えてやがる『
フィルフィーネがビクリと肩を震わせる。
沙希がその背中に手を伸ばそうとしたが、なにか思いつめた表情をしたまま固まって、その手はそれ以上伸びることはなかった。
嫌な空気が漂う。けれど、真実は容赦なく悠真たちを追い立てる。
「その女が言うように、魂だけを器用に抜き取るような魔術は存在しねェ。――だから殺す。肉体から魂が離れるその瞬間を狙って、魂を世界樹に喰わせる。それが『送り人』の仕事っつーワケだ。……理解できたか? お前らが信じてるその女が、ただの人殺しだってことをよォ!」
……聖女を守るためにやってきたと言っていたフィーネが、実は聖女を殺していた……? 隙をみて沙希を殺そうとしてたとか? いや、だったらあの時公園で俺を助ける必要はないし、殺そうと思えばいつでも殺せただろ。それに今だってフィルフィーネは、沙希を守るために戦ってくれてるじゃないか。
クライスの発言は、悠真が実際に見てきた彼女の行動とひどく矛盾している。
しかし、クライスが嘘をついているようにも見えなかった。
――ごめんなさいっ。
悠真はふと、昨日のことを思い出した。
あの時の……悠真に謝罪するときのフィルフィーネの視線は、悠真を見ているようでその実、どこか遠くを見ていた。
……あの謝罪は、一体誰に向けてのものだったんだろう。
フィルフィーネの過去に、一体何があったのだろうか。
「なんとか言ったらどうだ、『送り人』。ほら、教えてやれよ。お前がこれまで殺してきた、聖女の数を」
フィルフィーネは悠真たちに背を向けたまま、震える体を力いっぱい抱きしめた。
自分が今どんな顔をしているのかすら、彼女にはよくわかっていない。
悠真たちを騙していたことに対する罪悪感や、過去の行いに対する悔恨の念に責め立てられて。
降り積もった負の感情は行き場を失って、フィルフィーネの心は、暗く冷たく閉ざされていく。
……どうしよう。どうしよう。どうしよう……!
意図して隠していたのは本当だ。
全て正直に話してしまえば、絶対に警戒されると思ったから。
沙希を守るためには、自分を信じてもらう必要があった。
だから、過去のことは話さないと決めた。
たとえ騙すことになったとしても、それで彼女を救えるのなら、それでいいと、その時は思っていた。
……こわい。こわい。こわい……!
だが、全て知られてしまった。
否定の余地などない。クライスの言葉は全て真実なのだから。
彼女たちの命を奪っておきながら、言い訳などできるはずもない。
フィルフィーネは顔を上げられない。
顔を上げてしまったら、沙希の顔が目に入ってしまう。
沙希が自分を一体どんな目で見ているのかが、わかってしまう。
今、彼女の瞳にあるのは、どんな感情だろうか。
――怒り、恐怖、嫌悪、軽蔑。あるいはその全てかもしれない。
フィルフィーネの脳裏に浮かぶのは、まだ彼女が『送り人』として認められる前のこと。
自分の外見と出自のせいで、周囲からの視線に晒され続けていた、あの耐え難い日々の傷痕。
奇異の視線や好奇の視線……敵意の視線、悪意の視線……視線視線視線視線。
いくつもの視線が体にまとわりつくような、あの感覚がよみがえってくるようで。
自分の体を抱いて、体の震えを抑えようとするほど、余計に自分の弱さを実感してしまい、じわりと涙があふれそうになった。
……やっぱり私、あなたみたいにはなれないよ、シオリ……。
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