第34話「『送り人』の役割とは」

「あれが鷹嘴の魔術……!」


 悠真は凍える寒さ中、クラスメイトの真の実力に息をのんだ。

 魔術師としては先輩、くらいに考えていた自分が馬鹿らしくなるほど、魔術師としての彼女は次元が違った。

 氷の大剣は砕け散り、急激に冷やされた空気が白いもやとなって広場を埋め尽くしている。

 目を凝らせば、もやの中横たわるフラートを見下ろす澪依奈の姿があった。

 傷だらけの少女を見下ろす瞳には、悲哀と同情が半分ずつ――。


「……どうして、殺さなかったの?」


 フラートが倒れたまま、澪依奈に尋ねた。


「私はあなたたちと違って、ただの学生です。人の命をどうこうするだけの覚悟なんて、持ち合わせていません」

「……うそつき。ちゃんと、手加減したくせに」

「あなただって、ちゃんと爪で防いでたじゃないですか」


 ……あたしが対処できるように、わざと時間をかけたからでしょ……。

 憎まれ口を返す力さえ無くなったフラートは、脱力して大きく息を吐いた。


「……ほんと、こっちの世界の人間って、みーんな甘ちゃんだね」

「それはあなたたちもじゃないんですか」

「……なにが?」


 首をかしげることもできない彼女に見えるように、澪依奈は、手に持っているものをつまんで見せた。

 それは、フラートが口にした白いタブレットが入った小瓶だった。中身はまだ少し残っている。

 どうやら、吹き飛ばされた拍子に落としたようだ。


「それ、あたしの……」

「あなたはこれを、魔力を増幅させるものか何かだと思っているようですが、これはただの栄養剤です。人体に影響を及ぼすような成分は入っていません」

「……え?」


 ……うそ。ウソウソウソ、嘘だ。そんなはずない。だってそれは、クラっちが……。

 

 ――ちょっとしたお守りだ。


「………………あ」


 クライスの言葉を思い出す。

 彼はこの小瓶をフラートにを手渡した時、ちょっとしたお守りだ、としか言っていない。

 現に、服用してからすでに五分以上経つのに、フラートに副作用による痺れや痛みはなかった。目の前の魔術師に受けた傷以外は、だが。

 ……あたしが、勝手に勘違いしただけ……。


「誰にこれをもらったのかは知りませんが……きっとその人は、あなたには戦って欲しくなかったのではないですか。これが魔力を高めるようなものではないとわかれば無茶な戦いはしないだろうと、そう考えたのかもしれません」


 それは、歪な優しさだった。

 戦って欲しくないのなら、そもそも戦場へと連れていくべきではないのだ。

 どれだけ我がままを言われても、無責任だとしても。

 否定して、拒絶して、突き放せばよかったのだ。

 それでも、そうしなかった理由を、フラートはすでに知っている。


「……は、ははは……あははは……っ」


 なんておかしな話だろう。腹の底から笑いがこみあげてくる。

 悲しくて、辛くて、嬉しくて、ただ笑うしかなかった。

 昔からそうだった。不器用で、言葉足らずで、変なところで頑固で、見えないところで優しく振る舞う変なヤツ。

 それが、クライスという男だった。


「ほんと、バカだよ……クラっち……」


 フラートは、涙をこぼして静かに笑うと、ゆっくりとまぶたを閉じて意識を失った。


「フラートちゃん……!」


 沙希が側に駆け寄り、心配そうに名前を呼んだ。

 頬を伝う涙に化粧が溶けて混ざる。

 黒く濁った涙は、彼女の心を映しているかのようで……沙希はそっと、指で涙を拭った。


「魔力が尽きて眠っているだけです。傷もそこまで深くはないですし、そのうち目が覚めると思います」

「よ、よかったぁ……」

「なんでお前がこいつの心配してんだよ。お前を連れ去ろうとした敵なんだぞ」

「そ、それはそうだけど、でも……でもさ! やっぱり、目の前で誰かに死なれるのは嫌だよ……だって、まだ小さい女の子なんだよ?」


 沙希は、フラートの手をぎゅっと握りしめた。


「マンガや小説とは違うって、わかってる……わかってるけど、こんな小さな女の子が殺し合わなきゃいけないなんてのは、絶対間違ってるよ……!」


 ――その時、沙希の想いに応えるかのように、沙希の体が光り出した。


「さ、沙希さん……?」


 魔力とは違う力の奔流に、澪依奈は目を見開いた。

 ……魔力は感じない。なのに、胸の内を満たすこの力は一体……?

 光は周囲の人間に等しく影響を及ぼしているようだ。

 沙希から迸る慈しみの光は、彼女の腕を伝ってフラートにも伝播していった。


「……まさか、これが聖女の力?」


 光に包まれたフラートの傷が消えていく。ボロボロに折れ、剥げてしまっていた爪も綺麗に再生している。

 光が消えると、フラートはすぅすぅと安らかな寝息を立てていた。


 彼女の隣で祈るように手を握って目をつぶっていた沙希が、両目をぱちくりさせた。


「あ、あれ……? これ、私がやったの?」

「お前、自分でやったんじゃないのか?」

「ち、違うよ! ただ悲しくて、悔しいなぁって思ってたら、頭の中がまっしろになって……そしたら、よくわかんないけど、誰かの声が聞こえたような気がして……」

「誰かって……」


 誰だよ、と口に出そうとして、ふと思い出す。

 ……聖女の魂が、沙希にそうさせた……?

 沙希の中にあるという聖女の魂が沙希の力の源だとするならば、フィルフィーネの話の通り、やはり沙希は聖女ということになってしまう。

 なにより、今しがた目撃した謎の癒しの力。

 もはや疑いようがない。沙希の中には、何か大きな力が眠っているのだ。

 戸惑いながらも、傷が治ったフラートを見て喜ぶ沙希に対し、悠真はひとり、言葉にできない不安を抱えていた。

 沙希を心配そうに見つめる悠真の横で、澪依奈が咳ばらいをした。


「……こほん。藤代くん、そろそろお話をしてもいいですか?」

「あ、ああ、そうだった。ありがとう鷹嘴。さっきは助かったよ」

「ありがとうございます、はっしー先輩!」

「いえいえ、お礼なんていりませんよ。大事なお友達の窮地きゅうちとあっては見過ごせませんから」

「いりますよ! 先輩、とってもかっこよかったです! ……というか、先輩って魔術師だったんですね」


 何を今更……と思ったが、実際俺も驚いたしな、と悠真も横で頷いた。


「魔術師といっても、私の家系は少し特殊で、私だけ先祖返りみたいな感じになってしまっているんです。その辺りを説明すると長くなってしまうので、また今度お話しましょう。それよりも、今はこれからどうするかを話し合いましょう」


 いつも学校で見ている彼女とは異なる鋭い顔つきに、悠真は少しどきりとしながらも言葉を返す。


「わかった。実は、少し気になることが……」


 悠真がこの結界に対する違和感について喋ろうとした――その時。

 突然現れた異様な魔力に、澪依奈がいち早く反応した。


「――二人とも伏せてください!」


 二人をかばう様に澪依奈が身構えると、建物の壁を突き崩しながら何かが飛んできた。

 分厚い壁が砕かれ、瓦礫とともに飛んできたのは人間だった。


「あれは……クライス⁉」


 フィルフィーネと戦っていたはずの男は、悠真たちの頭上を越えて、放物線を描いて十数メートルほど飛んだあと、ドラッグストアの店内へと墜落した。ガラガラと崩れ落ちていく商品棚の下敷きになって、それきり動く気配はない。


「あの人がやられてるってことは、フィーちゃんが勝ったってこと?」

「フィーちゃんとは、先ほど話に出ていたあの――」

「あぁ、フィルフィーネっていう俺たちの味方で……あ、ほらあいつがそう、で……え?」


 崩れた壁の瓦礫を素手でどかしながら、何食わぬ顔で突っ切ってくるフィルフィーネ。

 悠真が指差した彼女は、すでに悠真の知る彼女ではなかった。

 瞳は金色に輝き、翠玉色の髪は淡く光を放っている。

 まるでその身に月を宿したかのような、妖しくも眩い光だった。


  †


 人間が魔術を使えるのは、体の中に魔力が流れる道が存在しているからだ。

 この魔力が流れる道を、魔術師たちは端的にパスと呼んでいる。

 道の大きさには個人差があり、魔術師の潜在的な才能に比例すると言われている。場合によっては血液や神経に魔力を乗せる場合があり、身体操作の魔術の精度にも直結するため、道の大きさとは別に、道の数や魔力に対する適応力も魔術師としての評価基準の一つとなっている。


 ――では、フィルフィーネの髪の毛一本一本から迸るこの魔力の輝きは、一体どれほど大きな魔力がその体に秘められている証なのだろうか。


 フィルフィーネの様子に戸惑う悠真と沙希の後ろで、澪依奈が信じられないものを見る目で驚いていた。


「……あれが本当に、一人の人間の魔力量なのですか……?」


 今まで感じたこともない魔力の圧力。びりびりと空気が張り詰めている。

 外見は普通の人間と変わらないのに、その奥底に獰猛な獣が眠っているようだ。

 人間として……いや、生物として、あれには適わないと本能が理解させられる。

 澪依奈は無意識のうちに唾を飲み込み、腕に魔力を走らせ即応体勢を取った。

 悠真たちの話を聞いた後でも、アレを味方だと断定できなかったから。

 フィルフィーネは、自分に注がれる視線に気づいたのか、視線の主である悠真たちを鋭い眼光でにらみ返した。


「――――ッ!」

「うっ……!」


 ――ただ、見られただけ。

 それだけで、悠真は心臓をわしづかみにされたような心地で、全身の血の気が引いたことを悟った。

 足が震える。

 呼吸が浅くなる。

 内臓がひっくり返るような悪寒に吐き気を催す。

 一秒でも早く、ここから逃げてしまいたい。

 そんな衝動に駆られ、無意識に一歩下がったとき。


「フィーちゃん!」


 沙希が大声で、彼女の名を呼んだ。

 悠真や澪依奈とは違って、とても自然体のまま、彼女に対し手を振ったのだ。

 フィルフィーネが沙希をじーっと見つめる。

 獲物を噛み殺せてしまいそうな迫力の眼光が、ゆっくりと和らいでいく。

 金色の瞳が、澄んだ水面のような水色に戻る。


「……サキ? それに、ユーマも……っ、私また――!」 


 フィルフィーネが二人に気づくと、先ほどまでの威圧的な雰囲気は霧散し、全身からあふれる魔力の放出も止まった。

 どうやら今までも意識は残っていたようで。

 フィルフィーネは悠真たちの近くまで来ると、おずおずと謝罪から入った。


「ご、ごめんなさい。ふたりを怖がらせてしまって……」

「……気にしないでくれ。別に何かされたワケでもないし、大したことじゃないさ……」


 悠真は震える唇でそう言うが、両手は手汗でびっしょりだった。

 フィルフィーネにバレないようにと、ズボンでごしごしと手を拭いた。


「フィーちゃんが無事でよかったよ。ケガしてない?」

「私のことより、ふたりは……大丈夫そうね。安心したわ。それで、そっちの人は……?」


 フィルフィーネが尋ねると、澪依奈が小さく会釈して、沙希が元気よく紹介した。


「この人は鷹嘴澪依奈先輩。さっき私たちを助けてくれたんだ」

「はじめまして、フィルフィーネさん……と、本当はゆっくり挨拶したいところですが、どうやらあとにした方がいいみたいですね」


 澪依奈がくるりと向き直る。

 そこには、商品棚を蹴とばしながら這い出てくるクライスの姿があった。


「おー痛ってェ。派手に蹴っ飛ばしてくれやがって……おっと、お前か? さっきから感じてた魔力の正体は」


 クライスは澪依奈に気付いてにやりと笑う。

 この男は結界内の魔力反応は手に取るようにわかるが、実際に目にするのとでは得られる情報量が段違いだ。魔術師としての質、適正、考え方、好みなど……クライスは、そういったパーソナルな情報を外見から得るのが得意なのだ。

 

「いいねェ。こっちの魔術師らしい純朴さがある。ドライアイスみてェな魔力が肌に突き刺さる感覚がたまらねェ……お前、名前は?」


 尋ねられた澪依奈は、明け透けにはっきりと答える。


「魔術師が名を聞かれて素直に答えるとでも?」

「ギャハハハッ、そりゃそーだ! こいつァまいった、俺が悪かった。愚問中の愚問だったな」

 クライスが腹を抱えて笑う。

 何が可笑しいのかわからない悠真にとってその笑い方は、いたく気持ちが悪いものだった。


「下品な人です。あなたが今回の黒幕ということでいいんですか?」

「……黒幕って言い方は大仰だな。精々現場責任者ってところだな」


 言いながら、クライスは広場の隅で倒れたまま眠るフラートを視認し、ため息をついた。


「……そうか、フラートはやっぱり負けちまったか。お前か? 戦ったのは」

「そうですが……まさか、あなたのような人が敵討ちをするとでも?」

「それこそまさかだろ」


 クライスは鼻で笑った。


「あいつが負けたのは、あいつが未熟だったからってだけだ。まして敵に生かしてもらっておきながら、目が覚めたら仲間に獲物を取られてましたーなんて、俺なら恥ずかしくて窒息しちまう。――お前だってそうだろ、『送り人』?」

「うるさい。余計な口を叩くなって言ったはずよ」

「了承した覚えはねェけどな」


 フィルフィーネとクライスは互いににらみを利かせ、会話越しにも牽制し合っている。

 ふたりの距離はおよそ十五メートル。普通に考えれば遠間だが、フィルフィーネに限っては、この程度の距離は一足一刀……いや、一足一槍の間合いと言えるだろう。

 クライスもそれは理解しているから、こうして煽りながらも隙は見せていない。


 緊迫した空気の中、悠真はふたりのやり取りを見て、きっと今聞くべきことではないのだとわかっていながら、つい口を開いてしまった。


「……『送り人』って、どういう意味なんだ?」


 頭に浮かんだ疑問は誰に尋ねるつもりもなく、本当に無意識に口をついて出たものだった。

 アミスもフィルフィーネのことをそう呼んでいた。

 彼女はそう呼ばれるたびに、悲しそうな、辛そうな顔をしていて、悠真にはそれがずっと気にかかっていたのだ。

 こんな場面で、脈絡もなく口にしてしまうほどに。

 悠真の問いに、クライスは一瞬ぽかんとして、やがて吹き出した。面白いものを見つけた子どものような瞳で悠真を見て、盛大に失笑した。


「ギャハハハハハハハハハ! オイオイオイオイッ、まさか本当に何も知らないままこの女のことを信用してたのかお前ら⁉ ――傑作だ。いや、むしろ茶番か? こんなに笑えるんならどっちでもいいか!」

「……な、何がそんなにおかしいんだよ!」

「おかしいに決まってンだろ。いいぜ、じゃあ教えてやるよ。お前らが信じてるその女……『送り人』っつーのはなァ――」

「だ、ダメ……!」


 フィルフィーネの制止の声など、クライスに届くはずもない。

 悪意を煮詰めたように笑う男は、尖った歯を剥き出しにして、


「――


 嫌みったらしく、そう言った。

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