第33話「少女の涙は凍らない」

――時間を遡り……メルセイムにて。


「……で、どうしてお前まで付いてくることになってんだァ?」


 クライスは、ズボンのポケットに手を突っ込んだまま、隣を歩くフラートに問いかけた。

 〈協会〉の研究本部、その執務室へ向かう通路をふたりは並んで歩いている。

 無機質な石の壁にはなんの飾り気もなく、ただ等間隔に並んだ燭台の上で、ろうそくの炎が小さく揺らいだ。


「だってクラっちが行くんでしょ? だったらあたしも行く」

「答えになってねぇ。オレァ理由を聞いてんだ」

「え~。今言ったじゃん」


 フラートが両手を頭の後ろにやって、ぶーっと口をとがらせた。


「帰って来られる保証はねェ。そもそも、どんな魔術師が出てくるかもわかってねぇんだ。『志摩』って連中がちょっかい出してくるかもしれねェ。だから大人しくお前はここに残って――」

「やだっ!」


 フラートはクライスの提案を拒否する。

 通路を塞ぐようにクライスの前へ出ると、激しい剣幕でクライスをにらみ付けた。


「あたしを拾ったのはクラっちでしょ。だったら最後までちゃんと面倒見てよ! 〈協会〉とか任務とかそんなのどうでもいい! あたしは、クラっちのことを一番近くでずーっと見続けるんだって、あの時から決めてるの! だから……っ、あたしも一緒に行かせてよ!」


 溜め込んでいた想いがあふれて止まらない。

 泣くつもりはなかった。

 困らせたくもなかった。

 自分を見つけてくれた恩人に、こんな顔を見せたかったわけじゃない。

 それでも涙はあふれてきて、拭っても拭っても、こぼれ落ちてくる。

 彼女は泣きながら怒り、怒りながら泣いているのだ。


「お前なァ……」


 クライスは困った顔をして頭をかきむしる。

 ……わかってたことじゃねェかよ。俺もお前も、どんだけキレイごと並べたって、納得できやしねェんだよなァ……。

 クライスがフラートの頭の上に手を伸ばそうとしたが、途中でやめて手を引っ込めた。

 かわりに白衣の内側から小さな瓶を取り出して、フラートの額にこつんと当てた。


「持っとけ」

「……ぐすっ。なにこれ」

「ちょっとしたお守りだ。使わねーに越したことはねェけどな」


 瓶の中には、白いタブレットが入っていた。

 フラートは思い出す。クライスがいつも任務で使っていた、魔力増強の薬品のことを。

 少女は理解する。彼がこんなものを渡してくれた……その意味を。

 ……いざってときはこいつを使ってでも、あたしの仕事を果たしてみせる。


「……ん。わかった。ま、あたしとクラっちなら余裕でしょ」

「そうだな、そうかもな。……そうだろうよ」


 泣き笑いを浮かべるフラートに、クライスが苦笑いを返すと、ふたりは再び歩き始めた。

 この道の終着は、すでに決まっている。

 勝利も敗北も等しく存在するのならば、あとは過程の問題だ。

 ……あぁそうだ。たとえどんなクソッタレな結末を迎えるとしても、オレはオレらしく、最後まで生きて見せるさ。


「……フラート、帰ったら新しい服でも買ってやる」

「えっ、ホントに⁉ どういう風の吹き回し⁉ 言ったからには絶対だからね? あ、でも向こうの世界に行くんなら、あっちの服も欲しいなぁ~。ねぇークラっち、任務用にいくらか資金もらえるんだよね? じゃあさじゃあさぁ~……」

「ダメに決まってんだろ、バァーカ」

「ちょっ、まだ何も言ってないんですけどぉー!」


 無機質な通路に、フラートの陽気な声がうるさいぐらいに響き渡る。

 ……早く執務室に着かねぇかなァ。

 横から執拗に脇腹を殴ってくるフラートの嫌がらせに耐えながら、クライスはため息をついた。


  †


 フラートの大剣の破壊力は凄まじく、地面を砕いた衝撃がフロア全体を揺らした。

 悠真と沙希は立っていられず、共にその場にしゃがみ込んで耐えていた。

 青いカーネーションたちも、何割かが吹き飛ばされてしまっている。


「はぁ……はぁ……や、やった……っ!」


 限界を迎えたフラートは、爪で編んだ大剣を解いた。

 分身たちを維持するだけの魔力も底をつき、もはや魔力はすっからかんだ。

 だけど、心はいつにもなく清々しい。


「あは……あはは、あははははははははははは!」


 笑いが止まらない。

 今までこんなにも苦戦したことはなかった。いつも少女だ小娘だと油断するバカな相手の寝首をかいてきたが、今回の敵は違った。

 知的で、冷静で、偉そうで、ちょっとだけ……本当にちょっとだけ、羨ましいと思った嫌いな女。

 そんな奴を殺して、勝利の美酒に酔いしれるこの瞬間が、たまらなく心地いい。

 ……結局はいつも通りか。強いヤツが生き残って、弱いヤツが死ぬ、ただそれだけ。それが、この世界のルールなんだよ。

 

「鷹嘴ぃ――!」


 悠真は巻き上がる粉塵の中に澪依奈の姿を探した。

 魔術を使った様子はなく、直前まで逃げるような素振りもなかった。

 それはすなわち、あの攻撃をまともに喰らったということにほかならない。

 ……鷹嘴が、死んだ……?


「あ……あぁっ、そんな……鷹嘴ッ!」


 目じりにうっすらとたまる涙を拭うこともせず、彼女の姿を懸命に探した。

 やがて徐々に煙がはれていく。

 その時、沙希があることに気づいて、悠真の袖を引いた。


「お、お兄ちゃん! あれ!」

「……え?」


 粉塵の中に人影が見えた。

 その人影は服についた砂埃を払い、頭の後ろで編み込まれた綺麗な髪を手櫛てぐしで整えている。

 凛としたその後ろ姿を、悠真は知っている。

 なんてことない日常を切り取ったかのように――。


 ――悠然と、鷹嘴澪依奈が立っていた。


「な、なんで⁉ どうやってあたしの攻撃を防いだの⁉」

「防いでなどいません。そもそも、あなたの攻撃は当たってすらいませんから」

「は、はぁ? そんなわけないでしょ――⁉」


 澪依奈の言葉に反論しようとしたフラートが、目の前の光景を見て愕然とした。

 砕けた床の近くには誰もいない。

 フラートの大剣は澪依奈が立っていた場所よりも、もっと手前に振り下ろされていた。

 フラートの攻撃は最初から当たっておらず、澪依奈は回避はおろか、その場から動いてすらいなかったのだ。


「たしかにお姉ちゃんを狙ったはず……なのにどうして……⁉」

「あなたが見ていたのは幻です。氷が生み出した――私の幻影」


 ――《幻氷ミラージュ》。 


 実際に見られる蜃気楼の一種をモチーフにした、澪依奈の魔術の一つ。

 氷の壁を砕いた際に、粉々に散った氷の欠片を用いて自分の虚像を生み出し、フラートの目を欺いたのだ。

 彼女の言っている意味がわからず、フラートは余計に混乱する。

 それでも、自分の攻撃が外れたことは事実として認めざるを得なかった。

 フラートは舌打ちをし、再度大剣を組み上げようとした。

 限界なんて知ったことかと、魔力をふり絞ろうとしたところで、ようやくある異変に気が付いた。

 ……また足が凍ってる⁉


「――いつの間に⁉」

「さぁ、いつでしょう。見えているものだけに気を配っていてはいけませんよ」


 澪依奈は思わせぶりなことを言っているが、本当はフラートが大剣を振り下ろした直後……大剣がフラートの視界を遮った際に、地面を這うように魔術を飛ばしておいたのだ。

 得意げに微笑む澪依奈に、フラートの苛立ちが募る。

 どうにかして逃げ出そうと足に力を込めるが、氷はビクともしない。爪で砕こうにも、魔力を消耗しすぎたせいで切れ味が落ちていて、ガリガリと氷を削ることしかできなかった。


「このっ……なんでっ、割れ、ない、のっ!」


 フラートは、一心不乱に氷を削り続けた。

 しかし、体力を消耗するばかりでまるで歯が立たない。


「足元ばかり見ていては危ないですよ。もっと周囲を警戒しないと」

「うるさ…………え?」


 いつの間にか鳥肌が立っている。

 少し遅れて、首筋を寒気が撫でた。

 ……寒いっ。この空間の気温が下がってる? しかも冷やされた空気がなぜか上に登って……まさか⁉

 フラートが頭上を見上げると、そこには、魔力の収束した蒼白の天球が浮いていた。

 天球の中では寒気が蓄えられている。

 雪解けを待つ春さえも雪原の中に閉じ込めてしまいそうな……まさに冬の権化だ。

 あのエネルギーを澪依奈の魔術で操作すれば、どれほどの代物が形成されるのだろうか。


「い、いつからあんな魔術を?」

「最初からですよ」


 澪依奈はさらっと、こともなげに言い放った。


「あなたが二階から飛び降りたあと、私はここへ降りる前に、あらかじめ上層階に魔術を待機状態でセットしておきました。周囲の空気中から水分を冷却し、気付かれないように少しずつ、少しずつ、この中で冬が育つように。この変な結界のおかげで魔力の気配が感知されにくいみたいなので、不意をつくのは容易でした」


 ――魔術師同士の勝負は、戦闘が始まる前からすでに始まっている。

 戦闘が始まった頃には決着が決まっている、ともよく言われる。

 沙希を助け、フラートと対面したあの瞬間から、澪依奈はこの筋書きを立てていた。

 否応なく魔術を撃ち合えば、どうしたって魔力は空気中に拡散する。

 その魔力をかき集める準備を、彼女は最初から整えておいたのだ。

 フラートも〈協会〉でこなしてきた仕事量でいえば、それなりに戦闘経験は積んでいるのだろう。

 だがそれは、彼女が一方的に敵を蹂躙するものがほとんどだった。

 魔術師らしく魔術の技を競い合う戦いを、彼女は経験してこなかったのだ。

 魔術師としての経験の差。

 それが、フラートと澪依奈の致命的な差だった。


 ――お前は魔術師には向いてねェよ。お前はお前らしくやりゃいい。


 いつだったか、クライスから指摘されたことをフラートは思い出していた。

 ……あれ以来、好き勝手やってきたはずだったのになぁ。

 小さな女の子だと思って油断した相手の首を切断したり。

 気に入らないヤツの指を切り落として、指図できないようにしてやったり。

 ……あー、そっか。今度はあたしの番ってだけのことか。

 どうやらおふざけが過ぎたらしい。


「――白き荒野の白騎士よ。果ての果ての刹那にて、忠誠の誇りを忘れし者よ――」


 澪依奈が右手を天井へとかざす。冬をたたえた天球が姿を変える。

 雪原に降り立った一人の騎士が氷の剣を手に取って、冷たく重い切っ先をフラートへ向ける。

 全長五メートルの氷の大剣は、フラートの四重爪カルテットに対抗するかのように白いオーラを身にまとった。

 絶氷の魔術師が少女を見る。少女は静かに笑うばかりだ。

 まるで、運命を受け入れたかのように。

 だから彼女は冷徹に、静かに右手を振り下ろす。


「――終末にこそ天を仰げ。拭えぬ涙が凍らぬように……《絶氷の落涙アブソリュート・ラルム》」


 吹雪のような轟音が鳴り、巨大な白騎士の氷の大剣が、フラートに狙いを定め振り下ろされた。

 フラートの体力はすでに限界だった。魔力も使い果たし、逃げる術もない。

 あぁ、これはもうどうしようもないな、とフラートは自分の敗北を悟って。

 落ちてくる氷の大剣を見つめながら、誰にも聞こえないように、小さくつぶやいた。


「ごめんね、クラっち」


 少女の流した温かい涙は、氷と共に砕けて散った。

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