第30話「それぞれの戦場へ」
「お兄ちゃん⁉」
「ユーマ⁉」
フィルフィーネと沙希がすぐにユーマの元へ駆け寄る。
悠真は失った酸素を取り戻すために、全身で呼吸を繰り返した。
「はぁ……はぁ……だ、だい、じょうぶ……。ちょっと、魔力を一気に使いすぎて、疲れただけだから……」
息を切らしながら、途切れ途切れで答える悠真。
フルマラソンを走り切ったときのような疲労と
その態度が、余計にフィルフィーネを怒らせた。
「だけじゃないでしょう! そんな顔を青白くして……待ってて、今魔力を分けてあげるから」
フィルフィーネが悠真の背中に両手を置くと、あたたかな光が悠真の体を包み込んでいった。悠真の内側に魔力が浸透していく。
「う、うわ……すげぇ、気持ちいぃ……」
悠真は驚きながら体を起こすと、手を握ったり開いたりした。
ヘトヘトだったのが嘘のように回復している。
軽快に肩をぐるぐると回す悠真を見て、フィルフィーネが忠告をする。
「いい? 私が回復してあげられるのは精々が三割程度よ。あまり無茶はしないでちょうだい」
「……わかった。ありがとう、フィーネ」
フィルフィーネはどういたしまして、と微笑んで頷いた。
「……友情ごっこは終わったか?」
クライスは近くのソファーベンチに腰掛けて、水鉄砲に魔術で生成した水を補充している。退屈そうに足を組み替えながらあくびまでして、悠真たちの様子を見守っていたようだ。
「それで? 結界に干渉してなんかわかったのか、ボウズ」
「あぁ。おかげさまでな」
悠真は、沙希の肩を借りながら立ち上がると、
「――一階の中央広場。そこがこの結界の中心。そこにあるんだろ、この結界を維持してる何かが」
「……へェ。よくあのざまで情報を抜き取れたもんだ。お前、頭ぶっ飛んでるだろ」
クライスはけらけらと笑いながら、悠真のおかしさを言及する。
「魔力は人並み、魔術師としてのセンスも感じられない。特別おかしい力を持ってるようにも見えない。なのに術式の扱いだけはピカイチときてやがる。不思議だよなあ……。少し興味が湧いて来た」
クライスの冷たい視線に、悠真はぞくりとした。
……こいつ、なんでこんなに落ち着いてるんだ。
悠真に結界の情報を抜かれたというのに、慌てる素振り一つ見せず、むしろこの状況を楽しんでいるようにも見える。
沙希を狙うだけにしては大掛かりすぎる仕掛けも、大掛かりな割には詰めが甘い。統率の取れていない魔術師たちの動きもそうだ。わざわざフィルフィーネと正面から戦闘を始める必要もなかっただろう。
クライスも悠真が結界に干渉するのを黙って見過ごしていたことといい、腑に落ちない点が多すぎる。
……やっていることがめちゃくちゃだ。大事なところで大雑把というか、行き当たりばったりというか……。
慢心か、それとも全て織り込み済みなのか。
悠真の疑念が強まる一方で、フィルフィーネがため息をついて、一歩前へと躍り出る。
「もういいわ。あんたを倒して、この結界も壊す。それで全部終わりる話だわ」
「いいねェ、そうこなくちゃなァ! ただ聖女を連れて帰るだけなんて退屈すぎるからよォ。もっともっと、感動的で悲劇的な舞台を一緒に作り上げようぜ……『送り人』さんよぉッ!」
クライスは右手に持った水鉄砲をフィルフィーネへと向ける。同時に、左手は頭上へと向けられ、吹き荒れる暴風が、今か今かと解放の時を待っている。
自分がやるべきことを伝えねばと、悠真が口を開こうした――その時。
「――行って、ユーマ!」
悠真よりも先に、フィルフィーネが大声でそう言った。
「あいつの相手は私がするから、あなたは結界の方をお願い」
フィルフィーネと目が合った。
時間にしておよそ一秒。それだけで、彼らの意思疎通は完了した。
「……わかった。無茶するなよ!」
「あなたがそれを言う? まったく……ほら、早く行って!」
「――行くぞ、沙希!」
「うんっ! フィーちゃん、絶対勝ってね! 信じてるからね!」
悠真は沙希の手を取り、一心不乱に走り出した。
このまま沙希をこの場に残してはいけない。沙希を守りながらでは、フィルフィーネが思う存分に戦えないから。
結界の中心地である中央広場へは、クライスが立っている横を通り抜ける必要がある。傍から見れば無謀な突撃。けれど悠真は、フィルフィーネの言葉を信頼して、足を前へと進め続けた。
もちろん、クライスが黙って通すわけがない。
水鉄砲の照準を悠真へと向け直す。
「仲間を信頼しての勇気ある行動。うーん、実に感動的なシーンだ。嫌いじゃないぜェ? でもそれだけじゃあつまんねェから、俺がもっとおもしろくしてやるよ!」
「あんたは黙ってなさい、この劇作家気取りが!」
突撃するフィルフィーネに、クライスは視線だけ飛ばして睨みつける。
「その威勢がいつまで続くか見物だなァ! ――《
フィルフィーネの周囲に、突如として凄まじい風圧がのしかかる。
数百キロ相当の風圧により、フィルフィーネの体が地面に沈む。
突進の勢いはそがれ、次に送り出す足がひどく重たい。
「ぐうっ……はぁあああッ!」
けれどフィルフィーネはそこからさらに一歩踏み込んで、即座に槍を繰り出した。
槍が悠真の背後から伸びてくる。
魔力によって長さを変化させた槍は、クライスの喉笛を掻き切ろうと、重くのしかかる大気の壁を貫いた。
「あらよっと」
クライスは体を捻って
動けるようになったフィルフィーネは、一息の間にクライスの懐へ飛び込んだ。
至近距離から繰り出される槍と蹴りのラッシュ。ヴォイドの巨体すら吹き飛ばしたパワーと、目で追うことすら難しい槍
「痛ってぇなァ……! まともに受けてたら俺の体がぶっ壊れちまうじゃねェか」
ガードの上からでもダメージは必至。
フィルフィーネは、とにかくクライスの行動を抑制しようと連撃で畳みかける。
フィルフィーネの打撃の衝撃を吸収するように後方へ大きく跳びながらも、水鉄砲による牽制を繰り返すクライス。それを軽々と躱しながらカウンターを繰り出す相手に、クライスはヒット&アウェイを繰り返す。
撃っては逃げ、攻撃をいなしてはまた撃って……。
そうこうしている間に、悠真たちは戦場を中央突破していった。
フィルフィーネは悠真たちが行ったことを確認してから、改めてクライスに問い掛けた。
「クライス、あなた結局何がしたいのよ。聖女の確保が仕事だとか言っておきながら、こうしてあっさりサキを見逃して……」
「だから、さっきから何度も言ってるだろ」
クライスは呆れた顔で言う。
「俺は、ツマンネー仕事はしたくねェんだよ。聖女を連れて帰る前にお前を殺して、あのボウズも黙らせて、それから聖女様をお迎えする。自分に関わった人間が全員死んだことを理解したとき、あの聖女はきっといい顔で泣いてくれるだろうよ。だからその顔をおがむために、こうして脚本を書いて舞台を整えたんだ」
「……クズ野郎ね」
フィルフィーネには、クライスの言ってることまったく理解できなかった。
もはや聖女の命をただのモノとしてしか認識していない思考回路。他人の人生を酒の肴程度にしか考えていない価値観。理解できないどころの話ではない。生理的な嫌悪感を覚えるほど、クライスの言動には絶句させられた。
「そりゃあ俺は狂ってるからな。じゃなきゃあの世界じゃ生きていけない。お前だってそうだったんだろ、『送り人』。だってお前は、〈協会〉で育てられたバケモンだもんなぁ?」
「――――――――」
それは、ただの事実だった。
フィルフィーネがどれだけ否定したくても否定できない、逃れようのない過去。
生きる術を教えてもらったという恩はたしかにあった。
だが同時に、彼女がここに立っている原因も、そこにあって。
「――っつーか、お前もしかしてあいつらに説明してねェのか? お前が『送り人』って呼ばれてる理由が聖女を――」
――バガァアアアアアアアンッ!!
クライスが何かを言い終えるよりも早く、フィルフィーネが足を振り下ろして床を叩き割った。
粉々に砕けた床のタイルが散らばる。
「……黙りなさい」
怒りを湛えた瞳が揺れる。
聴いただけですくんでしまいそうになる声色には、ありったけの殺気がこもっていた。
「そうだ……その顔だよ『送り人』! オレは、そのお前が見たかったんだ」
フィルフィーネの瞳がクライスを映す。
彼女の瞳の奥底には、クライスがまだ知らない何かがいる。
蛇に睨まれた蛙の気持ちを、クライスは今日、初めて理解し――興奮した。
本能が逃げろと騒ぎ立て、全身に鳥肌が立つ。
無意識に後ずさってしまう。
けれどこの男は、そんな本能さえも飲み下し、口角を吊りあげてにやりと笑ってみせた。
……いい。いいぜェ。たまらねェ。もっとだ、もっともっとオレを楽しませてくれッ!
舌なめずりをするクライスを見て、フィルフィーネが
「それ以上口を開けないよう、喉を潰してあげる。誰にも助けを請えないよう、手足を切り落としてあげる。
フィルフィーネの宣告に、クライスは臓腑が収縮するのをはっきりと感じた。
生物としての本能が、目の前の存在に
戦っても勝てるかどうかわからない。だが逃げられる気もしない。
まさしく絶体絶命と言える状況に、クライスはただ――
「ギャハハッ。オレ好みの御託だ。盛り上げてくれるじゃねェか……!」
――心の底から、胸を躍らせていた。
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