第29話「お兄ちゃんなら、きっと大丈夫」
フィルフィーネが
その穂先がクライスに届くよりも前に、クライスが左手を振ると、フィルフィーネの体を強烈な風が横から殴り付けた。
クライスの腕の文字がうっすらと光り輝くのを、悠真はその目で確かに見た。
今のは刻印魔術によるものだ。
まるでハンマーで殴り飛ばされたかのような衝撃に、フィルフィーネの体が宙を舞う。
「ぐっ……このぐらいなんてことないわ!」
「威勢がいいのはキライじゃねーが、魔術師の戦いはもっとスマートにやるもんだぜ?」
吹き飛ばされたフィルフィーネは地面に体を打ち付けられながらも、すぐに体勢を起こして再び疾走する。今度は直線的にではなく、壁を走って高度を稼いでいる。
さらに壁を蹴り、エスカレーターを経由して大きく飛び上がり、上空からクライス目掛けて槍を
「『送り人』であるお前がオレたちを否定すんのは、ただの同族嫌悪じゃねーのか、なァ?」
「私は……もうっ、あんな風に、誰かを泣かせたりしないって誓ったのよッ!」
フィルフィーネの槍が放たれる。
込められた魔力が爆ぜ、槍は大気を突き破り一筋の流星のように閃いた。
小隕石のような質量が、超高速で飛来する。
尋常ではない運動エネルギーが凝縮されたそれに、クライスは悠然と水鉄砲を向けて、心底どうでもよさそうに、
「知らねェよ」
と吐いて捨て、トリガーを引いた。
どこにそれだけの水があったのかと聞きたくなるほどの膨大な水が、槍を迎え撃つように一直線に放出され、青い水柱となった。
レーザービームのように撃ち出された水と、真紅に染まった槍とが衝突する。互いの力は拮抗し、槍は震え、水は熱によって蒸発していく。
衝突したエネルギーが臨界に達し爆散した。衝撃で周囲の観葉植物や店並みが、一様に吹き飛ばされていく。
悠真たちは地面に伏せたまま、ただじっと耐えることしかできない。
衝撃が収まってから、悠真はおそるおそる目を開いた。
「フィ、フィーネ……?」
喉の奥から声を絞り出す。
すでに何度か見たフィルフィーネが戦う姿を思い返す。苛烈で、優美で、鮮烈だったその姿を。
けれど、先ほどの彼女は今までと少し違った。怒っているワケじゃない。余裕がない……というより、何かに追い立てられているように見えた。
それでも、フィルフィーネならきっとまた勝ってくれる。
何の根拠もないのに、なぜかそう思っていた。
「はぁ……はぁ……っ!」
「――――クヒヒッ」
視界に映ったのは、肩で息をしているフィルフィーネと、口笛を吹きながら平然と水鉄砲をくるくると回しているクライスの、対照的な両者の姿だった。
……あのフィーネが、押されてる?
彼女が負ける姿など想像もつかない。
背中に嫌な汗がじんわりとにじむ。
すると、沙希が悠真の服の袖を引っ張った。
「お兄ちゃんお兄ちゃんっ、今のうちに――!」
「沙希? どうし…………え?」
沙希はクライスに気づかれないように、悠真に耳打ちをする。
フィルフィーネとクライスの戦いをただ傍観しているわけにはいかないと、沙希はずっと考えていたのだ。現状を打破するための一手が、どこかにないかと。
それは沙希の中に蓄積された、数多の異世界ファンタジー作品たちによって培われてきた、沙希ならではの発想だった。
悠真は沙希の言葉を聞いて、耳を疑った。
なによりも、妹の兄に対する過信を否定した。
「む、無茶言うなよ! そんなのやったことないし、そもそもできるワケないだろ……!」
「お兄ちゃん、しーっ! 気づかれたらどうするの!」
沙希が口元に人差し指を立てる。
気づかれてないかと、ふたりはゆっくりとクライスたちへと視線を向ける。
「ヒューっ。すげー魔力。溜めてた水全部打ち切ってギリだぜ? バケモンかよ。……あぁ、バケモンだったな。ギャハハハハハッ!」
クライスが大声で笑う。天井に昇った声が、建物全体にこだましているようだ。
「……いちいち癇に障るヤツ」
フィルフィーネは槍を回収すると、ひとつ深呼吸をした。頭に血が上っていたのをリセットし、改めて仕切り直そうとしているようだ。
「……大丈夫っぽいね。お兄ちゃん、これが上手く行けば、きっとフィーちゃんの助けになれるよ」
「……そりゃあそうだけど……」
沙希の言葉は、悠真の心を強く揺さぶった。
すでに何度もフィルフィーネには助けられている。
自分が守ると誓った沙希のことも、フィルフィーネに背負わせてしまっている。
このまま何もしないままでいることは、沙希の兄として自分を許せない。
悠真は、覚悟を決めた。
「……わかった。やってみる」
「うん。お兄ちゃんなら、きっとできるよ」
沙希は信じている。自分の兄ならば必ずできると、なんの疑いもなく信じている。
この想いに応えられないようでは、兄とは名乗れない。
悠真は力強く首肯すると、出口へ向かって一目散に走り出した。
「――ユーマ?」
驚くフィルフィーネの声を置き去りにし、悠真はひとり出口の自動扉へと近づいて。
建物と結界の境界に手を伸ばす。樹海のような木のツルに触れ、大きく息を吸い込んでから、右手に魔力を集中させる。
――あの結界、お兄ちゃんの魔術で書き換えられないかな。
沙希の提案に、悠真も最初は口を開けて目を丸くした。
結界も魔術の一つであるならば《
確証はない。
自信もない。
でも、不思議とできる気がしていた。
沙希が信じてくれたから。
「あぁん? あいつ、何をしてやがる」
悠真のことを脅威として捉えていないクライスは、特に焦った様子もなく、成り行きを見守っていた。
「――《解析》!」
悠真の魔術によって、結界の術式が弾けた。
決壊したダムのごとく、膨大な術式が次々にあふれ出し、一斉に悠真の脳内を侵食した。
「……ぐぅうううう! あああああああああああああああッ!」
熟練の魔導師が用意した特異な結界。その情報量は計り知れない。
古いパソコンに無理やり複雑なデータを読み取らせて計算させているようなものだ。
あまりの情報量に、脳の要領が耐えられない。
悠真は考えられる障害をいくつも想定し、覚悟して《解析》を試みたつもりだった。
だが――。
……違うっ。これは、そういう問題じゃない!
流れてくる膨大な情報の大半は、魔術によるものではなく、明らかに生物としての個体情報だ。本来は文字に起こせないであろう生物を構成する物質情報が、《解析》によってコード化されてしまっている。
さながら、文字化けしてしまった文章を更にシャッフルしたかのような、意味があるようでない文字と記号と数字の羅列。
……なんでだ⁉ 俺はちゃんとこの結界に干渉しようとしたはずなのに……!
もはや術式とは呼べない何か……無機質な情報の塊が、悠真の脳内を圧迫し続けていた。
悠真の右手の血管がはち切れ、手のひらが焼け焦げていく。
「ギャハハハハ! バカか、アイツ! 自分の魔術で自滅してやがる。どんだけ頭が回ろうが、容器からあふれてりゃ意味がねェ。一生脳みそに情報をぶち込まれ続けてりゃ、しまいにゃ溺れて廃人になっちまうぞ!」
苦悶する悠真を見て腹を抱えて笑うクライス。
普通の魔術師から見れば、悠真がやっていることは自殺行為に等しい。
このまま《解析》を続ければ、悠真の神経が焼き切れるか、脳の一部を損傷するか、あるいはそのどちらもか――。
「ユーマ、もうやめて! それ以上は――」
「――大丈夫!」
「……サキ?」
血相を変えるフィルフィーネに対し、沙希が力強く断言した。
自分の爪が手のひらに食い込んでしまうほど、強く、強く拳を握って。
「お兄ちゃんなら、きっと大丈夫。だってお兄ちゃんは……おじいちゃんが認めた、すっごい魔術師なんだから!」
沙希の信頼に応えるためか。それとも、兄としての意地か。
悠真はいつの間にか流していた鼻血を拭おうともせず、歯を食いしばった。
失敗だったのは、《解析》の範囲を限定していなかったために許容量を超えてしまったこと。
誤算だったのは、この植物が魔術によるものではなく本物の植物だったということ。
つまり、自分の未熟さが招いた自業自得。
……だったら、今ッ、修正すればいいだけだろッ!
「大人しく全部、
結界の術式が色を変えた。濁流のように押し寄せる情報の塊が、少しずつ形を変え、泡のように弾けて消えていく。
……邪魔な情報は切り捨てろ。必要なのは結界を構成する要素と、接続された魔力が流れている道の把握だ。それ以外はただのノイズとして処理、パターン化して分別、再配列するんだ。――迷うな。魔術は人の手で作り上げられた人工的な奇跡の再現だ。見極めるんだ……この結界の本質を!
この結界を構成するのに必要な部分だけを読み取り、自身の許容量がパンクしてしまう前に廃棄し、また新たな情報を取り込んでいく。
悠真は《解析》を行っている間、ガンガンと内側から脳を直接殴られているような痛みに襲われ続けていた。
今にも気絶してしまいそうな状態で、それでも彼が《解析》を中断することはなかった。
「うぉおおおおおおおああああああッ!」
「がんばれ、お兄ちゃんっ……!」
悠真の咆哮と、沙希の応援。
二人の声が重なり合った時、宙に舞っていたコード化された術式たちが消えて。
無謀な見習い魔術師は、その場に両膝をついて倒れた。
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