第28話「クライスという男」

 男は長髪を綺麗な三つ編みでまとめており、髪には複数のピンが差してある。一瞬女性かと見間違えてしまいそうなほどよく手入れされている。

長い前髪の間からは、狐のように鋭い目がこちらを見据えている。一見華奢な身体のようで、よくよく見るととても引き締まった身体をしていることが見て取れる。

両腕にジャラジャラと複数の腕輪をはめており、手を打ち鳴らすたびにそれらが擦れあって金属音を出していたようだ。白い手袋をはめ白衣を纏っている姿は、まるで研究者のような出て立ちだが、体のあちこちに掘られた刺青のようなもののおかげで、マッドサイエンティスト感が際立っている。

 整っているようで奇抜。理知的なようで獰猛。

 一見してわかりにくい、冷徹で狡猾なタイプの優男。

 見れば見るほど悪いイメージしか湧いてこない。

 ……とてもじゃないが、仲良くはなれないタイプだ。


「――窮地きゅうちにこそ光る名推理。逆境の中でこそ生まれる革新の力。マイナスをプラスに転じる要素こそが、上質な物語を演出するのには必要不可欠!」


 男は両腕を広げながら、聖書を諳んじるかのようにご高説を垂れている。

 言葉の意味がさっぱり分からず、悠真も沙希も真顔で首を傾げている。

 彼らを代表して、フィルフィーネが不審者に尋ねる。


「何が言いたいのかさっぱりわからないけど、一つ聞いてもいいかしら、クライス」

「昔のよしみだ。オレに答えられるものなら答えてやろうじゃねえか」


 鼻につくクライスの演技。

 どうやら彼女はこの男と知り合いのようだ。

 フィルフィーネは毅然とした態度で尋ねた。


「この結界は、あなたの仕業?」


 ――直球ど真ん中。

 フィルフィーネは、なんの捻りもなくストレートに問いかけた。

 クライスが〈協会〉の関係者ならば、まさか正直に答えるわけがないだろう。

 ……適当に誤魔化されるに決まってる。

 と、思っていたのだが。


「おうよ。この結界は、オレが手ずから用意した特製のスペシャル舞台だ。お気に召していただけたかな、『送り人』さん?」


 紳士的な礼をしながら、男は不敵な笑みを浮かべた。


「そのふざけた演技やめてくれる? まさかあんたがここまでやって来るとは、正直驚きだわ」

「そんな驚くようなことでもないだろ。お前みたいな規格外な存在を、その辺の下っ端連中に任せてはいられないっつー至極当前の話だ。かーっ、こういう時だけ頼りにされるからあんまり出世したくねェんだよなー。ま、カワイイ部下の代わりに俺が体張ってやらねェと」


 そんなこと微塵も思っていないであろうことは、誰の目にも明らかだった。

 クライスは仕事だから来ただけであって、そこに深い意味などありはしない。やれと言われたらやる。ただし、やり方は好きにするのがこの男のスタイルだ。


「……それじゃあ、昨日の一件も今日のための布石だったってことかしら」


 フィルフィーネの言葉に、クライスは首を傾げた。


「昨日? 一体何の話だ。オレァただオレの仕事のために動いてるだけだぜ。他の魔術師の行動なんていちいち把握してられっかよ、めんどくせぇ」

「ウソね」

「あぁ、ウソだが?」


 フィルフィーネは舌打ちをした。 

 クライスの言葉はウソまみれだ。

 クライスとアミスたちとでは〈協会〉内での命令系統が違う。

 〈協会〉には『六界』と呼ばれる各元素を極めたとされる六人の魔術師たちが存在する。今の〈協会〉は、この『六界』が中心となって運営されており、実質的には二つの派閥に分かれている。

 クライスとアミスたちとではこの派閥が異なるため、互いの情報は必要最低限しかやりとりされていない……が、聖女が関わると話は変わってくる。

 どちらの派閥にとっても聖女は重要な存在だ。こちらの世界にまでやってきての作戦行動ともなれば、事前にやり取りがあって当然。

 なので、クライスが彼女たちのことを知らないはずはなく、けれどめんどくさいというのも本音かもしれず、フィルフィーネは心底やりにくいと感じていた。


「ソフィアの《未来視スティール・アイ》まで使って――そうまでして聖女が必要?」

「当たり前だろ。使えるもんは何でも使う。たとえそれが、寿命を縮めちまうようなモノでもな。どんな手を使ってでも、確実に聖女を連れて帰る。それがオレの仕事だ」


 堂々と答えるクライスは、握った拳で胸を数度叩いた。

 悠真は知らない名前が次から次へと出てくるので、情報過多気味で頭の中の整理が追いつかない。

 いちいちフィルフィーネに尋ねるわけにもいかないので、一番気になる人物についてのみ聞くことにした。


「誰なんだ、そのソフィアって」

「……ソフィアは《未来視》っていう特別な魔術が使える女の子よ。ソフィアの《未来視》は、自分の寿命と引き換えに、他人の未来を盗み見ることができる魔術。こいつらがこれだけ準備万端で私たちを罠にはめられたは、ソフィアの魔術で沙希の未来を盗み見てたからよ」

「じゅ、寿命と引き換え……⁉」


 悠真は素っ頓狂な声を上げて驚いた。

 魔術の使用は、魔力の消費により肉体と精神、そのどちらをも疲弊させる。簡易な魔術でも連発すれば息切れを起こすし、大規模な魔術ともなれば、気を失ってしまうこともある。

 これらはある種のリミッターと言えるもので、魔術の使用に対し肉体が命を守ろうと、意識を強制的にシャットダウンさせるのだ。

 だが、一部の魔術にはこのリミッターが機能しないことがある。

 肉体の一部機能を欠損してしまったり、脳への障害――記憶の喪失や自我の変質――を引き起こしてしまうケースも、過去に報告されている。

 ソフィアの《未来視》が寿命を縮めてしまうのは、同様の理由で肉体が魔術の負荷に耐えられないまま行使されてしまっているからだ。

 しかし代償が大きいとはいえ、彼女の魔術から得られる情報には莫大な利益が見込める。

 だからこそ、〈協会〉内ではソフィアの寿命は、《未来視》を使う燃料としてしか認識されていない。


「あの女の寿命がどれだけ縮もうが関係ねェ。死ぬ寸前まで〈協会〉のために役に立ってもらうだけだ。お前だって、それに助けられたことがあるんだろ?」

「――っ」


 痛いところをつかれたのか、フィルフィーネの表情が歪んだ。

 沙希が心配そうに見つめている。


「さぁ、ここからがこの舞台の山場だ。聖女様を守る孤高の騎士と、聖女様を奪いに来た愚者による、世界の命運を掛けた戦いだ」


 クライスは懐から一丁の拳銃――ではなく、水鉄砲を取り出した。

 プラスチックで形作られたおもちゃの銃の中には、たっぷりと水が入っている。

 初見のフィルフィーネには、それが一体なんなのかがわからない。

 ……なんで水鉄砲なんか……。

 悠真はクライスの取り出した水鉄砲を見て、思わず緊張の糸が緩んでしまった。

 ――その所為せいで、反応が遅れた。


「あんま簡単に死ぬんじゃねェぞ『送り人』!」

「――っ! 伏せて!」


 フィルフィーネの声とほぼ同時に、男の構えた水鉄砲から水の弾丸が射出された。

 バシュンッ、とおよそ水鉄砲では聞いた事のない発砲音が鳴った。


「……っ⁉ 沙希!」

「え、きゃあああ――!」


 フィルフィーネの声に反射的に体が動いた。

 悠真が沙希に覆い被さるようにして床に伏せる。


「ぐッ……!」


 飛来した水の弾丸に、悠真は肩口を切り裂かれてしまう。

 バキャッ、という異音に悠真が顔を上げると、背後に立っていたアパレルショップのマネキンが、ガラスケースごと粉々に砕け散っていた。

 ……水鉄砲が出していい威力じゃないだろ⁉

 まるでウォーターカッターのような速さと威力。

 悠真は無惨な姿になったマネキンを見て、あとコンマ数秒動き出しが遅れていたら、自分があーなっていたかもしれない、と恐怖に顔を強張らせた。


「……っ沙希、大丈夫か」

「う、うん……い、今のも魔術なの……?」

「みたいだな。あんなのありかよ……!」


 今までに見た魔術の比ではない圧倒的な破壊力だ。

 ヴォイドの振るった斧も強力だったが、これはまた一味違う恐ろしさがあった。

 気楽に撃ち出されたそれは、本当に遊びの延長線のようで……。

 クライスが構える水鉄砲の引き金は、あまりにも軽すぎた。

 フィルフィーネは悠真たちを一瞥し、無事なことを確認して安堵すると、クライスに向き直って声を張り上げた。


「あなたの大事な聖女様に当たったらどうするつもりなのよ!」

「当てようとはしてないさ。そいつが勝手に大袈裟に転んだだけだろ」


 事実、射線は悠真と沙希の間を縫っていくものだったので、悠真が過剰に反応したというのも間違いではない。

 しかし、そういう問題ではない。

 ……嫌味ったらしいやつ。敵味方抜きにしても嫌いなタイプだな。


「それにしても、この世界にはホントに面白れぇモンがいっぱいある。こんなよくできたおもちゃ、あっちじゃなかなか無いぜ」


 クライスは手に持った水鉄砲を弄びながら語る。

 機能としてはシンプルなものだが、クライスにとってはそれが良かった。


「水を打ち出すためだけの単純な機構。こんなにわかりやすくて簡単で実用的な武器、他にねーだろ」


 ……いや、ただのおもちゃのはずなんだよ。お前みたいなのが使わなければな。

 悠真は内心ツッコミをいれるが、クライスの言いたいことは理解していた。

 水の弾丸を打ち出す魔術。原理はわからないが、恐らくはそれがクライスの魔術だと悠真は推察した。

 水を溜め込み発射するだけの水鉄砲は、クライスの魔術にマッチしている。狙いもつけやすく、予め水を用意しておけば即応性も上がる。

 フィルフィーネは一度見ただけで水鉄砲の仕組みを理解した。

 その銃口がどこへ向けられるかを気にしながら、半身で槍を構える。


「どんな道具でも使い方次第でしょ。それを他人に向けない限り、武器になんてならないわ」

「そりゃそうさ。武器を武器たらしめるのはいつだって人間だ。使い道が無いような人間でも、使い方次第じゃ世界を救うことすらできちまう。かつての聖女みたいにな」

「――――ッ!」


 このクライスの発言に、フィルフィーネの我慢が限界に達した。

 ――もはや対話は不要だ。

 これ以上余計なことを喋る前に、あの口を黙らせなければ。

 ただ目の前に在る憎悪の対象へ、フィルフィーネは地を蹴って飛び出した。


「――あの子のことを、道具みたいに言うなッ!」

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