第27話「隔絶結界」

 《隔絶結界かくぜつけっかい》の特徴は、大きく分けて二つある。


 一つ目は、術者本人の認識領域を広げることで空間を切り取るというもの。

 これは、結界内であればどこにいても、結界を張った術者本人には居場所が筒抜けだということだ。ただ居場所がわかるだけで、実際にその場で何が起きているのかまではわからない。

 二つ目は、結界内での時間の進む速さがブレるというもの。

 《隔絶結界》は時間と空間を切り取り、術者本人の認識領域に合わせて固定化されているため、結界内での時間経過も術者の体感時間に左右されてしまう。だから結界を解除、もしくは結界から離脱した瞬間、どの程度時間が経過しているのかは、やってみなければわからないのだ。


 ――空間の隔たりと、時間の隔たり。

 この二つの性質があるため、《隔絶結界》は外からは容易に干渉できない。

 だが逆に、内から外へ出ることに制限をかけられないという性質もあるため、結界としての利用価値はかなり限定的だ。 

 結果、《隔絶結界》は理論としては確立されたものの、非常に使い勝手が悪い引きこもり用魔術として扱われるようになり、ほとんどの魔術師が見向きもしないものとなった。


 このような事情があるため、フィルフィーネはあの時、即座に脱出の選択を取ることができたのだ。

 ――とはいえ、フィルフィーネも知識として知っているだけだ。

 本当に脱出できるのかどうかは、やってみなければわからない。


  †


 一階へ降りた悠真たちは、一番東側の出口を目指していた。

 道中、他の魔術師に遭遇するも、フィルフィーネがあっという間に撃退してしまうため、拍子抜けするほど順調だった。

 あと少しで出口というところで、フィルフィーネが待ったをかけた。

 物陰からこっそりと出口付近を確認してみると、三人の魔術師が扉を守るように立っている。

 ……要所のはずなのに、守りが薄くないか? 


「もしかしたら、何か罠が張られているのかもしれない。ここは慎重に……って、あれ? フィーネは?」

「フィーちゃんならもう行っちゃったよ。ほら、あそこ」


 沙希が指差す先には、身を低くして魔術師たちへと突撃するフィルフィーネの姿があった。


「あいつ……!」

「――先手必勝! さっさと終わらせてもらうわ」


 罠だろうとなんだろうと、魔術師たちに気付かれるよりも前に、制圧してしまえば問題はない。

 悠真の心配をよそに、フィルフィーネは詠唱を開始する。


「金色の翼ひるがえし、我らに仇なす敵を討て、春陽の狩人! 《猛然たる鷲グランディオーソ・アードラ》!」


 金色の鷲が魔力によって三羽形成される。

 鷲たちは一人一羽ずつ魔術師を狙って飛翔すると、その鋭い爪で魔術師たちを切り裂いた。


「ぐあっ……! な、なんだこいつら⁉」

「……ま、待てっ! あれを見ろ! 『送り人』だ!」

「遅い遅い。あなたたちもう一度パスカルに鍛えなおしてもらいなさい」


 魔術の行使に気付かないほど注意力散漫な状態では、フィルフィーネの相手にもならない。

 ひとり、またひとりと魔術師たちは順番に昏倒させられ――。


「がっ……あ――」

「はい、お疲れさま」


 フィルフィーネはあっという間に三人の魔術師を気絶させた。槍を振るうまでもない。

 魔術による牽制、距離を一瞬にして詰める瞬発力、そして、目にもとまらぬ早さで的確に急所を狙って繰り出される体術。

 ……ヤバい。正直、めちゃくちゃカッコいい……。

 改めて冷静にフィルフィーネの戦闘を見た悠真が抱いた感情は、強い憧れだった。

 求める強さを体現する存在が目の前にいる。

 その事実に震え、ますますフィルフィーネから目が離せなくなっていた。


「フィーちゃんすっごーい! なに、今の魔術!」

「私のお気に入りの光魔術。すっごくいい子たちよ」

「ピュイィー!」


 フィルフィーネが指を振ると、沙希の元へと光の鷲たちが集まってくる。

 鷲たちは沙希の周りをくるくると踊るように飛び回り、沙希は一緒に地面を飛び跳ねている。

 魔術で生み出した生き物が、まるで自我を持っているかのように自由に飛び回っている。

 なんて複雑に編まれた術式なのだろうか……などと、のんきに考察している場合ではない。


「……楽しそうなところ悪いが、さっさとここから出ようぜ」

「あ、そうだった。早く逃げなきゃなんだった」


 あははー、と沙希が苦笑する。

 フィルフィーネがパチンと指を鳴らすと、光の鷲たちがパッと光って消えた。

 沙希は名残惜しそうに、光の羽を手の平で受け止めた。


  †


「ぐうぅぉおお……!」


 悠真が反応しない自動ドアを力づくでこじ開ける。

 どうやら結界の影響で電気が止まっているらしい。

 だというのに、『オール・モール』の中は照明がついたままだ。空間を切り取った影響か、明るく照らされている状態がそのままになっているようだ。

 逆に言えば、それ以外の光源はない。

 出入口付近はやや暗く、高い天井から光が微かに降り注ぐ。

 周囲のガラスも不自然にくもっていて、外の様子は中からだとうかがい知れない。


「――ふんっ! よし、これでようやく出られ………………は?」


 自動扉を開き、ついに外へ出られるのだと舞い上がっていた悠真の目に映ったのは、つたが絡み合ってできた天然のシャッターだった。

 うっそうと伸びる蔦は、出入口を完全に飲み込んで封鎖してしまっている。

 悠真はたまらず、感情に任せて声を張り上げた。


「なんだよこれ⁉ なんでこんなところに……木? いや、蔦か? くそっ、かってぇ!」


 実際に手で触れてみても、感触は完全に植物のそれだ。やや硬い外皮を指先で強く押すと、少しだけ弾力がある。引きちぎろうにもぐるぐると互いに絡まっていて、悠真の腕力では歯が立たなかった。


「おいフィーネ、どうなってるんだよ! 簡単に出られるんじゃなかったのか⁉」

「――こんなはずは……ユーマ、ちょっとさがってて!」


 彼女の知る《隔絶結界》にこんな性質はない。

 フィルフィーネは悠真を押し退けて、槍を握る手に力を込める。

 魔力を込めた槍の穂先が赤く煌めくと、


「はあ――……セイッ!」


 凄まじい膂力りょりょくによって槍が閃いた。


 ――ザシュィイイン……! 


 フィルフィーネの槍は、蔦を数センチほど切り裂いた。

 だが、それだけだ。貫通するには至らず、槍はそれ以上奥には進まなかった。

 フィルフィーネが息を吐いて理解する。

 これはただの植物ではない、と。


「……やられた。二重結界だわ、これ」

「二重結界?」

「《隔絶結界》の内側に、もう一つ別の結界が張られてるってこと」

「そ、そんなことできるのかよ……⁉」

「可能よ。あくまで理論上はね。まさか実際に運用できるだなんて、思ってもみなかった」


 動揺する悠真に対し、沙希は不思議と落ち着いていた。


「もう一つの結界って、もしかして中から外へは絶対に出られない~、みたいなやつだったりするのかな?」

「さぁ……性質まではっきりとはわからないけれど、多分そんな感じだと思うわ。出られないというより、出さない結界なのかもしれない。どちらにせよ、この植物が結界と何かしら関係しているのは間違いないでしょうね。私のさっきの一撃、槍が触れた瞬間に魔力を吸い取られる感覚があったわ……正直、力技で破壊するのは厳しいでしょうね」


 魔力を吸収し、自身の強度を増す謎の植物。

 フィルフィーネの力をもってしても、これを全て除去するのは骨が折れた。不可能ではないかもしれないが、どれだけ時間が掛かるか分かったものではない。

 悠真たちは出口を目の前にして、文字通り行き止まりの壁に突き当たってしまったということになる。

 動揺した悠真が錯乱気味に、フィルフィーネへと詰め寄った。


「お前ならなんとかできるんじゃないのか? ほら、もっとすごい大魔術でも使えばきっと上手くいくって。だってお前は、すごい魔術師なんだもんな。なぁ……そうなんだろフィルフィーネ……!」


 フィルフィーネの腕をつかんで揺さぶりながら、懇願するように言葉を投げつけた。

 いつ〈協会〉の魔術師が襲ってくるかわからない状況に、悠真の心はささくれだっていた。

 いくらフィルフィーネが強いとはいえ、そもそもこのまま敵が姿を現さなければ、悠真たちはこの空間に取り残されてしまう可能性だってあるのだ。冷静な思考などできるはずもない。

 そんな悠真を見たからか、逆に沙希はとても冷静だった。


「お兄ちゃん、こういう時こそ慌てちゃダメだよ。いつでもどんなときでも平常心。異世界における鉄則だよ」


 沙希は人差し指を立てて、きらりと解説した。

 ……お前はいつも正直だよな……。

 まるで空気の読めない――いつも通りすぎる沙希を見て、悠真は自分の失態に気付くことができ、少し落ち着きを取り戻せた。


「……わるい、フィーネ。取り乱した……」

「いいえ、気にしないで。ユーマの気持ちもわかるから」


 悠真の謝罪に対し、フィルフィーネも目を伏せる。

 しかし、困った状況に変わりはない。

 ……とにかく情報が足りない。俺の持ってる魔術の知識だけじゃ、どうすることもできない。

 まずは現状を再確認しよう、と口を開いて頭を回転させる。


「前提として確認しておきたいんだが、同じ魔術師が結界を二つも同時に張れるもんなのか?」

「……限りなく可能性は低いけど、無理ではないってところかしら。複数人で魔力を注ぎ込み続けるとか、それと同量の魔力を保有した魔石か何かを用意しておくとかすれば、あるいは。こっちの世界にそんなものがあればの話だけれど」


 それがわかれば苦労はしない。

 悠真は顔をしかめた。


「そもそも、《隔絶結界》は自分を中心として展開するものだから、これに関しては間違いなく単独で、絶対にこの結界の中に術者本人が潜んでいるはず」

「じゃあ、結界の外に魔術師がいっぱいいて、その人たちが結界を維持してるとかっていう可能性はないの?」


 沙希の言葉にもフィルフィーネは首を振る。


「最初に言ったと思うけれど、《隔絶結界》は空間と時間を切り取る魔術。外からこの結界の内側には干渉できないわ。二つ目の結界を先に張ってから《隔絶結界》を張ろうとしたら、私が気付かないはずがないから、この線もなし」

「……ってことはつまり、《隔絶結界》の内側にもう一人結界を張ってる魔術師がいるってことか」


 隔絶結界を張った魔術師と、その内側に結界を張った魔術師。

 そんな敵に対し、悠真は一つの疑問が頭に浮かんだ。

 ……どうして敵はこんな面倒なことを?

 結界で捕まえたところを襲うだけならば、わざわざこんなに大きな建物を丸ごと結界内に収める必要はないだろう。結界内でまばらに襲ってくる理由もわからない。

 いくらフィルフィーネが強くても、多勢に無勢では限界がある。大勢で一斉に襲い掛かられれば、悠真と沙希を同時にひとりで守り切るのは難しいだろう。


「うーん……なんか引っかかる気がする。なんなんだろ、この違和感というかなんというか……」

「何か引っかかることでもあるのか、沙希?」

「いやほら、この結界って多分それなりに準備に時間がかかるやつだと思うんだけど、私たちってさ、ここに買い物に来るって決めたの、今朝お母さんに言われたからだよね? なんで〈協会〉の人たちは、あらかじめここに結界を張る準備ができたんだろうなぁって……」

「――――っ!」


 致命的な見落としだった。

 沙希を捕まえるために用意された結界なら、そもそも沙希がこの建物にやってくることがわかっていなければならない。

 しかし、悠真たちがここに訪れたのは千枝の発言によるもの。事前に決められていたことではなく、今朝急遽決まった話だ。

 だというのに、これだけ複雑な結界を完璧に用意していたということは――。


「……まさか、《未来視スティール・アイ》?」


 フィルフィーネがぼそりと聞きなれない単語を口にした。

 その時、悠真たちの話し声以外に、とても聞き覚えのある音が鳴った。


 ――パチパチパチパチ。


 突然、どこからか拍手の音が響き渡った。

 何度も手を打ち鳴らしながら、誰かが悠真たちに歩いて近づいてくる。


「いやー、意外と頭が回るじゃないの、お嬢ちゃん。それも聖女様としての才能の一つだったりするのかね」


 飄々ひょうひょうとした男の声が風に乗って耳元へ届いた。

 薄暗闇にぼんやりと浮かぶその姿を一目見ただけで、悠真は確信した。

 ……こいつは敵だ。

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