第26話「フィルフィーネの魔術」

「お前は少女を追え。俺はこのガキを片付ける」

「わかった。しくじるなよ」

「煩い、早くいけ。手柄残しとけよ」


 魔術師たちが二手に分かれた。一人は沙希を追って下へと降り、もう一人は悠真を排除するためにこの場に残った。


「沙希に手は出させねぇッ!」


 悠真は近くのベンチに置きっぱなしにされていた缶ジュースを手に取る。

 右腕にビリッと魔力が流れる。

 缶ジュースをぐっと握りしめながら右腕を振りかぶると、


「喰らえ……ッ!」 


 階下へ向かう魔術師の後頭部目掛けて思いっきり投げた。

 フィルフィーネに教わった身体強化を用いての、渾身の一投。缶ジュースはプロの野球選手が投げたボールのように、凄まじい速度で投擲とうてきされた。当たれば昏倒こんとうは免れないだろう。


「ふんっ……!」

 

 だが、これをもう一人の魔術師が射線に割り込み、風の壁を張って防いでしまう。

 勢いを失った缶ジュースはそのまま床に落ちると、カラカラと乾いた音を立てて転がった。


「ははっ、お前も魔術師みたいだが、そんなものじゃ俺たちの敵にもなれんぞ。俺の魔術は常に相手の先を行く。お前みたいな未熟な魔術師がどうにかできるほど俺は甘くな――」

「――いちいち話が長いんだよ!」


 缶ジュースを投擲すると同時に、悠真はすでに走り出していた。

 魔術師が風の壁を張っている間に距離を詰めて、全力で拳を突き出した。


「うぉおおおおらぁああッ!」

「――チッ、無駄なことを!」


 魔術師の男は悠真の拳を風の壁で軽々と受け止める。

 魔力で身体強化したパワーでも、この壁は打ち破れない。


「その程度の力で調子に乗るなよ、このガキが!」


 魔術師が言う通り、悠真の拳は風に押し返されてまったく進まない。

 ――だが、これでいい。

 直接相手の魔術に触れている、この状況が重要なのだ。

 悠真は目を見開く。この一瞬のために用意しておいた魔力を一気に解放する。


「《解析アナライズ》!」


 握っていた拳を開き、風の壁に魔力を流し込む。

 壁となっていた風が吹き荒れて、術式が次々にコード化されていく。

 〈協会〉の魔術師が用いる魔術はすでに何度も目にしている。

 

 ――起動式……省略。形成術式を一部修正。制御方式に権限を追加設定……!

 

 悠真は術式を瞬時に読み解くことで、必要な部分の術式を書き換えていく。

 魔術師は、悠真が何をやっているのか理解出来ず声を荒げた。


「貴様、一体何をしている⁉」

「お前の魔術、利用させてもらうぞ! 《改編オーバーライト》!」


 ――風が吼えた。

 悠真は圧縮された風の壁を、全て魔術師の方へ向けて解放した。

 押し固められていた風が、穴の開いた風船のように、出口を求めて一気に吹き荒ぶ。


「吹き飛べぇえええええええええッ!」

「ぬぉおおおおおおっ⁉」


 魔術師は爆弾が爆発したかのような暴風を受け、きりもみ回転しながら吹き飛んでいく。

 近くの紳士服売り場を突っ切って壁に激突し、ばたりと昏倒した。

 魔術の反動で後方に転がっていた悠真は、その惨状を見て戦慄せんりつした。


「――これが、本物の魔術の威力……」


 敵の魔術を利用したとはいえ、初めて魔術で意図的に他人を攻撃した悠真。

 恐怖か興奮かさえわからない衝動のようなものが胸の内に残っていた。

 両手の震えが止まらない。

 悠真はぐっと手を握り、固く拳を作って無理やり震えを止めようとした。

 ……大丈夫だ、じいちゃん。この力は、ちゃんと守るために使うから。

 悠真は立ち上がって一度深呼吸をして気持ちを切り替える。

 こんなところで止まってはいられない。

 震える足に鞭打って、地面を力強く蹴る。


「沙希っ!」


 悠真はエスカレーターを駆け下りて、妹の元へと急いだ。

 吹き飛んだ瓦礫に足元を取られないよう慎重に、けれど迅速に歩を進める。

 二階に降りて周囲を見渡すが、沙希の姿が見当たらない。


「クソッ、どこだ沙希……⁉」


 悠真は必死に目を凝らす。そう遠くには行っていないはずだ。

 闇雲に沙希を探して走り回っては、他の魔術師たちに居場所がバレてしまう危険がある。複数の魔術師に同時に襲われては、いくらなんでも対処しようがない。

 ……だけどこのまま足を止めてるワケにはいかないだろ! どうする⁉

 悠真が歯噛みしながら葛藤していると、


「この……! あっち行けーっ!」


 沙希の声が悠真の耳に届いた。

 声がした方を振り向くと、吹き抜けを挟んだ反対側のスポーツ用品店のすぐ側……そこに沙希はいた。

 沙希はスポーツ用品店の店先に置かれたマネキンが持っていたゴルフクラブを拝借し、剣のように構えて魔術師に応戦しようとしていた。


「暴れるなっ、大人しくしろ!」


 〈協会〉の目的は沙希の確保。大事な聖女を傷つけてはいけないという命令があるのか、ゴルフクラブをぶんぶんと振り回して暴れる沙希の対処に困っているようだ。

 魔術師が手を伸ばしたところに、偶然ゴルフクラブがクリーンヒットしてしまう。


「ぐっ! ……聖女だからと調子に乗りやがって! 痛い目みないとわかんねぇのか!」


 堪忍袋の緒が切れたのか、魔術師が沙希に向かって手のひらを向けた。

 風が集い、刃を形成し凶器となる。

 その様子は、遠くの悠真の目にもはっきりと映っていた。


「沙希ィッ!」


 悠真は懸命に走るが、ここからでは一度中央の通路を経由しなければならない。

 どう足掻いても間に合う距離ではない。

 見えているのに届かない。絶対的な空間の隔たりを前に、悠真は自分の無力を呪った。 

 悠真の声に気付いた沙希が振り返る。


「――お兄ちゃん!」


 悠真は走りながら衝動的に妹の手を掴もうと手を伸ばすが、ふたりの距離は遠い。

 ……あの手を離しちゃダメなのに。俺が、守ってやらないといけないのに……!

 どれだけ後悔しようと、時間は止まってはくれない。

 いよいよ魔術師が魔術を放つ、その瞬間――。


 ……フィーネッ!


 悠真は無意識に、彼女の名を呼んでいた。


「――ウィル・ヴィレ・シィーラ。祈り、施し、差し伸べ給え! 《堅牢なるは我が隣人ファイアリッヒ・ガイスト》!」


 詠唱が終わると同時に、あたたかな光が沙希の周囲に集まって、半球状のドームとなった。

 魔術師の放った風の刃は、光のドームにあっさりと弾かれてしまう。


「魔力障壁⁉ 一体どこから……なっ⁉」


 魔術師の男が周囲を見渡し、目標を――フィルフィーネを視認した。

 この時すでに、フィルフィーネは射出体勢に入っていた。

 三階の手すりに立ったまま徐々に膝を折り力をためる。そのまま前へ倒れると、踏み台にした手すりがへしゃげるほどの力で、二階目掛けて跳んだ。

 一瞬にして吹き抜けを飛び越えたフィルフィーネは、まさしく流星のような蹴りを魔術師へと繰り出した。


「そりゃーーーーーーーーーっ!」

「ぐぶほぉっ……!」


 ドッバァアアアアアアン――! 


 魔術でもなんでもない、ただのライダーキックだ。

 フィルフィーネの蹴りは魔術師の腹部へとめり込み、血を吐きながら地面を転がっていった。

 あまりの衝撃に、近くの壁や床にまでヒビが入ってしまっている。

 少し遅れて駆け付けた悠真は、通路に転がったままピクピクと痙攣する魔術師を見て、改めてフィルフィーネの規格外さを思い知った。


「サキ、大丈夫⁉ 怪我してない⁉」

「う、うん……大丈夫だよフィーちゃん。助けてくれてありがとう」

「ううん……よかった、間に合って」


 フィルフィーネはほっと胸をなでおろし、サキの手を握りながらそう言った。 

 安心した悠真も、大きく息を吐いて腰に手を当てた。

 間一髪で合流してくれたフィルフィーネに、悠真が礼を言う。


「俺からも礼を言わせてくれ。助かったよフィーネ。本当にありがとう」

「わざわざお礼なんていいわよ。私はこのためにこっちの世界に来たんだから……ね?」


 フィルフィーネが悠真の肩を叩いてウインクした。

 悠真は少しどきりとしながらも、誤魔化すようにフィルフィーネに状況を確認する。


「と、ところで、さっきの〈協会〉の奴らは?」

「全員倒してきたわよ。口ばっかりで全然大したことなかったわ。最後まで抵抗されて面倒だったから、ちょっとだけ本気出しちゃったけど」

 ぺろりと下を出すフィルフィーネ。

 フィルフィーネの本気とやらがどれほどのものなのか、悠真には想像もつかなかった。

 敵ながら同情してしまうほど、フィルフィーネの強さは次元が違う。

 彼女が味方でよかったと、心の底から思った。


「さあ、他の連中が集まってきちゃう前に早く下へ行きましょう」

「あぁ。沙希、走れるか」

「大丈夫っ。もうひと踏ん張り、がんばります!」


 沙希はびしっと敬礼する。


「よし、じゃあ行こう」


 悠真は沙希へ左手を差し出した。

 沙希はその手を優しく握り返し、小さく笑った。

 藤代兄妹は二人三脚のように、足並みを揃えて走り出した。


 †


 悠真たちが一階へ降りて行ってからしばらくして。


 二階にはまだ他の〈協会〉の魔術師たちの姿があった。

 相も変わらず、皆一様に黒いローブ姿である。

 大立ち回りを繰り広げたフィルフィーネの魔力に反応して、遅れながらもその場に集まってきたのだ。

 集まった〈協会〉の魔術師たちは三人。

 悠真たちはすでに移動しているためすれ違う形となってしまったのだが……。


「おい、貴様そこで何をしている!」


 魔術師の男が、倒れた仲間――フィルフィーネが蹴り飛ばした魔術師――の傍にしゃがみ込んでいる一人の少女を見つけた。

 少女は自分に話しかけられていることを認識していないのか、倒れた魔術師の体をまさぐるのを止めようとしなかった。


「へぇ……魔力適正の低い人間に無理やり魔術を使わせるために、直に体に術式を刻印しているのですね。なんて無茶なことを……」

「何をぶつぶつ言ってやがるっ!」


 魔術師の一人が少女の髪を掴もうと手を伸ばすと、少女は見向きもしないまま、


「《氷葬アンテーレ》」


 と言って、パチンと指を打ち鳴らした。

 ――瞬間、男の伸ばしていた右腕が凍り付いてしまった。


「……は?」


 間の抜けた声が出た。だがすぐに状況を理解すると、それは悲鳴へと変わった。


「うわぁああああああっ! お、俺の腕がぁーッ⁉」

「こいつも魔術師か⁉」

「うるさいですね……」


 少女は立ち上がって、今度は左手の指を打ち鳴らす。

 それが彼女の魔術だと理解した頃には、三人の魔術師たちは氷の中に埋没していた。

 全身を氷の棺に捕らえられた彼らには、喋ることも考えることもできない。

 三つの氷像が出来上がると、少女はひと仕事終えたと言わんばかりに、ぐっと背伸びをして大きく息を吐いた。


「……やってしまいました。この人たちが誰なのか、先に聞き出すべきでした。とはいえ、氷を溶かしてもまともに喋ってくれるとは限りませんし……まあ、不可抗力ということにしておきましょう」


 少女は前向きだった。


「この変な空間から出るためにも、まずは情報を集めないと。逢坂さんも心配してるでしょうし」


 目を閉じて、周囲の魔力を探ってみる。

 この空間、遠くまで探ろうとすると魔力の反応がぼやけてしまう。おまけに魔力の残滓がいたるところにあるせいで、周囲にいる人間の数すら正確に把握できなかった。


「……仕方ありません。足で探すとしましょう」


 少女はひとまず周辺を探索しようとあてもなく歩き始めた。幸い、建物自体はよく知ったものだ。しらみつぶしに歩いていれば、そのうち何かしら起きるだろう。

 ブーツが床を叩くたびに、足音が壁や天井に反響した。

 普段とは違う静寂に包まれた館内の様子に、少女は小さく感想をもらす。


「誰もいないショッピングセンターというのも、変な感じです。まるで、夜の学校に忍び込んだような背徳感がありますね」


 ……夜の学校に忍び込んだこどはありませんけど。

 ふふっ、と少女はひとり笑って、誰に聞かせるでもない冗談を口にした。

 この足が向く先に、自分以外の誰かが居ることを願って。

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