第31話「放蕩のフラート」

 結界には、『核』と呼ばれるものが往々にして存在する。

 結界を張った魔術師本人はもちろん、魔力を込めた魔石や、術式を刻んだ呪符などがこれに該当する。

 結界の『核』は非情に重要な存在で、他者からは秘匿し、世間からも隠蔽いんぺいするのが普通だ。例えばマンガやゲームのように、あからさまに異質な形をしていたり、自らの居場所を知らせるように点滅したりするようなことはまずありえない。大体が何かに偽装されている場合が多い。

 今回の件でいえば、クライスの用意した隠蔽魔術がそれに当たる。『核』の魔力の反応を隠したり、そもそも認識されにくくしたりと、工夫を凝らすのが当然なのだ。

 クライスは悠真たちをあっさりと見逃したが、何も心配はいらない。

 

 ――バレたところで対処できなければ、問題にすらならないのだから。


  †


 昨日今日と信じられないような出来事に立て続けに遭遇し、もう何が起きても驚かないつもりでいた悠真だったが、どうやらそうもいかないらしい。


「ははは……なんだよ、これ」


 乾いた笑いしか出ない。

 悠真たちがやって来たのは、『オール・モール』一階に位置する中央イベント広場。常設された大型ビジョンと特設ステージの周辺には、数百人が集まれるほどの広大なスペースとなっている。一階から四階まで大きな吹き抜けになっており、有名アーティストのリリースイベントなどでもよく使われる、『オール・モール』の目玉スポットの一つだ。

 悠真と沙希も何度も訪れたことのあるこの場所で、ふたりは眼前に広がる光景に目を疑った。

 広場一帯をを埋め尽くすほどの青い花……紺碧のカーネーションが、所狭しと咲き乱れていたのだ。

 風も吹いていないのに、カーネーションたちは花弁を小さく揺らしている。まるで悠真たちを歓迎しているようだ。


「わぁ……手触りも本物みたい。くんくん……いい匂い」

「幻覚じゃない、よな……」


 幻想的なカーネーションの群生に、悠真は困惑を通り越してちょっぴり感動していた。

 どうしてこんなところにカーネーションが生えているのか。そもそもどうやって生えてるのか。

 足元は硬いコンクリートで固められているはずなのに、このカーネーションたちは見事な花を咲かせている。

 もし、これが魔術によるものだとするのなら、一体誰が何の目的でこんなことをしたのか。

 ……クライスしか考えられないけど、その理由がわからない。なにか魔術的な意味合いでもあるのか……?

 戸惑う悠真とは対照的に、沙希は花畑ではしゃぐ少女のように、ずんずんと青いカーネーションたちの中へ足を踏み入れていく。


「沙希、何があるかわかんないから、あんまり不用心なことするなよ」

「はーい。わかってまーす」


 ……絶対わかってない……。

 悠真はその場にしゃがみ込むと、手近なカーネーションに向かって解析を試みた。


「《解析アナライズ》……うーん、術式反応はなし。微弱な魔力は感じるけど、それだけだな」


 《解析》の結果、これらが本物の植物だということが判明した。

 ……クライスの魔術によるものだと思ってたんだけど、違うみたいだ。

 しかし、こんな真っ青に染まったカーネーションは見たことがない。

 メルセイム由来の花なのか。それとも単に、自分が知らないだけなのか。

 悠真が首をひねりながら考えて。

 ひとしきり遊んで満足した沙希が、何気なく上を見た時。

 彼女の視界に映ったのは――、


 ――四階から飛び降りる女の子の姿だった。


「え⁉ お、お兄ちゃん、上! 上ッ!」

「……うえ?」


 沙希に言われ見上げた時にはすでに、手すりから身を乗り出した女の子が空中へ身を投げ出していた。

 女の子はスカートを履いていたので、下から見上げればもちろん中が丸見えで。

 ……あ、黒……。

 悠真が薄布に見とれている間に、女の子はふたりの目の前で地面に激突した。


「――なっ⁉」


 悠真は気付いた。

 あの女の子は落ちたのではない。

 急な出来事に思考が追いつかない悠真は、飛び散るカーネーションの中、落ちてきた女の子の着地点……墜落現場へと駆け寄った。

 一階から四階までの高さはおよそ二十メートル。普通に考えれば、女の子が落ちて助かる高さではない。

 だが、悠真たちの心配をよそに、女の子はカーネーションを下敷きに尻もちをついた体勢のまま、


「あいたたたぁ……しくったー。思ったよりけっこう高かったんですけどー」


 と呑気なことを言っていた。

 落ちてきた女の子あらため、着地に失敗した常識外れの女の子に沙希が駆け寄った。


「だ、大丈夫⁉ すごい音だったけど、ケガしてない?」


 女の子は、沙希の伸ばした手を取り軽快にぴょーんと立ち上がった。

 普通は無傷で済むはずがないのだが、少女はピンピンしている。


「平気だよー。あたし、こう見えてケッコー頑丈だから。やさしいんだね、お姉ちゃん」


 少女は、紫のエクステが編み込まれた黒髪のツインテールを揺らして、沙希に明るく笑って見せた。

 中学生くらいだろうか。フリルのついたワンピースに、腰にはハートマーク多めのベルトが巻かれている。足元を見れば、大きなリボンが印象的な厚底のパンプスを履いている。

 いわゆる、地雷系ファッションと呼ばれる着こなしだ。


「ねぇ、お名前聞いてもいい?」

「あたしはね、フラートっていうの。きゃふふ、かわいいでしょ。お姉ちゃんは?」

「私は沙希。藤代沙希だよ。もしかして外国の子?」

「おい沙希……!」


 ……こんな状況で暢気のんきに自己紹介している場合じゃないだろ。

 悠真がそう注意しようとした時、フラートは不敵な笑みを浮かべた。

 琥珀色の瞳で、ぎらりと沙希を映して。


「へぇ~。そっかそっか。やっぱり――」


 ぺろり、と舌なめずりをする。


「――お姉ちゃんが聖女ちゃんなんだね」


 悠真の背筋が凍り付いた。

 目の前で笑う少女が、突然まったく別の生き物に化けたような気がした。

 そして遅れて理解する。フラートの周囲には、嫌な魔力の気配がじっとりと漂っていた。


「――離れろ沙希! そいつも〈協会〉の仲間だ!」


 そもそも、この結界内に一般人が紛れ込む余地はない。

 フラートの格好があまりにも現代人のそれで、完全に油断してしまっていた。

 はじめからこの結界の中では、どんな相手も敵と思って対処しなければいけなかったのだ。


「だ~め。離してあげない♪」


 フラートは、沙希をぎゅうっと抱きしめる。

 ……見た目が子どもだからって油断した……っ!

 悠真は後悔を喉の奥に押し込んで、一刻も早く沙希をフラートから引き離すべく手を伸ばした。

 無論、敵が待ってくれるはずもない。

 フラートは沙希の腰に手を回すと、首筋に息を吹きかけた。


「ひゃぁんっ……」


 無垢な少女の舌が、なまめかしく沙希の頬をぺろりと舐めた。


「――《愛の果ての棺マリッジ・クルセイユ》」

「……え? あれ、体がっ……動かない⁉」


 沙希は自分の意思とは関係なく、両手を胸の前で組んだまま動けなくなってしまった。目と口が動くのみで、それ以外は文字通り指一本動かせない。

 《愛の果ての棺》は、抱きしめた相手を拘束する魔術だ。

 非常に限定的な魔術だが、フラートは好んで使うことが多い。

 ちなみに、沙希を舐めたのはフラートのただの気まぐれだ。


「はい、お仕事かんりょー。おつ~って感じ? まさか聖女ちゃんの方から近づいて来てくれるとは思ってなかったから、手間が省けて助かっちゃった♪」


 フラートは、動けない沙希の頭を背伸びして撫でる。


「な、なんで撫でるの⁉」


 どう見てもよくて中学生、見る人が見れば小学生とも思われかねない小柄な少女に、沙希は困惑しきりだ。

 はたから見れば、仲睦なかむつまじい姉妹のような二人の姿。

 けれど実際は……加害者と被害者だ。


「沙希を離せッ!」

「お兄ちゃんには関係ないよ~っと」


 フラートは悠真の突進をひらりとかわすと、沙希を担いだまま二階へぴょんと跳躍した。

 ……どこにそんな力があるんだよ⁉


「待て! お前もあいつの……クライスの仲間なのか⁉」

「そうだよー。クラっちはあたしの上司っていうか、保護者? みたいな感じかな。まぁ、家族っていうより同僚って感じだけど」


 フラートは超人的なバランス感覚で二階の手すりに立ったまま、悠真の質問に答えていた。

「ホントは付いてくる気なかったんだけどさぁ。こっちの世界の服とかアクセには前から興味あったんだよね。こっちの世界に比べると、あたしらの世界はダサいんだよ。ほら見てよこれ、かわいくない? さっきそこのお店で見つけたんだけどさ、ねぇどう聖女ちゃん、似合ってる?」

「いやこの格好じゃ私見えないから!」


 肩に担がれたままの沙希には、どうがんばってもフラートの付けている髪飾りは見えなかった。

 フラートはそんなこと知ったことではないと言わんばかりに、不服そうに口をへの字口に曲げている。


「むぅ~。もういいよ。んじゃ、聖女ちゃん連れて早くか~えろっと」

「えっ! 待って待って待って! ほら、えっと、もうちょっとだけ、色んな服見てからでもいいんじゃない? その……私も! おすすめの服とか紹介できると思うんだけど、どうかなーって……思ってみたりして……」


 ……な、何言ってるの私……! いくらなんでも、こんな見え見えの時間稼ぎに乗ってくるワケないでしょ絶対!


 沙希の額に冷や汗がにじむ。

 しかし、彼女の予想とは裏腹に――。


「いいね、それ!」


 ――フラートはとても乗り気だった。

 〈協会〉に所属しているとはいえ、彼女はまだ十三歳の女の子。ファッションに興味津々な年頃であり、異世界の見たこともないような衣服やアクセサリーともなればなおさらだ。

 明らかに先ほどまでとは違うテンションの高さで、フラートが口を開く。


「じゃあお姉ちゃん、案内してくれる? こっちの人なんだし詳しいよね」

「えっ、えーっと……も、もちろん。私にまっかせて!」


 沙希は声が若干震えながらも、案内役となることを承諾した。

 よくよく考えれば、案内をしながら逃げ出す隙をうかがえるし、悠真、もしくはフィルフィーネが助けに来るまでの時間も稼げて一石二鳥だ。

 ……それに、もしかしたら仲良くなって、話し合いで解決できるかもしれないし……。


「よーし、そうと決まればしゅっぱーつ!」

「え、こ、このまま⁉ ちょっ、せめて降ろしてよー!」


 フラートは沙希を肩に担いだまま、ショッピングモールの奥へと消えていこうとしていた。

 ……マズい! このまま沙希を見失うわけにはいかない……!

 だが追いかけようにも、広場のエスカレーターは何者かによってすでに壊されている。一番近くのエスカレーターの側では、今もフィルフィーネとクライスが戦っているし、反対側のエスカレーターまではかなりの距離があるため、遠回りしている間にフラートがどこかへ行ってしまう可能性もある。

 一体どうするべきか、悠真が判断に迷っていた……その時。


「――《氷結の荊姫グレイス・エピネイル》」


「……え?」


 突然周囲の気温が急激に低下し、フラートの足元から氷のいばらが出現した。

 いばらはフラートの体に纏わりつくと、一気にトゲを伸ばして串刺しにしようとする。


「いきのいい雑草ね。あたし、草刈りは得意よ!」


 フラートは沙希を担いだまま片手を大きく振る。指先が閃いた次の瞬間には、氷のいばらはバラバラに切り裂かれてしまっていた。


「……爪?」


 沙希が横目でかろうじて見えたのは、フラートの指先がカッターの刃のように鋭く伸びた姿だった。

 刃渡りはおよそ一メートル弱だっただろうか。カッターと形容するにはいささか大きすぎるそれは、フラートの体の半分以上の長さがあったように思えた。

 鞭のようにしなりながら、刀のような切れ味を誇るフラートの爪は、毎日手入れを欠かさず磨き上げている自慢の爪だ。

 マニキュアで爪をカラフルに塗ったのは、こちらの世界にやってきてからだが。


「だれ? こんなことするの。出てきなよ!」


 フラートの視線の先――闇の中から足音が響いてくる。

 その人物は歩みを止めると、スカートの裾を指でつまみ、仰々しくお辞儀をして優雅にあいさつをした。


「こんにちは、お嬢さん。私は鷹嘴澪依奈たかはしれいなと言います。どうぞ、お見知りおきくださいね」

「た、鷹嘴先輩⁉」


 悠真のクラスメイト、鷹嘴製薬の一人娘である鷹嘴澪依奈がそこにいた。

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