第24話「色無き世界の戦い」

 食事を終えた八尋がトイレに立ってからすぐのこと。

 沙希はポテトをつまみながら、フィルフィーネに一つ尋ねた。


「ねぇフィーちゃん。聖女の力って特訓すれば使えるようになるものなの?」

「使えるはずよ。聖女の力は本人の魔力には依存しない特殊な力らしいから。魔力を持たない沙希でもきっと使えるようになる……と、思うんだけれど……」


 フィルフィーネがゆっくりと首を左右に振った。


「ごめんなさい。どうやったら使えるようになるかはわからないわ。私が今まで見てきた聖女たちはみんな、最初からその力を当たり前のように使えていたから……」

「そうなんだ……」


 落ち込む沙希を見て、フィルフィーネが慌ててフォローする。


「で、でもきっかけさえあれば必ず使えるようになるはずよ。たとえば――」

「……たとえば?」


 フィルフィーネは続きを言うべきかどうか迷った。

 それは、きっかけと呼ぶにはあまりにも残酷な話で、口に出すのもはばかられた。

 けれど、沙希は目を輝かせてフィルフィーネの次の言葉を、今か今かと待っている。

 フィルフィーネは、そんな彼女の期待を裏切れなかった。

 だから、口に出してしまった。


 ――最悪で最低な、最善の方法を。


「――たとえば、誰かが死んでしまうかもしれない――そんな場面に出くわしてしまう、とか」


「………………え?」


 沙希はぽかんと口を開いたまま、そんな音が口からこぼれ落ちた。

 真っ先に反応したのは悠真だ。

 血相を変え、机を叩いて椅子から飛び上がる。


「ちょっと待てフィーネ、まさかお前――!」


 悠真が言い切るよりも少し早く、フィルフィーネが何かに反応した。


「――え?」


 フィルフィーネがガタッと勢いよく椅子から立ち上がり周囲を見渡す。


「……フィルフィーネ? 一体どうし――」


 悠真は戸惑いながら、フィルフィーネに手を伸ばした……その時。

 どこからか『カチッ』と何かが噛み合うような音がして――。


 ――世界から色が消えた。


 さきほどまで賑やかだったショッピングセンターは、一瞬にしてモノクロの世界へと沈んだ。

 まるで古い写真を見ているかのような、白と黒だけの世界に。


「な、なんだ⁉ 何が起きたんだ⁉」

「みんなどこ行っちゃったの……⁉」


 動揺する藤代兄妹。

 さっきまでうるさいほど賑やかだったフードコートはしんと静まり返っており、悠真たちの声が不気味なほどに反響している。

 フードコートの外に目を向けても同じだ。

 この建物からは、人の気配がしない。

 フィルフィーネは現状を正しく理解しているようで、額に冷や汗をにじませながらふたりのために喋り始めた。


「――これは『隔絶結界かくぜつけっかい』。ある瞬間、ある一定の空間を切り抜いて閉じ込める結界魔術よ。術者本人を起点にした外からの侵入を拒むためのもの……のはずなのだけれど、こんな大規模な『隔絶結界』、見たことないわ……!」


 知識はある。けれど、自分が知っているそれとは大きく異なる結界に、フィルフィーネは困惑した様子で周囲をにらんだ。

 通常、用いられる『隔絶結界』は、言うなれば個人のパーソナルスペースの拡張に過ぎない。どれだけ大きくとも、精々が十数メートルだと言われている。

 だがこの結界は、それを遥かに上回っている。

 数倍でも足らないその全貌は、フィルフィーネにも予想がつかない。


「く、空間を隔離……? まさか、このショッピングモール全部をか⁉」

「おそらくね」

「そ、そんなのチートだよ……!」


 ――そんなの無理だ。ありえない。

 魔術師ならば、そういった固定観念は排さねばならない。

 どれだけ不可能に思える事象だとしても、見たものを見たまま認識し、情報として精査、処理しなければならない。 

 悠真は動揺する心を必死に抑えようと、一度深呼吸してから口を開いた


「これも〈協会〉の仕業、ってことでいいんだよな」


 フィルフィーネが肯定する。


「……どうやら、ゲストを待たせるつもりはないみたいね」


 フィルフィーネは腰に提げた槍に手を掛けると、魔力を流し元のサイズへと復元する。

 いつの間にか、悠真たちは黒いローブを纏った謎の集団に取り囲まれていた。

 数にして六人。どこから現れたのかも判然としない。全員同じローブを纏っており、フードを目深に被っているせいで個人の見分けがつかない。

 悠真と沙希は、慌ててフィルフィーネの背に隠れるように身を寄せる。

 沙希は重苦しい空気に耐えきれず、声を張り上げた。


「あ、あなたたちは誰っ⁉ どこから来たの⁉」

「…………」


 問い掛けに答える気はないようだ。

 六人は無言のまま、全員が右手を悠真たちへと向ける。


「ひっ――!」

「〈協会〉の魔術師たちなのは間違いないでしょうね。どこの誰かは、直接聞いてみるとしましょうか。ユーマ、サキ。私のそばから離れないで」


 フィルフィーネが右手を上にかざすと、複数の風の槍が宙に出現し、


「行って!」


 振り降ろされた右手を合図に、風の槍が襲撃者たちへと放たれた。

 ただの刃を持った風ではない。魔力によって強化された、薄い鉄板程度ならば容易く貫通してしまう威力を秘めている。


「――!」


 襲撃者たちが両手を前に出すと、風の壁が現れてフィルフィーネの風の槍を全て防いでみせた。


「……無詠唱に無手の魔術。それに、全身を隠すような怪しい格好。――あなたたち、刻印魔術こくいんまじゅつ師ね」

「こ、刻印魔術……?」


 ――刻印魔術。

 魔術師の体に予め術式を刻むことで、魔術の詠唱を省略したり魔力の消費を抑えたりする魔術様式の総称である。

 刻んだ魔術を他人に見られないようにするために、刻印魔術の使い手は絶対に肌を見せないと言われている。

 副作用として、自身の体内に残留したマナが濁り肉体を汚染してしまうため、刻印魔術を連続で行使できる回数には限りがある。

 それでも、魔術の心得がないものが容易に魔術を行使する手段として、一部では重宝されている。

 けれどそれは、数学の問題に対して、計算式がわからないからと答えを丸写しして解答しているようなものだ。

 魔術師の大半が、彼らのことを術式も満足に扱えない『未熟者』と蔑んでいるのは、当然と言えば当然のことなのだ。


 ――パチパチパチパチ……。


 自らの魔術を一目で看破されたことに対してか、はたまた今しがた放った魔術の精度に対する賛美だろうか。襲撃者のうちのひとりが手を打ち鳴らした。


「久しいな、『送り人』。大人しくそちらの少女を渡してくれれば手出しはしないのだが、話を聞き入れる気はあるかな?」

「誰よあなた、馴れ馴れしい。あなたたちが手を出さなくても、結果は同じことでしょう。それと、その呼び方はやめて。私はフィルフィーネよ」

「ふん、まだそんなごっこ遊びをしているのか。どうして貴様なぞが、あの方の目に留まるのか理解に苦しむ」

「あんなヤツに言い寄られても迷惑なだけよ。上が上なら下も下ね」

「――ふん、安い挑発だな」


 フィルフィーネは鼻を鳴らして「どっちがよ」、と言いながら背後の二人に小声で話しかける。


「……ユーマ、サキ、ここから逃げるわよ」

「に、逃げるってどこに?」

「この建物の外によ。『隔絶結界』は外からの侵入を防ぐことに特化してる結界。中から外に出るだけなら、境界線を超えるだけでいいから、比較的脱出は容易なの」


 フィルフィーネの言葉に悠真は頷く。

 袋小路のネズミのような気分だったが、光明が差した。


「けど、普通に考えれば、出入口にも〈協会〉の奴らが待ち構えているんじゃないのか?」

「でしょうね。でもここでじっとしているワケにもいかないでしょ。私が必ず突破口を開く。その隙にユーマとサキが脱出できれば何も問題ないわ」

「でもフィーちゃんが危ないんじゃ……」

「私なら平気よ。こんなザコ相手に負けるはずないじゃない」


 沙希の目を見てフィルフィーネがウインクした。

 屈託のない彼女の笑顔を見て、沙希も少し安心できたのか、力強く首を縦に振った。


「そろそろ作戦会議は終わったかな」

「あら、律儀に待っててくれたのね。少しは空気が読めるじゃない。お礼を言った方がいいのかしら」

「礼なら不要だとも。浪費した時間の代わりに、君達の命で埋め合わせてもらうだけだ」


 六人の魔術師が一斉に両手を上げた。

 彼らが次のアクションを取るよりも先に、フィルフィーネが先手を取った。


「――走って!」


 言葉と同時に、まずはフィルフィーネが一番近い魔術師へと突進する。

 フィルフィーネの言葉に背を押されるように、悠真は沙希の手を取り走り出した。

 目指すは一番近くのエスカレーター。ここから出るには、とにかく下へ降りなければならない。

 フィルフィーネとは逆の方向に走り出した悠真たちを止めるため、逃げ道を塞ごうと二人の魔術師が立ちはだかる。


「行かせると思っているのか!」

「邪魔させるもんですか!」


 フィルフィーネは一人目を槍で貫いたあと、瞬時に地面を蹴って反転し、一足飛びで悠真たちの前へ躍り出た。

 人間の体でこれほどまでの急制動がかけられるのか、と魔術師たちは目を疑った。

 フィルフィーネの高速移動に、魔術師たちは反応できない。


「なっ……ぐあッ⁉」


 勢いのまま突き出された槍が閃いて、ローブの上から魔術師の右肩を貫いた。そのまま槍を大きく振り、地面に叩きつけた。


「――もうひとり!」


 続けざまに隣の魔術師に対し、体を独楽のように回転させて回し蹴りを放った。


「ぬうオオオオッ⁉」


 魔術師のひとりがフードコートの奥へと吹き飛び、壁に叩きつけられた衝撃で意識を失った。

 数瞬の間に、三人の魔術師を沈黙させたフィルフィーネ。

 悠真は彼女とアイコンタクトだけ交わすと、沙希と共にフードコートの外へと走り抜けた。

 フィルフィーネはその背中を守るように、残った魔術師たちと相対した。


「なるほど。これが『送り人』の実力というわけか。聞きしに勝る身体能力だ」

「余裕ぶって一体なんのつもり? あなたたちじゃ相手にならないってわかったでしょ。このまま大人しくさっさと消えなさい。じゃなければ、みんなまとめて床を舐めることになるわよ」

「そう言うな。こんな機会は滅多にない。精々楽しもうじゃないか」


 フードの下に隠れる口元が、ねっとりと薄気味悪い笑みを浮かべる。

 フィルフィーネは不快感を隠そうともしない。


「面倒だから、全員まとめてかかってきなさい。すぐに終わらせてユーマとサキに追いつかなきゃいけないんだから――はぁああああッ!」


 ただ目の前の障害を排除するべく、魔力を解放し突貫した。

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