第23話「不穏な影」

 楽しく談笑を続ける悠真たちのテーブルに、突然ひとりの女性が悠真たちに声を掛けた。


「お話し中のところ失礼。少々いいかしら」


 八尋は女性を一瞥いちべつすると、悠真を肘で小突いて応答させようとする。

 

「どうかしましたか?」

 

 悠真が仕方なく応答する。

 ――と同時に、一瞬何かが脳裏をよぎった。

 ……あれ、この人どこかで見たような……。

 女性は上から下まで海外の高級ブランドの洋服に身を包んでいる。真っ白なドレスに幾つもの黒のラインが入った不思議な服。

 ゼブラ柄と言うと途端に気品がなくなってしまいそうだが、悠真にはそんなイメージしか浮かばなかった。

 理知的な赤いフレームの眼鏡がよく似合っている。首元で輝くネックレスや、大きな宝石があしらわれた指輪など、見れば見るほど住む世界が違う人物だ。

 女性は前髪をかきわけながら悠真たちに尋ねた。


「宝飾店を探しているのだけれど、どこにあるかご存じないかしら。この辺りだとサービスカウンターで聞いたのだけれど」


 どうやらお目当てのお店へたどり着けず困っているようだ。

 なんとなくどこかにそれらしき店があったような気がするが、悠真は宝石になど馴染みがない。

 悠真が返答に困っていると、沙希が近くのエスカレーターを指差して答えた。


「それ多分、ここの一階下にあるお店のことだよ。――そこのエスカレーターから降りたら目の前にあるので、すぐにわかると思います」

「あら、そうなの。階を間違えてしまったのね。感謝するわ、お嬢さん」

「いえいえ、困った時はお互い様ですから」


 貴族のような女性が微笑む。

 悠真はどうにも彼女の笑顔が鼻につく感じがして、女性に対してあまりいい印象を抱かなかった。


「お姉ちゃーん、買ってきたよー!」


 フードコートの奥からアイスクリームを両手に持った女性が追加で現れた。

 元々二人は一緒に行動していたようで、眼鏡の女性がキッとにらみつける。


「朝音、勝手に動き回るなと言ったでしょう」

「えぇー勝手じゃないよ。ちゃんと買ってくるって言ったよ」

「了承する前に走り出しただけでしょう。いいから行くわよ。――それでは、失礼致します」


 眼鏡の女性は丁寧にお辞儀をすると、すたすたと早歩きで去っていった。


「ちょっと待ってよ茜音お姉ちゃーん。アイス食べないのー?」


 朝音は両手にアイスを持ったまま、茜音を追いかけて走り去った。

 ……どこかで見たことあると思ったら、昨日すれ違った姉妹だ。この近くに住んでいるんだろうか。まさか昨日の今日でまた会うなんてな。

 姉妹の背中を見つめる悠真。

 その横では、沙希と八尋がひそひそと声を細めて会話していた。


「なんだったの、今の……」

「綺麗な人たちだったね。どこかのお嬢様とかなのかな」

「多分そうじゃない? あんなでっかい宝石見たことないし。……でかいのは宝石だけじゃなかったけど」


 沙希と八尋がやいのやいのと盛り上がっている中、フィルフィーネはひとり彼女たちが去ったほうを見つめたまま難しい顔をしていた。


「今のって、あの時の……」

「どうかしたのか?」


 悠真が尋ねると、フィルフィーネは一拍遅れて首を横に振った。


「いいえ、以前会ったことがあるような気がしたんだけど、気のせいだったみたい」

「……そうか」


 ……フィルフィーネの知っている人だとしたら、向こうの世界の人間ってことになるが、それはないだろう。フィルフィーネを見ても特に反応はしなかったし。仮に、異世界人が他にもこの世界にいるのだとしても、ショッピングモールで普通に買い物してるわけないよな。

 用心するに越したことはないが、身構えすぎては精神的にもたない。

 今は考え過ぎず、緩み過ぎず……そんな塩梅で丁度いい。

 悠真は少し冷めてしまったポテトを口に運んだ。


  †


 朝音は両手に持ったアイスクリームにかぶりつくと、あっという間にぺろりと平らげてしまう。指についたアイスをぺろぺろと舐めてから、茜音が持っているトートバッグの中からハンカチを取り出して手を拭いた。


「それで、どうだったのかしら」

「お姉ちゃんの言ってたとおりだったよ。この建物のいたるところに、見たことない魔術の形跡をはっけーん。今は魔力が通ってないからよくわかんなかったけど」 

「……それで?」

「それだけだけど?」


 茜音はため息をつく。


「あなたねぇ。術式の解析とか術者の特定とか、他にもやることがあるでしょう」

「えぇー。そんなことしたら私たちもバレちゃうじゃん。私、お姉ちゃんみたいに上手く隠せないし。どうせならこのまま泳がせる方が面白そうじゃない?」

「それもいつもの直感?」

「うーん……ただの予感かな。私たちにとって美味しそうなにおいがする……そんな予感」


 朝音は口元に付いていたアイスの残りを舐め取る。

 魔術師としては茜音に劣る朝音だが、彼女の野性的な感覚はどこか異質だ。

 ――音に触れ、色を嗅ぎ分け、匂いを視る。

 共感覚とはまた少し違う。異なる感覚で異なる情報を得ることができる彼女の超能力とも呼べる才能を、茜音は高く評価していた。


「だったらさっさと用事を済ませて帰るわよ。ギャラリーらしく席に着いて、幕が上がるのを待つとしましょう」

「そうこなくっちゃ。……ところで、なにを買いに来たんだっけ?」

「……はぁ。疲れるわ……」


 並んで歩く美人姉妹は、不自然なほど誰の目にも止まることなく、雑踏の中へと消えていった。


  †


 ――やや時間はさかのぼって。


 『オールモール』の立体駐車場は、四階から上のスペースを利用して建てられている。五階と屋上が広大な駐車場になっており、入出庫する車が次から次へ行き交っている。

 そんな駐車場の誰も車を止めたがらない、出入口から最も遠いエリアの一角に、黒いローブに身を包んだ謎の集団がいた。

 各々、小声で何かを確認しあっている。

 傍から見れば異様な光景だ。なのに、通りすがる車は一切止まることなく通り過ぎていく。

 そこへ一人の男が現れた。男は右手に持った文庫本を読みながらつかつかと歩いてくる。

 突然目頭を抑えて天井を仰ぎ見たかと思えば、大声で独り言を喋り始めた。


「はあーっ! やっぱこの世界の創作物は最高だなァ! あっちの駄作とは比べ物にならねェ。キャラクターの感情の機微っていうのかねェ、繊細な文章表現がたまんねェ!」


 読んでいるのは去年の大ベストセラー恋愛小説だ。

 不治の病を患った女子高生が、吸血鬼の高校生と出会ってしまったことで事件に巻き込まれてしまい、共に様々な困難に立ち向かい力強く生きていく、バトルありコメディありロマンスありの傑作小説だ。

 彼の興奮をよそに、黒いローブを纏った集団が口々に報告する。


「――クライス殿、準備は滞りなく。《人払いの陣》と遠隔起動術式の設置も済んでおります」

「あとは起動するのみです。ご命令さえあれば、いつでも――」


 男女問わず、クライスの元で動く魔術師たちは皆、一様にクライスの命令を待っている。

 クライスは読んでいた文庫本を閉じると、左手を上げて彼らを労った。


「ご苦労さん。こっからはオレの仕事だな。……で、ウワサの聖女様の様子は?」

「現在、建物内を移動しながら商品の売買に興じているようです。同伴者は二名、うち一人は報告にあった通り、あの『送り人』のようです」


 ――『送り人』。


 その名を聞いた瞬間、クライスは目を見開いた。

 久しぶりに見知った名前が聞けて嬉しい反面、これからのことを考えると気が滅入ってしまう。


「……情報は本当だったみたいだな。――ったく、面倒な女を敵に回したもんだ。あれほど首輪して飼い慣らしとけって忠告しといたのに。上の連中はもっと現場の意見を汲み取れっての」


 任務を与えられた上司に対する愚痴。

 本来口答えなど許されない立場だが、それでも文句は喉の奥からいくらでも湧いてくる。

 これから現場で対処しなければならないのは自分たちだ。好き勝手言いながら傍観するだけの〈協会〉の賢者たちに、少しくらい毒を吐いても罰は当たるまい。

 部下たちも気持ちがわかるようで、クライスの言葉に首を縦に振った。


「まァ、誰が敵に回ったとしてもオレらのやることは一つだ。なァ?」

「聖女の奪還。あるべき魂をあるべき場所へ。我等の大地に救済と豊穣を」


 黒ローブたちは決意を固める。


 ――世界の窮地を救うため。

 ――滅びの運命を避けるため。

 ――愛するものを護るため。


 理由などいくらでもあり、だからこそ彼らはためらわない。

 傷つくことも、傷つけることも。

 奪うことも、奪われることも。


「そんじゃ、オレァ一足先に下へ降りてるぜ。作戦開始はオレの魔術の発動が合図な。遅れるんじゃねえぞ」

『はっ!』


 黒ローブたちは各々の持ち場へと散っていった。

 クライスはひとり建物の出入口へと歩き出す。

 右手に持っていた文庫本にジジ……っと火がついたかと思えば、あっという間に燃えて灰になってしまった。

 はらはらと舞う灰を握りしめて呟く。


「読者を裏切る結末を迎えるためには、それ相応の演出が必要ってな……クヒヒ、さぁて、開演といこうじゃねェか」


 クライスが館内への自動扉をくぐる。

 災厄を引き連れて、最悪が舞台へと上がる。


 チープな言い方になってしまうが、これから始まるのは、とある世界の命運を掛けた戦いだ。

 ひとりの少女を巡る争奪戦でもあり、それを知るのは一方的に事を成そうとする彼らだけだ。

 彼らは止まらない。ブレーキなど、とうの昔に壊れている。

 善も悪もない。

 ただ在るがままに、魔術師は世界を奪うため、その身に刻まれた業を燃やすのだ。


 ――幕開けは、もうすぐそこまで迫っていた。

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