第21話「オール・モール」
「わぁ……!」
フィルフィーネは巨大な建物を見上げながら、そのあまりの大きさに感動した。
駅を出てすぐ目の前に現れる大きな建物に、フィルフィーネが感激する。
「ここが『オール・モール』……すごい! これ、全部お店なのよね?」
「そうだよ。早く行こうフィーちゃん!」
「あ、そ、そんなに引っ張らないで……! サキ、ちょっと待ってってば――!」
フィルフィーネが沙希に手を引かれながら建物の中へと入っていく。
「仕方ないな……おーい、人多いから走ると危ないぞ」
悠真は肩から提げたバッグを持ち直し、二人を追いかけて走り出した。
大型商業施設である『オール・モール』はいつも人でごった返している。
全四階建ての広い敷地面積には様々なお店が入っており、駅前というアクセスの良さと大きな立体駐車場により利便性がさらに向上している。映画館が併設されていたり、大手グルメサイトで高評価な飲食店が店を構える巨大フードコートがあったりと、目玉となる要素が多数存在する。
周辺の学校に通っている学生たちの遊び場にもなっており、鳴滝市の娯楽の中心地ともいえる場所である。
「ひ、人が多すぎるわ……」
施設の大きさもさることながら、土曜日ともなれば訪れる人の数も凄まじい。
フィルフィーネは体験したことのない人口密度に目を回しそうになっている。
「この街に住んでる人みんなここに集まってるんじゃないかしら」
「それはさすがに大げさだけど、まあ今日は休みだしな。俺たち以外にも学生はいっぱいいるし、家族連れも多い。とにかく広いからはぐれないようにな」
「だ、大丈夫よ、子供じゃないんだから」
「本当かぁ? ここはメルセイムとは違うんだぞ?」
すでに一度人混みに流されて迷子になりかけたフィルフィーネに、悠真がいじわるを言う。
「むっ。そこまで言うなら――」
フィルフィーネは「えいっ」、と悠真の右手と自分の左手を結んだ。
「こうしていればはぐれないでしょ?」
「えっ、あ、あぁ……そ、そうだな……!」
突然手を握られて動揺する悠真。
昨日の夜はもっと密着していたことを思い出して、さらに赤面してしまうのだった。
「もう、お兄ちゃんってば……なにイチャイチャしてるの。ずずず……ごくり」
「別にイチャイチャなんてしてない! ……ってなんでもうすでに飲み物買ってんだよ!」
「……っん、にへへ。いいでしょ、黒蜜入り抹茶わらび餅ドリンク。最近話題なんだよ〜」
……いうほど最近か?
沙希はドリンクをすすりながらも、口の中でわらび餅をもっちもっちと咀嚼している。
ミルクティーの芳醇な香りとわらび餅の食感が楽しめる絶品ドリンク、と店先の看板に書いてある。
『世界一美味しい茶葉使用!』は、流石に大言壮語が過ぎるのでは、と悠真が看板を見ていると、フィルフィーネが悠真の手を引いた。
「ユーマ、私もあれ飲んでみたい!」
「はぁ……。わかった、買ってくるからちょっと待ってろ」
……早速目的を見失ってるけど、まあいいか。
悠真は自分の財布を取り出して、わらび餅ドリンクを購入する。
自分の分にと普通の紅茶を注文している辺り、店の思惑にまんまとはめられているような気もしたが、たまにはシンプルに好奇心を満たすのも悪くはないだろう。
「ありがとうユーマ。では、いただきます」
フィルフィーネが期待に胸を膨らませ、ドリンクに口を付ける。大きなストローからミルクティーと一緒にわらび餅がすぽっと口に入ると、驚いた顔をしたあと、徐々に口角が上がっていく。
「……んーっ! おいしー! 甘くてもちもちしてて、面白い飲み物ね!」
「あはははっ、フィーちゃんいい反応するねぇ。食レポも上手上手~」
「だってホントにおいしいんだもの。いくらでも飲めちゃうわ」
沙希とフィルフィーネ、二人は向かい合いながら楽しそうにドリンクを飲んでいる。
微笑ましい光景を肴に紅茶をすすっている悠真に、フィルフィーネが飲んでいたドリンクを差し出した。
「あなたも飲んでみてユーマ。本当においしいんだから」
「えっ、いや俺はいいよ」
差し出されたドリンクを見ながら悠真はたじろぐ。
どうやら彼の視線は、差し出されたドリンクのストローに注がれているようだ。
目は口程に物を言うとはこのことかと、沙希はやれやれとジト目で兄を見つめた。
……まったく、しょうがないなぁ……。
関節キスになってしまう、とためらっている悠真を見かねて、沙希がおもむろに、
「――はい、お兄ちゃんも!」
自分のドリンクのストローを悠真の口に差し込んだ。
「ぶほぉっ……!」
「どう? おいしい?」
「ずずず……んぐ。……うまい」
「えへへー、でしょー」
フィルフィーネは目をぱちくりさせたあと、藤代兄妹のやりとりを静かに見守っていた。
ふたりにとってはなんてことないやりとりだが、フィルフィーネにとっては、とても新鮮であたたかい光景だったからだ。
ふざけて、怒って、泣いて、笑って。
……私も、もっと早く出会えていれば、あんな風に……。
記憶の中で笑う少女の姿が、目の前にいる少女と重なった。
――行こう、フィーちゃん。
「シオリ……?」
懐かしい声に呼ばれたような気がして、フィルフィーネは後ろを振り返った。
けれど、そこに見知った顔はなく、ただただ買い物客が右に左にと行き交うばかりだ。
「フィーちゃん? どうかした? もしかして……あんまり好みじゃなかったとか?」
心配そうに見つめる沙希に、フィルフィーネはぶんぶんと首を振った。
「ううん。そんなことないよ。ちょっと考え事してただけ。……それより早く行きましょ。これから色々買うものがあるんでしょ――って、買ってもらう私がいうのもおかしな話なんだけれど」
「……たしかにな。さっさと店回って、昼までに買い物を終わらせるとするか」
悠真はどちらかといえば、夏休みの宿題は早めに全部終わらせておくタイプの人間だ。
……時間に余裕があるとはいえ、買わなければいけないものも多い。遊ぶのはやることやってからだ。
悠真とフィルフィーネが示し合わせたように並んで歩き出すと、
「あっ、ちょ、ちょっと待ってよ二人ともー! 置いてかないでってばー!」
沙希は急いでドリンクを飲み干し、容器を近くのゴミ箱に捨てて急いでふたりの後を追いかけた。
†
買い物するだけならそんなに時間はかからないだろうと思っていた悠真だったが、その見立ては甘いと言わざるを得ない。
年頃の女の子ふたりの買い物が、一時間や二時間で簡単に終わるはずがないのだ。
「つ、疲れた……」
「まだまだこれからだよ、お兄ちゃん」
フィルフィーネの生活用品を早々に買い揃えたところまでは順調だったのだが、服を選び始めてからというもの、これが一向に決まらない。あーでもないこーでもないと服を手にとっては悩み、次の服を手に取ってはまた悩みの繰り返し。
最初は悠真も一緒に意見を述べていたのだが、途中から完全に沙希とフィルフィーネふたりだけの世界になってしまい、結局ほとんど店の外で座っているだけだった。
時折沙希が悠真を呼び出し、服を二つ手に持って「どっちがいいと思う?」と聞いてきたが、どっちを選んでも「でもなー」と言ってしぶるので、悠真はかなりげんなりしていた。
フィルフィーネは割となんでも着こなせるスタイルで、気軽に「これかわいい」だの「これ好き」だの言うもんだから、それが逆に沙希のファッションに対するプライドに火をつけてしまった。
輝く宝石にはそれ相応の装飾を施したい、といったところだろうか。
沙希は妥協を許さずいくつも店を周り、検討に検討を重ね、選び抜いた服をようやく買いそろえて満足した。
――時刻はすでに十二時を過ぎていた。
「で、最後がここか……」
やってきたのは、下着売り場だった。
店先に並ぶ女性下着の数々を前にして、悠真は視線のやり場に困っていた。
「それじゃお兄ちゃんは荷物見ててね」
「わかってる。頼まれたって入らないから。なるべく早くしてくれよ」
「はーい」
沙希とフィルフィーネを見送ると、悠真は近くのソファベンチに腰を下ろした。
荷物はほとんど小物や衣類なので特に重くはないのだが、朝からずっと立ちっぱなしの歩きっぱなしだったので、足腰に疲労がたまっていた。
「ふぅ……どうして女子って長時間買い物しても疲れないんだろうなぁ」
世の女性が聞いたら「疲れないわけじゃない」と言われてしまいそうなのだが、これは彼の素朴な疑問なので、どうかそっとしておいてあげてほしい。
……こんな長い時間ここに居ると、思い出してしまいそうになる……。
ふと視線を飛ばした先には階段があった。エスカレーターからはやや離れた場所、荷物の搬入などにも使われる、建物の隅っこにある広くて大きな階段だ。
階段を一段ずつ飛ぶようにして歩く小さな足音が耳の奥で鳴ったような気がした。
小さな男の子と女の子が階段のすぐ近くで大声ではしゃいでいると、近くにいた親が声を荒げて飛んできて、少しとがめる風に口を開く。最後にはふたりの手を引いて、笑いながらどこかへ歩いていった。
――どうして。お兄ちゃんなのに。
壊れたラジオのようなノイズ交じりの音が、頭の中で繰り返し鳴っているような不快感に、悠真は耳を塞ぎたくなる。
けれど、耳を塞いでも意味がないことを知っているから、悠真は心の中でこう繰り返す。
……俺は、お兄ちゃんだから。
「……悠真?」
突然どこからか名前を呼ばれた悠真は、驚いて背もたれから体を起こした。
周囲を見渡してみると、スマホを片手にこちらをじっと見つめてくる人がいることに気が付いた。
桜色のシャツに薄手のカーディガンを羽織り、足のラインが際立つスキニーを履いている。すらりと伸びる長い脚と大きな胸、そして特徴的なポニーテールがふわりと揺れた。
そんなすれ違うだけで男ならつい目で追ってしまうような美少女は、悠真がよく知る人物だった。
「……八尋?」
クラスメイトの神無月八尋がきょとんとした目で立っていた。
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