第20話「藤原千枝は魔女である」
昨夜フィルフィーネから聞いた話を千枝にも聞かせると、彼女は驚きの理解力を見せた。
「……なるほどねぇ。で、そのメルセイムを救えるのが、沙希に宿った聖女の力ってことなのね」
「ついに私の秘められた力が覚醒する時が来た……ってコトなの」
「なんでドヤ顔してるんだ」
いつもの沙希の妄想垂れ流しトークと大差ないとは言え、そこは母親。娘の話を否定せず、まずは信じてあげようという親心だろうか。
けれどやっぱりにわかには信じられないと、千枝は沙希にこう尋ねた。
「聖女の力って、具体的にはどんな力なの? ちょっとやって見せてよ沙希」
「おっけー! ふっふっふ、見ててよぉー……はぁっ!」
……………………?
何も起きなかった。
「出なかった」
「出なかったわね」
「本当になんでドヤ顔したんだよ」
思わせぶりな沙希の発言は一体なんだったのか。
……というか。
「娘の命が狙われてるんだぞ。なんで母さんそんなに暢気なんだよ」
「だって、フィーネさんが沙希のことを守ってくれるんでしょ? だったらきっと大丈夫よ」
「……その自信はどっから来るんだよ」
「元魔女のカンってやつかしらね」
「またそれか……そう言う時って大体ろくなことなかったと思うんだけど」
お気楽に笑う千枝に対し、悠真はため息をつく。
「……魔女?」
千枝の言葉にフィルフィーネは首を傾げた。
「魔術師じゃなくて?」
「魔術師じゃなくて、魔女。そっちの世界には居ない? 黒魔術とか占星術とかを生業にしてる、ジメジメした陰の世界で生きてきた人たちのことなんだけど。魔女によって得意分野が色々あるんだけど、私の十八番はねぇ、“呪い”なの」
初めて悠真がこの話を聞いた時は、「なんて物騒な母親なんだ」と嘆息したもので、今でもそれは変わらない。
食後のお茶をすすりながら千枝の話を聞き流しているのは、つまりそういうことである。
「“呪い”っていうのは『想い』を媒介にすることが多くて、その本質は感情に根差してるのよ。好意から生まれる憎悪や、劣等感から来る羨望、喪失に伴う悲哀とか、より高度な”呪い”を習得するためには、より深く人間の“心”ってものを識る必要があるのよ」
「……それ、フィーちゃんと何か関係あるの?」
「大アリよ。“呪い”を極めた私だからこそ、わかっちゃうのよねぇ。フィルフィーネさんがどんな人なのかってことがね」
「………………」
含みのある千枝の物言いに、フィルフィーネは少し顔を強張らせた。
自身の見られたくない……見られてはいけないものを見透かされているような視線に対し、隠しきれない嫌悪感が
肌を突き刺すような異様な雰囲気を感じ取った悠真は、冷や汗を流しながら二人の様子を横目で観察していた。
……母さんに思わせぶりな言い方はやめろと口を出すべきか。それともフィーネに声をかけて場を和ませるべきか。
悠真が口をつぐんで考えていると、沙希がフィルフィーネの手を取った。
右手を両手で優しく包み込むように握って、母親を見る。
「フィーちゃんは、やさしい人だよ」
「沙希……」
沙希の両手に今度はフィルフィーネが左手をかぶせる。
沙希の気持ちが嬉しかったのか、その瞳は少し潤んでいるように見えた。
「――だって、昨日の夜私にいっぱい異世界のこと教えてくれたもん!」
…………ん?
少々ヒリついていた空気が一瞬でどこかへ吹き飛んでしまった。
悠真と千枝は「あぁ、やっぱりね」という顔で苦笑いしている。
「異世界を好きな人に悪い人はいない!」
……いや、フィルフィーネは元々向こうの世界の人なんだから、異世界好きとは言わないだろ。
目をパチパチとしばたたくフィルフィーネが、助けを求めるように悠真へ視線を飛ばした。
悠真はそれに答えるように、肩をすくめて見せた。
「……ユーマ、これはその、どういうことなの?」
「あー、つまりだな……フィーネは信用出来るってことだ。な、沙希」
「そういうことっ」
グッ! とサムズアップする沙希。
なんの説明にもなっていないことに意義を申し立てたいフィルフィーネだったが、満面の笑みを浮かべる沙希を見て、思わず吹き出してしまう。
「――ぷっ、あははははは! サキってホント不思議な子よね」
「えへへ、それほどでもあるかな」
「あるのかよ……」
……この流れ昨日もやったな。
「脅かすつもりはなかったんだけど、気を悪くさせちゃったわよね……ごめんなさい」
「いいえ、私の方こそ……すみません」
千枝とフィルフィーネは互いに頭を下げる。
すると、唐突に千枝がパンッと両手を打ち鳴らした。
「はい、それじゃあこれからみんなには買い物に行ってきてもらいます」
「え、なんで?」
「……この話の流れからなんで急に買い物に行くことになるんだよ」
「だって、フィーネさんがこれからうちで一緒に暮らすなら何かと入り用でしょう? 服とか生活用品とか。あと食材もね。いっぱい食べるみたいだし、ちょっと多めに買っておかないと」
言いながら、千枝は小さめの財布とメモ用紙を悠真に手渡した。
「必要そうなものはそこに大体書いておいたから、残ったお金で好きな服買ってきていいわよ。あ、余ったからって無駄づかいしちゃダメよ」
「そんなことしないって。子供のお使いじゃないんだから」
「あんたはよくても、よくない人が横にいるじゃない」
千枝に言われ横を向くと、すでに何を買おうかニヤニヤと企んでいる妹の姿がそこにはあった。
指折り数えながら頭の中で何かをリストアップしているようだが、残念ながらそれらの購入予定はない。
悠真が無言で沙希を睨み首を振ると、沙希はしくしくと肩を震わせて泣いた。
けれど沙希はめげずに、「でもお兄ちゃんならワンチャンあるのでは?」と、期待を込めて上目遣いでチラリと妹のことが大好きな兄に視線を飛ばすが、悠真はこれをガン無視して話を進める。
兄だからこそ、ときには厳しく接するのだ。
「金は俺が管理するから大丈夫。そういうことだからフィルフィーネ、これから一緒に出かけようと思うんだけど、いいか?」
「もちろん。それでどこへ行くの?」
「買い物なら、あそこに行くしかないでしょ!」
「……あそこって?」
まだこちらの世界についてあまり詳しくないフィルフィーネが首を傾げる。
沙希は意気揚々と答えた。
「――“なんでもある”が揃ってる……『オール・モール』だよ!」
†
着替えて買い物の準備を済ませた悠真たちは、駅までの道中、フィルフィーネに切符の買い方を教えたり、電車に乗る際のマナーを教えたりしていた。
彼女は悠真たちが思っていたよりも、ずっとこちらの世界について詳しかった。
駅の構内で問題なく切符の購入を済ませると、スムーズに電車に乗車するフィルフィーネ。
「これが本物の電車……話には聞いていたけれど、すっごく早い! 大勢の知らない人たちと一緒に乗ってるっていうのも、なんだか不思議だわ」
フィルフィーネは自分が知っていたものと答え合わせをするかのように、電車からの眺めを楽しんでいた。
悠真が少し気になって、電車内でフィルフィーネに、
「こっちの世界のこと、なんでそんなに詳しいんだ?」
と聞くと、なぜかフィルフィーネではなく沙希が得意げに答えた。
「先代の聖女様から色々教えてもらってたんだって。メルセイムより高度な文明の世界からやってきた先代さんの話に、向こうの人達は興味津々だったんだよ。こっちの世界で発展した科学技術って、異世界からしてみればSFみたいなものだしね」
沙希の隣でうんうんと頷くフィルフィーネ。
「で、召喚元の世界の貴重な情報だってことで、それを本にしてまとめてたみたいなんだけど、誰かがその本をこっそり読んで言いふらしちゃって、あっという間に〈協会〉内に広まっちゃったらしいよ」
……ガバガバすぎるだろ、〈協会〉の情報管理。
「……というか、なんで沙希が答えるんだよ」
「言ったでしょ、昨日フィーちゃんから色々聞いたって。お兄ちゃんのその質問は、昨夜すでに私が質問済みなのだ」
ぶいっ、と沙希がピースサインをする。
「へぇー……ところで今更なんだが、こんな公の場所であっちの世界のこと話してても大丈夫か? 誰かに聞かれたりしたらまずいんじゃ……」
「大丈夫だと思うよ。普段お兄ちゃんが私の話を聞き流すみたいに、周りの人にはなにかのマンガかアニメの話をしているようにしか聞こえないと思う」
……若干だが、声にトゲがあるような気がする。根に持ってたのか。いつも異世界トークを聞き流してたこと。
眉をひそめる悠真に対し、フィルフィーネが沙希の意見に補足する。
「どうせ私たちの居場所は〈協会〉にはバレてるし、変に身構えたって仕方ないわよ。詳細な現在地までは把握できないだろうし、いくらなんでも白昼堂々襲ってきたりしないわ。そんなことしたら後が面倒だもの」
「……そうなのか? 俺はてっきり沙希以外のことはどうでもいいと思ってるのかとばかり……」
「そう思ってる奴もいるでしょうけれど、〈協会〉の敵は私たちだけじゃないから」
〈協会〉にとっての主目標は聖女の魂を宿した沙希の確保だ。それは間違いない。
しかし、その他にも懸念事項はある。
「こっちの世界にも魔術師がいるでしょ? 下手に周囲に被害を出せばこちらの世界の魔術師を敵に回しかねないのよ。〈協会〉はそういう未知数の相手に対しては、とことん警戒して慎重に動く奴らなの。保身と
フィルフィーネの理路整然とした解説に、悠真は何度も首肯した。
自らも魔術を扱う身であるとはいえ、魔術師界隈のことに関してはほとんど何も知らないと言っても過言ではない。
けれど、不用意に敵を作りたがらないという点に関しては、どこの世界でも似たようなものなのだろうと腑に落ちたのだった。
「……ん? ちょっと待った。今なんて言った?」
「え? 『小説家になれるだろう』のお気に入り作品が更新されてるって話?」
「違う、お前に言ったんじゃない」
悠真は空いた時間に小説サイトの更新チェックをしている沙希を無視して、フィルフィーネに再度問いかけた。
「この街に、他に魔術師がいるのか?」
「えぇ、間違いないわ」
フィルフィーネは断言した。
「アミスたちの他に、私がこっちに来てから接触した魔術師が一人。それ以外にもいくつか強い魔力の反応があったわ。今はほとんど感じられないから、どこにいるのかまではわからないけれど、〈協会〉の魔術師以外に少なくとも四人はいるはずよ」
――四人。
……このさほど大きくもない街の中に、他に四人も魔術師が?
魔術師は本来同じ土地に複数人も集まったりしない。家族や同盟の魔術師同士ならばともかく、一般的には他者と関わることを避けるように生きているからだ。特に自分の住処ともなれば、自らの魔術研究の中枢とも言える場所だ。おいそれと他の魔術師に探られるのは面白くないと思うのが普通だろう。
祖父から聞いていた話と異なる現状に違和感を覚える悠真。
偶然か、それとも何か理由があるのか。
考え込む悠真の肩をフィルフィーネがトントンと叩く。
「他の魔術師たちがみんな敵と決まってるわけじゃないわ。もしかしたら味方になってくれるかもしれないし、そんなに考えすぎないで」
「……それもそうだな。ごめん、俺の悪い癖だ。昔からどうも考えが後ろ向きなんだよな。良くないとは思ってるんだけどさ」
「心配性なのね、ユーマは」
フィルフィーネがくすりと笑う。
悠真もつられて笑うが、心の中にはまだ少し何かが凝り固まっている。
言いようのない不安が少しづつ悠真の中で具体的なかたちへと変化しつつあった。
ふと窓の外へ視線を向けると、いつの間にか窓から見える風景は様変わりしていた。
都会の喧騒が聞こえてきそうな背の高いビルやマンションが立ち並ぶ。でかでかとした広告の看板にフィルフィーネも目を奪われており、まるで子どものように目を輝かせている。
ほどなくして、電車は目的の駅へ到着した。
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