第17話「手取り足取りベッドの上で」

「えっ?」


 悠真は彼女の謝罪が何に対するものなのかがわからず戸惑った。

 頭を下げたまま固まるフィルフィーネにいたたまれない気持ちになり、悠真はすぐに頭を上げるように言った。


「ま、待ってくれ。一体なんのことだかわからないんだが」

「……私たちの世界の問題に、あなたたちを巻き込んでしまった。だから、謝っておきたくて」

「…………それは、フィーネが悪いわけじゃないだろ」


 悠真はフィルフィーネの肩に手を掛けながら、ベッドに腰掛けるように促した。

 彼女が静かにこくりと頷いて腰を下ろしたのを確認してから、自分の椅子を引き寄せて座り、話の続きを促した。


「さっきも話したけれど、サキが聖女に選ばれてしまったことは、きっと先代の聖女のことが関係してる。もとはといえば、それも私たちが自分たちのためにこっちの世界にすがりついた結果なの。何も知らない女の子を無理やり召喚して、利用して……使い捨てた。それを〈協会〉はまた、繰り返そうとしてる」

「………………」


 悠真は黙ったまま、フィルフィーネの言葉に耳を傾けている。


「サキだけじゃない。ユーマだって、あの時私が間に合わなければどうなっていたかわからないわ。ユーマは私のおかげで助かったって言ってたけど、そんなことない。だって、私たちのせいでユーマを危険に晒してしまったんだから。だから、本当にごめんなさい……!」


 フィルフィーネは再び悠真に頭を下げた。その目には涙がにじんでいた。

 悠真は、今日一日を振り返ってみた。

 たしかに一歩間違えば死んでいたかもしれないし、沙希も今頃はここには居なかったかもしれない。

 ……でもそれは、やっぱりフィルフィーネが悪いわけではないと思う。

 悠真は椅子から立ち上がって、フィルフィーネの頭に左手を置いた。


「たしかに、今日は死ぬかと思ったよ。なんでこんなことになったんだって、どうして沙希が狙われるんだって、正直思った。俺たちは、なにも悪いことはしてないのにさ」

「……そう、よね。それが当然――」

「でも、フィーネが悪いワケでもないだろ」

「――え?」


 はっとしてフィルフィーネが顔を上げる。

 悠真は表情こそ変わらないものの、ゆっくりとフィルフィーネの頭を撫でた。


「沙希を狙ってるのはその〈協会〉って奴らなんだろ? フィーネはむしろ守ってくれたじゃないか。感謝こそすれ、フィーネを責めるつもりはないよ」

「ユーマ……違うの。そうじゃなくて、私は……!」

「違わない。もし本当にフィーネのせいだとしても、大事なのはこれからどうするかだろ。過去を後悔しても、フィーネを責めても現実は変わらない。だから、ちゃんと前を向いて歩かないと。……そうじゃないと、罪は償えないから」


 ……俺が、そうだったように。

 悠真は右手を強く握り締める。


 ――忘れてはいけない。けれど、立ち止まってもいけない。


 それが罪を背負う者の責務だと、悠真は思っている。

 そんな彼の心の中を、彼女がわかるはずもなく。

 フィルフィーネは純粋に、悠真の言葉に感銘を受けた。


「……ありがとう。そう言ってもらえると、ちょっとだけ心が軽くなった、かな」


 フィルフィーネは目じりにたまった涙を拭って笑った。

 一人で抱えていた重荷を少しだけ下ろせたようだ。

 悠真は彼女の泣き笑いを見てどきりとしながらも、平静を装ってある提案をした。


「なぁフィーネ。俺に魔術を教えてくれないか? これから先、今日みたいに敵に襲われたとしても沙希を守れるように、強くなりたいんだ」


 フィルフィーネは驚いた顔をしたが、悠真の真剣な表情を見て正直に答えた。


「気持ちはわかるけれど、やめておいたほうがいいわ。〈協会〉にいるのは昔から戦闘訓練や独自の魔術を発展させてきた一線級の魔術師たちがほとんどよ。一朝一夕で身に着けた魔術なんて、大して使い物にならないわ」

「そ、そうかもしれないけど、それでも……!」

「だから魔術じゃなくて、体の使い方を教えるわ」

「……え? うわっ」


 言うやいなや、フィルフィーネは悠真の手を掴むと勢いよく引き寄せてベッドへと倒れ込む。ベッドへと寝かされた悠真の上に、フィルフィーネが上からまたがっているような体勢だ。


「ふぃ、フィーネ⁉ な、なななにをして……!」


 ……か、体の使い方って、まさかそういう……っ⁉


「不思議……本当に特別な刻印もなしで、あれだけ精密な魔力操作ができるなんて……」


 フィルフィーネが悠真の体をぺたぺたと触りながら呟いた。

 悠真は顔を真っ赤にしながら抵抗しようとしたが、フィルフィーネの力が強くてまったく動けない。

 フィルフィーネは触診を終えると、一つ頷いて確信する。


「付け焼き刃の魔術を一つ二つ覚えるよりも、魔力による身体強化を覚えたほうがきっとためになるわ。どうやら元々体は鍛えているみたいだし、すぐに使いこなせるようになると思う」

「し、身体強化って、たしか昔じいちゃんに教えてもらおうとしたら、すげー怒られた覚えがあるんだけど……」

「それはそうでしょう。未発達な子どもの体に魔力を流して、もし制御に失敗したら、その後の成長に悪影響が出兼ねないもの。筋肉が千切れたりとか関節が外れたりだとか、その手の事故はメルセイムでもよくある話だったわ。おじいさんは、ユーマの体のことを気遣ってくれていたのよ」

「そうだったのか……」


 ……昔は何言っても教えてくれない、頑固で怒ると怖いじいちゃんだって思ってたけど、ちゃんと俺のこと考えてくれてたんだな。

 悠真が感動していると、フィルフィーネは悠真の服をガバッとまくり上げた。


「――な、なにしてんだ⁉」

「《パス》の確認よ。魔術師にはそれぞれ体に魔力が流れる特別な道があるの。その太さや数によって、扱える魔力の質や量が変わってくるわ。ユーマの場合は……すごい、指先まで細かく枝分かれしてる! 道理で魔力の扱いが繊細なワケだわ」


 ……どうやら褒められているらしい。

 素肌を触られるのがややくすぐったいが、それ以上にフィーネの手の柔らかさとあたたかさに意識を奪われてしまう。

 ……これはあくまで必要な確認作業。他意はない、他意はないぞ……。


「それじゃあはい、手を握って。手のひらを合わせて指を絡ませて……はい、集中する」

「え、ちょ……これはっ……!」


 ――俗にいう、恋人繋ぎである。


 妹以外の女性との初めての経験に、悠真の鼓動は早まるばかりだ。

 フィルフィーネが至って真剣な表情で作業を進めるので、悠真も深呼吸をして両手に意識を集中させる。

 互いに両手を握ったまま、フィルフィーネがゆっくりと魔力を悠真の体に流し始める。体の中心から徐々に外側へと流れ、やがて両手の指先にまで行き渡る。


「……あ、なんかビリッときた」

「それが魔力が直接体に流れる感覚よ。流れる魔力が自分の体を覆うようなイメージで魔力をコントロールして」

「魔力で、体を覆う……」


 いつもは両手から外に向けて流すだけだった魔力を、自分の中で意図的に循環させる。

 血液に乗った魔力が心臓によって全身へと行き渡り、体に少しずつ染み出すような……そんなイメージを頭に思い浮かべた。

 やがて体の周囲に薄い魔力の膜ができたような実感を得ると、悠真は思わず両手に力を込めた。

 ぎゅっと強く握り返される感触にぶるりと体が震える。


「そうそう、その調子。あとは体の動きに合わせて、魔力の強度を調節してあげれば大丈夫」

「……んぐっ。こ、これなんか、思ったよりきつくないか?」

「そりゃあ初めてだからね。むしろ初めてでこんなに落ち着いて魔力を制御できてるだけで大したものよ」


 すごいすごい、とフィルフィーネが上から褒める。

 悠真は魔力を流すことに集中しているため、あまり余裕がない。

 本来はもっと自然体で体に魔力を流すのだが、悠真の場合、今まで行ってきた魔術が全て精密な制御を要求されるものだったせいで、常に神経を張り巡らせていないといけないと考えてしまっている。

 フィルフィーネに「もっと肩の力を抜いて」と言われても、なかなか思うようにはいかない。

 ――ちなみに、フィルフィーネがわざわざ悠真に馬乗りになっているのは、悠真が制御を失敗してしまったときに体が跳ねるのを防ぐためである。

 強張る体から徐々に空気が抜けていくように、悠真は少しずつリラックスし始めた。

 すると、ある一定のラインを超えたところで、何かがピタリとハマったような感覚がした。

 悠真はゆっくりとフィルフィーネから手を離すと、体と魔力のバランスを確かめるように手を握ったり開いたりしてみた。


「なんだろう……歯車が噛み合ったって言ったらいいのかな。ちょっと体が軽くなった、かも……?」

「掴んだわね。それが今のユーマにとって最も最適な魔力と身体のバランス。その状態をしっかり体で覚えておいてね」

「あぁ……うおっ⁉」


 ――バシュンッ。

 気を抜いた途端に身体強化が解けてしまった。

 一気に体に掛かる重力が増したような、不快な感覚がやってくる。

 同時に指先に静電気が走ったような小さな痺れを感じた。

 魔力疲労による神経の摩耗作用だ。


「はーっ、難しい! ……とっさにできるようになるのか、これ?」

「なるわよ。毎日少しずつ鍛えて、体に覚え込ませるの。つまりあれよ、筋トレと一緒ってこと」


 筋トレと魔術を同列に語り始めてしまった。

 ……まるで水上みたいなことを言う……。

 しかし、この説明が悠真には一番しっくりきた。

 今の彼の実力では、精々がアスリート並みの身体能力に少し色が付く程度だろう。

 自身の魔力に体が馴染めば馴染むほど耐えられる魔力の負荷も増えていく。

 そうすれば、普通の人間の限界をたやすく超えることができるようになる。


「……よしっ」


 悠真は自分が強くなれる可能性を見つけられたことが、素直に嬉しかった。

 子どもの頃から鍛えてきた体と魔術。いつか何かの役に立つと信じて努力を積み重ねてきた日々が、ようやく追い付いてきたのだという実感があった。


「――この力で、沙希を守るんだ」


 ……もう二度と失わないために。

 握りしめた拳には、まだフィルフィーネの体温がうっすらと残っていた。

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