第16話「ハプニングは突然に」
沙希とフィーネが一緒に風呂に入っている間、悠真は自室で学校の課題を片付けていた。
かりかりとペンをノートに走らせていく。
軽快だったペンは徐々に勢いを失っていき、しばらくすると全く動かなくなってしまった。
難しい問題が解けなくて手が止まっている、ということではない。悠真の心がどこか違う場所へふわふわと飛んでいってしまっているのだ。
「……見てしまった……」
頭を抱え机に突っ伏す悠真。
どうしてこんな日にまでわざわざ勉強しているのかというと――。
――それは十五分ほど前のこと。
沙希に言われるがまま、一緒に浴室へと連行されたフィルフィーネの着替えを、沙希の部屋から持って行った時。
悠真は脱衣所の扉を開け、洗濯機の横に置いてあるかごに服を置いて声を掛けようとした。
すると突然、浴室の湯気が脱衣所に充満し始めた。
なぜそんなことになったかと言えば、もちろん風呂場の扉が開け放たれたからで……。
「コンディショナー切らしてるんだった。確か詰め替え用が棚の上にー……あ」
「んー、どうしたのサキ……んっ⁉」
タイミング悪く浴室から出てきた沙希と、その後ろで体を洗っていたであろうフィルフィーネ。
見慣れた妹の健康的な体――やや運動不足感は否めないが――はさておくとして。
浴室を満たす湯気越しにでさえはっきりとわかるほどに、フィルフィーネの体は凹凸のある女性らしい体をしていた。
サイズによらず形のいい胸、引き締まったウエスト、ほどよい肉付きながらすらっと伸びた脚。
ああ、女性の体とはこんなにも強く美しく磨き上げることができるのか、と素直に感心した。
……って、何をじっくり観察してるんだ俺はっ!
二人の裸を湯気越しに見てしまった悠真は、平常心を装いながら洗面台の棚へと手を伸ばした。沙希が探していたコンディショナーの詰め替え用を手に取り直接手渡す。
「……はい、これ。着替えはそこに置いといたから……んじゃ」
「うん、ありがと……」
何食わぬ顔で風呂場から出ていく悠真だったが、右手と右足が同時に出てしまっている。
体温は上昇し、焦点も定まらず、思考はオーバーヒート寸前だった。
「――もーっ! お兄ちゃーんっ!!」
「お、俺のせいじゃないだろー⁉」
沙希は詰め替え容器を手に持ったまま、扉の向こうに逃げた悠真へと怒鳴った。
「……あ、あははは……」
……み、見られちゃった、よね。
初対面の異性に裸を見られてしまったフィルフィーネはというと、恥ずかしさよりも気まずさが上回っていた。
「ごめんね、フィーちゃん。お兄ちゃんってホントこういうことに無頓着だから」
「ううん、気にしないで。裸くらいどうってことないから」
「だ、ダメだよフィーちゃん! 女の子として自分のことはもっと大事にしないと」
「えっ、そ、そう……?」
フィルフィーネはとりあえず首を縦に振っておいた。
その後、沙希に頭を洗ってもらう間、ふたりは普段の身だしなみの話で盛り上がるのだった。
フィルフィーネの裸を目撃してしまった悠真は、どうにか意識を別のことに逸らそうと机に向かっていたのだが、さきほどの光景が何度もフラッシュバックしてしまっていた。
湯気越しに見えた彼女のシルエット。
白く健康的な肌色に、ほどよい肉付き、そして何度見ても視線が釘付けになる豊満な胸の映像が、まぶたの裏に焼き付いて離れない。
もうしばらくすれば。ふたりが風呂から上がってきてしまう。
――このままではマズい。
「……こういう時はあれだな」
悠真は課題をあきらめて、引き出しの中から一冊の本を取り出すと、丸テーブルの上に置いてその前に座り込んだ。
本を閉じたまま、表紙に掌をかざす。
「……《
魔力に反応して、本がひとりでに開くとパラパラとページがめくれていく。
悠真は開いたページの中から適当にいくつかの内容を読み取り、本に書かれた魔術をコード化していく。
コード化とは、様々な要素で構成されている魔術の術式を、一つ一つ分解していく作業のことである。術式をコード化することで、悠真はより深くその魔術を理解し、自由に書き換えることができるようになるのだ。
この本は数多くの魔術によって
コード化された術式が情報の濁流となって部屋中を埋め尽くす。
悠真はそれを一つずつ、じっくりと読み込んでいく。
昔、「この本をただ読むのではなく、全ての術式をコード化して読むことができるようになれ」、と祖父に言われたことがあった。初めは術式を読むどころか、コード化するだけで精いっぱいだったが、今ではこうしていくつものページをまたいでまとめてコード化し、同時に読むことができるようになっていた。
もう何度も読んで内容もほとんど暗記しているのだが、悠真はこれを魔力操作の訓練だと思って、今も定期的に行っている。
これが本当に訓練になっているのかどうかは悠真にはわからなかったが、こうして《解析》に集中している間は他のことを忘れることができるため、気分転換にはなっている。
目を閉じたまま教本を数十ページほど読み終えたところで、
「ふぅ……大分落ち着いたな」
「――すごい。そんなことよくできるわね」
「…………!」
気が付けば部屋の入口にフィルフィーネが立っていた。
風呂上がりで火照った体に、まだ少し濡れたままの髪がとても艶めかしい。沙希の寝巻を借りて着ているのだが、サイズがややきつそうだ。大型犬の絵柄がプリントされた子どもっぽい寝巻でなければ、悠真であっても変な気を起こしていたかもしれない。
それほどまでに、今の彼女の姿には魔性の魅力があった。
「ごめんなさい、勝手に見てしまって。少し扉が開いていたから」
「――いや、気にしないでくれ。見られて困るようなものでもないしな。沙希は?」
「まだ入ってる。こっちの世界のお風呂は私にはちょっと熱くて……のぼせちゃいそうだったから、先に出てきたの」
「そっか。沙希は昔から長風呂だから」
子どもの頃から沙希は長風呂派だった。以前に浴槽の中でスマホをいじり続けて一時間以上経っていたこともあるほどだ。
……沙希がのぼせて倒れてたのを母さんが見つけて、大騒ぎになったこともあったっけ……。
部屋に入ってきたフィルフィーネは、ベッドに腰掛けるとテーブルに置かれた魔術教本を指さして尋ねた。
「それがユーマの魔術の原型?」
「これはただの勉強用だよ。俺の魔術は、全部じいちゃんに教えてもらったんだ」
「おじいさんに?」
「あぁ。子どものころ、夏休みになったら家族みんなで田舎のじいちゃん家に行くのが恒例になっててさ。じいちゃんはもう魔術師は引退したって言うんだけど、俺が教えて欲しいって駄々こねて……唯一教えてくれたのが、この魔術」
悠真は自分の右手を見る。
今も鮮明に思い出せる。祖父に魔術を教わった、あの暑い夏の日々。
魔術は精神だけでなく体も鍛えてこそだと、毎日走ったり筋トレしたり、山登りしたり庭の畑の農作業を手伝わされたり……。
……よくよく考えると、半分ぐらいただ家の手伝いをさせられてただけのような気がしてきたな。
懐かしさに思わず苦笑する。
フィルフィーネは突然笑い出した悠真を不思議に思いながらも、数時間前のアミスたちとの戦闘を思い出しながら口を開いた。
「解析系の魔術って、もっと難しい魔術のはずなのだけれど……。悠真を見ていると、そんな常識がひっくり返っちゃいそう」
「そうなのか? あいにく俺はこの本に書かれている以外の魔術をほとんど知らないからな。本当はさ、もっと敵を攻撃したり身を守ったりできる魔術を教えて欲しかったんだけど、じいちゃんが『絶対に教えん!』って頑なでさ」
「いいおじいさんね。……魔術なんて、そんなにいいものじゃないもの」
フィルフィーネの声から明るさが消える。
悠真が視線をやると、フィルフィーネはうつむいたまま悲嘆に暮れているようだった。
「フィ、フィーネ……?」
悠真が声をかける。
フィルフィーネは言葉が出てこないのか、何度か口を開いては閉じてを繰り返した。
しきりに変わる表情と、何かを求めるように
そんなパントマイムを数度繰り返して。
フィルフィーネは突然立ち上がると――、
「ごめんなさいっ」
――勢いよく頭を下げた。
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